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書評 #96|森保ストラテジー サッカー最強国撃破への長き物語

 日本代表を率いる森保一監督の手腕をつぶさに見つめる。サンフレッチェ広島の監督を務めた時代から遡り、強みと弱みを指摘。連続して使用される専門用語を追いかけるのは簡単ではない。しかし、明瞭な言語化はそれ自体に価値を感じる。「相手の戦術の裏返し」「戦略的ラッシュ」「主導的チーム戦術の欠如」などの表現は印象に残った。  特に「委任戦術」に対する評価には共感した。戦術は研究され、それを見越して先を読む力が求められる。言い換えれば奇跡は続かない。個人の成長など、得ている利益は皆無では

書評 #95|スタジアムの神と悪魔 サッカー外伝 増補改訂版

 サッカーの歴史を駆け抜けた気がする。そして、そこには感情がほとばしる。喜怒哀楽。縦横無尽に感情を湛えることができるサッカー。勝利と敗北の幅の中に極めて重厚な感情の濃淡が存在する。  サッカーは詩的でもある。官能的とも呼べるだろう。ウルグアイのモンテビデオに生まれたエドゥアルド・ガレアーノが紡ぐ言葉の数々は競技が内包する情熱的な美しさの象徴である。 「およそモラルというものについて、私はそのすべてをサッカーから学んだ」 「驚きを生み出す飽くことのない資質」 「サッカーは

書評 #94|もえるバトレニ モドリッチと仲間たちの夢のカタール大冒険譚

 クロアチアという国と紅白のユニフォームを身にまとう選手たちをより身近に感じさせてくれる。延長戦やPK戦も含めた異常なまでの勝負強さに象徴される「粘り」を連想するが、それは歴史や経験から培われたものと認識させられる。 「クロアチアは小さい国かもしれないが、勇敢で闘争心があり、献身的で全力を尽くす国民なんだ」 数々の戦いを眼にし、クロアチアに抱く印象と合致する言葉に初めて出会った気がした。クロアチアを率いる、ズラトコ・ダリッチの言葉は像の輪郭を濃くする。  名のある選

書評 #93|オシムの遺産(レガシー)彼らに授けたもうひとつの言葉

 深い洞察による本質を見抜く力。イビチャ・オシムを一言で表現することはおこがましい。その視点と思考力は宇宙のような無限の広がりを帯びる。しかし、周囲の人々の言葉を通じてオシムに触れ、そんな言葉が頭に反響している。  考えること。その一つ一つに真剣に取り組むこと。サッカーに対して本気で取り組んでいたであろう、ジェフユナイテッドの選手たちはその真意を理解し、全身全霊をかける。論理的な精神論とも言うべきか。その二つが合わさって初めて、個人は本領を発揮できるのかもしれない。  本

書評 #92|ドイツサッカー文化論

 ドイツのサッカーを大局から細部まで見つめた一冊。ドイツ人のメンタリティについて繰り返し言及される。それは「大きな責任を自ら背負いたい」という願い。徹底した勝利へのこだわりが、そのように言語化されていることに納得する。  日本と比べ、ドイツにおけるサッカーの歴史は長い。しかし、その年数だけによって栄光が築かれているわけではない。体系立てられたプロサッカーとアマチュアサッカー。教育システム。主要な国際大会における敗戦を教訓とし、改革を推進する姿に合理性を重んじる国民性が垣間見

書評 #91|フットボールヴィセラルトレーニング 無意識下でのプレーを覚醒させる先鋭理論[導入編]

 フットボールにおける個人の上達。人それぞれが異なる強みや弱みを持ちながらも、それらをいかに発展させられるのか。無意識と耳にすると複雑に映り、その面も否めないが、教える側と教えられる側の双方から「上達する」ことの意味を言語化している。  教えられる側を瓶ではなく炎になぞらえている表現が印象に残る。それは一般的な仕事にも通じる。情報を詰め込むのではなく、成長や向上する意欲を燃えさせる。一方でいわゆる「楽しいこと」や「得意なこと」ばかりでは意欲が燃え続けることはない。人間は緊急

書評 #90|火星ダーク・バラード

 ディストピアと化した火星。遺伝子操作によって生み出された新人類、プログレッシブがその象徴だ。火星の開拓。人類の進化。その希求の根幹に善意はあったのか。私利私欲によって失せたのか。完全にはなれない人間。不完全な人間がシステムを作り、システムを嫌う人間が新たなシステムを作る連鎖。その構図は村上龍の「愛と幻想のファシズム」を想起させる。  システムに抗う力としての自我や暴力。恋の物語も織り交ぜながら、人と人とが交わることによって生み出される力も「超共感性」と呼ばれる特殊な能力に

書評 #89|自由研究には向かない殺人

 自由研究の題材として過去に起こった事件を据え、その全貌解明に向けた一挙手一投足を追った作品。イギリスの片田舎という決して大きくはない舞台で起こる群像劇。特に治安が悪いわけではないが、事件が常に脳裏をよぎり、コミュニティに根づいた人間関係や習慣から伝わる閉鎖的な雰囲気も重なり、ちょっとした恐怖感が常に広がる。  力強く、颯爽と。そんな言葉が似合う主人公のピップ。賢明で物怖じしない姿勢が道を開き続ける。女子高生の自由研究に関係者がここまで口を開くとは思えず、好都合なことがしば

書評 #88|教団X

 力がみなぎっている。中村文則の『教団X』はそう思わせる。人間の心奥へと潜り続け、そこにある陰陽を見つめ、その壮大さと同時にシンプルさも感じ取る。予想していたような「カルト教団を中心としたサスペンス」ではない。  シリアスさとコミカルさも共存している。その筆致でエネルギーを読者に放出する。スピード感満載。グロテスクであり、エロティック。人間と宗教の関わり。宗教の意味をも問う。

書評 #87|街とその不確かな壁

 『街とその不確かな壁』は「拠り所」のようだ。街と壁は内に存在しているように感じるし、実世界の比喩でもある気がする。自らも気づいていない、意識したこともない心の核のようなものに思いが向く。それは深海奥深くへと潜るかのように孤独であり、静謐な旅路を連想してしまう。  表と裏。外と内。肉体と精神。そうした二面性を通じ、村上春樹が何を伝えようとしているのだろう。そこに人間、人間としての営みへの問いを感じる。社会と個人。個人の中に抱える光と闇。多層性。そんな言葉に行き着く。  強

書評 #86|運転者

 喜多川泰の『運転者』は心温まるファンタジー。  タクシーの運転手が語る、運気が上がる術。それは誰しも耳にしたことがあろう「他人の幸せのために生きる」こと。「徳を積む」とも表現できる。利己的にならないこと。上機嫌でいること。不機嫌。焦燥感。そういった状態や感情には苦い記憶が伴う。  当たり前かもしれない。しかし、その当たり前を心に届け、生きる背筋を正してくれるような感覚が味わえる。爽やかな啓発本と言えるか。

書評 #85|審議官 隠蔽捜査9.5

 『隠蔽捜査』シリーズのスピンオフ『審議官 隠蔽捜査9.5』。主人公である竜崎伸也が登場する回数は少ないが、その存在感が薄れることはない。妻、娘、息子と周辺にいる家族に視点を移しても、竜崎がもたらしている影響力や信頼を描きながら、関わりの中に存在するドラマをミステリー作品として昇華させている。  短編集ではあるが、安易さやチープさといった不満要素も見当たらない。読む手を前進させる力は健在だ。適度に力が抜けた感も好印象。原理原則を貫き、捉え方によっては堅物である竜崎を愛らしく

書評 #84|変幻

 『同期』シリーズを完結させる『変幻』。作品を貫く謎。臨海地区で見つかった刺殺体。その犯人と消息を絶った仲間。スピード感と臨場感あふれる展開。真相へと進める歩の丁寧さ、緻密さは今野敏らしい。外れがない。  魅力の多い作品ではあるが、疑問として浮かぶ要素がある。主人公の宇田川亮太だ。物語を前進させ、事件を解決へと導く上で欠かすことのできない存在。しかし、経験の浅い刑事ではあるが、それ以上に自信のなさ、特徴のなさが感情移入を妨げる。それはまるで強風の中を漂うたこのよう。質問を多

書評 #83|欠落

 今野敏の『同期』の系譜を継ぐ『欠落』。同期である大石陽子の誘拐事件と別の死体遺棄事件の二つによって生まれた渦に翻弄されながらも、主人公である宇田川亮太は解決の糸口を見つけ出そうと奔走する。  遅々として進まない捜査。徐々に交錯し始める二つの事件。暗闇から一筋の光を追い求めるような探究はじれったくもあり、快くもある。宇田川は未熟さを残しつつも、本質を見極めようとする意志が周囲の人々を巻き込み、真実をも手繰り寄せる。  解決へと向かう過程における、いくばくかの拍子の良さは否