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書評

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2021年2月の記事一覧

書評 #28|わたしはオオカミ 仲間と手をつなぎ、やりたいことをやり、なりたい自分になる

 文字の一つ一つに独立した力が凝縮している。女子サッカーにおいて一時代を築いたアビー・ワンバックの気高い意志に最初から最後まで圧倒された。それは彼女の雄姿とプレースタイルにも重なる。  その力強さと同等かそれ以上に、一般的にアメリカという国に住むアメリカ人の強さを僕は再認識させられた。人間が自らの幸福を核とし、それを突き詰めることで周囲にも幸福を芽吹かせる意識のようなものが血に流れている。そう感じた。  それは歴史や宗教に裏打ちされているのかもしれない。自分自身を芽に例え

書評 #27|猫を棄てる 父親について語るとき

 不思議なタイトルだ。ずっとそう思っていた。「父親について語るとき」という副題を記憶していなかったのだが、猫を愛する村上春樹が猫を棄てている姿はセンスの悪い冗談のように思えた。  表紙を開いて読み進めた。しかし、著者の父と猫はなかなか線を結ばない。文字の森を進む。陽光が木々の隙間から差し込む。森林浴をしたくなるような浅い森。少し先へと進む。そこで僕は思った。棄てられた猫は村上春樹自身なのだと。  父への多くの思いがここでは語られる。しかし、一部でありながらも、第二次世界大

書評 #26|TUGUMI(つぐみ)

 『キッチン』を読んだ僕は『TUGUMI(つぐみ)』に手を伸ばした。子どもから大人への扉を開く、未熟と成熟が交わる一瞬を切り取っている。そこには読者を過去へと誘う懐かしい香りがあり、未来へと向かう期待と不安がある。  『TUGUMI(つぐみ)』は鋭い感性の物語でもある。そこには多くの人物が登場するものの、主人公のつぐみとまりあにだけスポットライトが当たっているような感覚を覚える。吉本ばななが編む美しく、私的であり、詩的な文体は彼女たちのみずみずしさや力強さを鮮やかに描き出す

書評 #25|キッチン

 二十年ぶりの『キッチン』だ。高校生の僕は、死を冷たいものと捉えていた。しかし、作品を通じてマッチの火を思わせる温かさを感じた。それを昨日のことのように覚えている。よく知らない家で生活を始めたみかげがいて、男性のえり子さんがそこにはいる。相反する二つの要素が共存しつつ、そっと背中を押された感触を思い出したかった。  『キッチン』に眼を落とすと、そこには日常のリアルな匂いがあり、そこにしかない人の個性があった。感情が行間からにじみ出ている。部屋に浮いている埃まで感じられる。思

書評 #24|村上T 僕の愛したTシャツたち

 軽快な文面の先には太陽がある。陽光に照らされて黄金色に輝くビールのグラスがあり、その前には彼方へと続く青い海が広がる。流れる、ザ・ビーチ・ボーイズの『サーフィン・U.S.A.』。時間が止まってしまった世界の中で、音色と波だけが穏やかに押し寄せる。  村上春樹が持つTシャツを紹介し、それにまつわる思いを紹介していく『村上T 僕の愛したTシャツたち』。Tシャツを題材としたエッセイであるが、そこから冒頭で紹介した風景が心に映される。  普段着の象徴でもあるTシャツ。その衣は「

書評 #23|キャプテンサンダーボルト

 阿部和重との合作ではあるが、『キャプテンサンダーボルト』には肌に馴染んだ伊坂幸太郎の息吹が流れている。シリアスな皮に包まれているが、その中身は彩り豊かな登場人物たちによって織り成されるコメディだ。だからこそ、春の日差しを浴びながら、公園のベンチでまどろむような気持ちで文字を追うことができる。  二名の作家によって紡がれる物語にスタッカートのような歯切れがあるかと問われれば、首を傾げてしまう。しかし、そこには即興のセッションを楽しむような、作者たちによる対話が文字に浮かび上