とあるサークル問題―その1

最近、自分が大学時代に入っていたサークルのことを考えている。
どうにかならなかったのかを、ずっと。

サークルの人たちは、雰囲気やノリがよく楽しい人たちだった。
比較的真面目で優しい人が揃っていたと思う。
それでも、今思うと、全く思慮深くはなかった。自分も含めて。

こころの交流があまりできなかった。本音を言い合えなかった。
先輩、後輩、同期、伝統、仲良くしたい気持ち、迷惑かけたくない気持ち、そんなことの方が、自分の気持ちより、上回ってしまっていた。

あのサークルで、私はいくつかの消えない痛みを持った。
あのとき言えなかったこと、言った方がよかったこと、感じていたこと、今だから言えること、それらを少しずつ、ここに吐き出したいと思う。
今、同じようなことが起きていないことを願いながら。


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私が入ったあるサークルは、結構なお金のかかるサークルだった。

勧誘されたときに聞いていたのは、半年ごとの部費が7000円、あとは、大きな発表会が年に2回あって、それに向けた合宿があること、発表会にまた同じくらいかかること、それから、活動でつかう道具の部品は消耗するので、自分の分の消耗品代。それくらいだった。
私は世間知らずだったので、それを純粋に信じてしまった。そうすると全部で年間6万円くらいで、月5000円くらいだな、昔やっていた習い事の月謝くらいでできるじゃないか、と思い、入部を決めた。これが大変に甘かった。

実態は、そのほかに、下級生の分のご飯代(4月の間は、入部希望者には先輩が夕飯を自腹でおごる習わしだった。)、学外指導者への謝金・旅費(相手はプロなのでとうぜん万単位で、飛行機や新幹線が必要な距離の場所から呼んでいた)、グループでの飲み会や、大きな発表会前に実施する願掛けの催しの費用(どこかで何かを大量に食べる、など)、発表会のときに部員同士で贈り合う贈り物の費用、自腹のチケット代、衣装代、他大学との付き合い費用、花代、大学祭の出店費用、等、なんだかんだ月に2万~3万程度は上乗せでかかっていた。
高みを目指して自分専用の道具を購入すれば、さらに数十万~かかった。(ちなみに上級生はほとんどが自分専用のものを使っていた)

私は後で思い知った。月の収支が5~10万の自分のような者には、無理だと。目算が誤り過ぎた。身の丈に合わなすぎた。
部員は皆、サークルのためにバイトをしているような感じだった。親からお金を借りている人もいた。
そこまでしてやることだったんだろうかと、今冷静になってみると思うのだが、驚くことに、それがなかなかやめられなかったのである。

まさかそんなにお金がかかると思っていなかったし、たまたまの出費だろう、と、本当はきつかったけれどだましだまし続けていた。
部員で人数割りにして拠出する経費もあったので、辞めれば他のメンバーの個人負担が増えるのは明白だった。次々にイベントがあって大きな目標に向かってよしやるぞ、となっているときに、いつも区切りが悪すぎてやめますと言い出せない。なにより同級生の仲間たちに、自分はお金がないともなかなか言いづらかった。
でもさすがにだんだんとお金や時間の面で無理が重なってきて、専門の勉強に注力したいこともあって、結局一年ほどで辞めた。

4月の勧誘をうけたとき、絶対お金かかるでしょ、うち貧乏だから無理。と言って決して近寄らなかった同級生がいたのだが、その同級生は正しかった。
確かに、友人はできたし、技能も身についた。経験としては、集団で目標に向かってひとつのものを作り上げることや何かに打ち込むことができ、人間関係のあれこれも学ぶことはできたんだが、それはほんとうに年間何十万もお金をかけないとできないことだったんだろうかと、いろいろ犠牲にしてやりたいことだったんだろうかと、やっぱり思う。

いい経験の部分に目をつぶって、良くなかったところを挙げてみると、

・入る前にはいい顔を見せる(実態を隠す)
・ただで飲み食いさせることで、悪いな、という気にさせる
・入ったら役割や切れ目のない予定を与えて辞めづらくする
・チケットを自腹買取させる
・先輩になったらほぼ強制のおごり
・付き合いの飲み会(コールあり)を頻繁に開催する
・付き合いのプレゼント交換が必須
・セクハラを含んだ宴会芸がある(これはまた別途書く)
・辞めれば他の人の負担が上乗せになる仕組み

という、世のブラック企業の空気はこういうところで醸成されるのかと思うほど、なかなかのことをやっていた。はっきり言って異常である。
だけど、その時は、気づかなかったのである。あのときの私達は、学生で、未熟すぎた。
なんだかなと思いつつも、その流れを変えられなかった。

サークルに入らないで、そのお金であちこち旅行すればよかった。短期留学の一つでもすればよかった。本でも読めばよかった。
その方が自分にとっては絶対によかった。

今は変わっているんだろうか。
伝統の名のもとに変わっていない部分も多い気がする。まして中にいると異常さがわからない。色々乗り越えて卒業すると、あれはいいものだったという思い出補正もかかる。
辞めた人に、サークルのことをどうこういう権利もない。

ほんとうに、どうしたら、よかったんだろう。

顧問の先生に相談するということはできたはずだった。でも、私は顧問の先生を知らなかった。一回顔を見たきりだ。ほとんど関わらない、名前だけの顧問に近かった。そんな相手に、相談できるような勇気を、当時の私は持っていなかった。嫌なら辞めればいい、で終わってしまいそうな話でもあったし。

私は基本的に、サークルは学生の自主的な活動であるべきで大学や教職員が管理するのは違うかなと思ってはいるのだが、なんらかの是正機関というか、やりすぎを抑制するような手段があって、アドバイスを求められる大人が、近くにいたらよかったのにと思う。

だが、そういう環境を今、学生のために作れているかは、正直自信がない。

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