幸せに、なる。


明けましておめでとうございます!Yusonです。
今年もよろしくお願いします!
本年初の投稿は、「幸せ」について考えてみたいと思います。


フランス映画『アメリ』(2001)のポスターには、今日のタイトルがキャッチコピーとして使われています。
有名な作品ですし、私も彼女のトリッキーな「悪戯」が大好きです。彼女の独特な愛情表現からは、「分かる人にしか分からない」という優越感を得られますし、「不器用な奇才」とはああいうことなのか、と妙に腑に落ちるところがあります。(笑)


「幸せになりたい」という願いは、誰もが抱く一般的な望みです。
ここ近年、巷には多くの「幸福論なるもの」が溢れ返っていますし、色んな人が「幸福」について再考しています。
ご丁寧に「幸せな国」はランキング形式で提示され、「上位の国々」のライフスタイルを取り入れたり、それを「見習うこと」が一つの流行と経済活動をさえ生み出しているように思います。


そもそも、「幸せ」とは何なのか。
この疑問自体が答えを含んでいるように、「幸せ」に明確なカタチなど無いはずです。
「これが幸せなんですよ」と、世間や流行から提示されるものに、「自分の幸せ」がいつも当てはまるわけではありません。「幸せ上位の国々」に移住したからと言って、誰もが平等に幸せを感じられるか、といったら答えは断然Noであるはずです。


「健康・幸福である状態」や、それ自体を表すときwell-beingという言葉が使われます。
「存在」そのもの。自分が「自分である」こと。
今流行りの「ありのまま」ってやつです。(笑)

well-being、つまり、「よりよく存在している状態」であるとき、人は「自分にとっての幸せ」を感じているのかもしれません。


自分にとって「よりよい状態」は何なのか。オリジナルな「幸せ」って何を指すのか。
曖昧な雰囲気に流されずに、冷静に可視化することが大事だと思います。
「毎晩リッチなパーティーを開くこと」なのか、「20円高いカニクリームコロッケを買うこと」なのか。あなたにしか、分からないのです。

そして、それが分かったら、ちゃんと「誓う」こと。
精神論かもしれませんが、意志無くして行動も結果もありゃしませんよ。

「私が幸せになる」


確かに、well-beingであるためには、doingやhaving(行動と所有)も必要不可欠です。
でも、それらの「優先順位」を今年も間違えないようにしたいのです。



*今日の分の補足も近日書きます。
次回の更新は1/12です。よろしくお願いします。


憂鬱な月曜日が始まる前に、私の記事を読んで「あ、水曜日くらいまでなら、なんとか息出来る気がしてきた」と思っていただけたら満足です。サポートしていただいたら、大満足です。(笑)