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PCすら持っていないのに(続)③東京

前回の話しの続きになります。
ここでは、PCすら持っていない、料理人の私が何故、Webデザイン、プログラミングを学ぶ事になったのかを①から書いた結果、
私の経歴、自己紹介になり、自身の記憶の振り返りを含めて書かせて頂いております。
なので、プログラミングやWebデザインとはまったく違う文章となっております。

目次

*上京 親友K
*恩人
*ずっと友達
*だが時はたち
*鬼監督
*知能指数ZERO
*体育系
*エリート
*離れた街と街、別々の道

上京 親友K

私は、調理師学校を卒業し25才の時に調理師になり、東京に上京しました。その当時、私を助けてくれたのが親友Kの存在です。今の私の人生は、彼の存在があったおかげだと確信があります。そして、これからも私の人生にとってプラスな存在だと信じていますし、彼にはとても感謝しています。
彼は必ず私の人生のターニングポイントで、善きヒントを与えてくれる存在だったからです。

恩人

就職が決まった私は会社の寮に住む予定だったのですが、会社の寮が空いておらず、空くまでの2ヶ月間、住む場所がない私は親友Kの家に居候として住ませて頂ける事になりました。

ずっと友達

彼は、お互いの両親の職場が一緒で家も近所の幼なじみでした。            幼少の頃は、要領のいい同い年の彼と、あまり要領のよくない私はよく親に比べられていた記憶があります。

だが時はたち


親友kは男兄弟の三男で、年の離れた兄がいました。その影響だったかと思いますが、彼は小学校三年からバレーボールを始めて、同級生の中でも運動神経がよく、人気者の存在でした。
私も彼の影響を受け、バレーボールを始めたのですが、あまり運動神経のよくない私は、結局6年生になっても補欠のままでした。
(言い訳ですが、小学校では沖縄県で常に3位以内に入り、最後の大会は優勝したりしてました。(^o^;))


中学生になってもバレーボールは続けました。1つ上の先輩がヤンキーばかりで練習にはこない幽霊部員しかおらず、三年生がいなくなり自動的に同級生は全員選手として、試合に出れたので、私も一年生の間は試合に出れていました。
2年になり、後輩が入りすぐにレギュラーは奪われましたが( T∀T)

ただ、一年生の時から1学年上の選手を相手にして戦っていた私たちは、2年になってからは結構強くなり、天狗になり練習をサボるようになっていました。

鬼監督

そんな私達のもとに転任してきたのが、前年度沖縄県中学の優勝チームの監督でした。
かなり厳しい監督でした。
あまり書けないですが、昭和の体育教師の鏡といえばいいのでしょうか?(ToT)
今、思えばその監督にかなり精神面は鍛えられたのではないでしょうか。
天狗になっていた私達は、鬼のような練習をする事になります、辞める同級生もいました。


元々、強かった事もあり、全国大会のかかった試合では決勝で敗れてしまいましたが、
最後の大会は県で優勝する事ができました。
(私は補欠でしたが(´Д`)
その頃から、バレー部の同級生は、学校中で人気があって、他校の女子バレー部にファンがいる同級生もいました。親友kも人気があり、生徒会長に立候補していないのに、学校投票でなってしまう程でした。
私は、教室の後ろで隠れて蟻を買ってるような変なバレー部員でした(´Д`)

知能指数ZERO


あまり、競争とか好きじゃない感じだったので、お笑いとかアニメの方が好きでした。
中学を卒業し、皆違う高校に入学しました。
地元の高校に行く人もいれば、強豪校に行く人、高校ではバレーボールではなく野球部になるという人。

私は、変わってましたね(^o^;)
自分にあまり自信がなかった事と目的や目標がなかった為、実は何の目的もなく、そのまま就職しょうかと考えてました、それも自信がなくて、どうしようか迷ってました。

体育系

最終的に、あまり頭がよくないと自分で思っていた私は、どちらかといえば体育だったらバレーボールしてたからなんとかなると思い、
体育科のある学校にしようと思たのです。
試験を受けなんとか合格できたのですが、
体育科を選んだのも、
その頃の私は都合のいい勘違いをしていて、授業は体育しかなくて、
体育とバレーボールだけしていれば卒業できると思っていたんです(´Д`)

( T∀T)ヤバいやつ来ました!

ヤバいやつなんです私!

エリート


同じ中学のバレー部の同級生が二人同じ高校に入学したのですが、
二人は中学でも県選抜に入っていたような選手だったので、
一年からレギュラーでした。

私は高校でも三年間補欠でした。
その分、必死で練習して勉強も必死でやって、
なんとか大学に入学できるまでになれました。
いや、大学は、学校推薦でなんとか入学できたので、試験は受けていません。

奇跡でしかありません。

離れた街と街、別々の道

親友kは、工業高校に行きました。元々、兄達の影響でバイクが好きだった事もあったのですが、1つ上のヤンキーの先輩とも仲がよかった事もあったと思います。
彼は高校一年まではバレー部だったのですが、2年からは族に入ってました。
刺繍入りの特攻服が部屋に飾ってありました。
彼は好きなバイクの為にバイトしてたみたいです。
彼は、高校卒業後、一年間、職業訓練校で色々な重機機械の免許を取得し東京で仕事をし始めました。19才での上京です。



親友Kにお世話になった話しを書くつもりが、中学から高校の思い出話になってしまいました(^o^;)

次回は、上京して彼にお世話になった話しを書いていきたいと思います。
ここまで読んで頂いた方、ありがとうございます。
まだPCすら持っていない私ですが、これからも継続して書いていけるようにします。
宜しくお願い致します。

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