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「はじまりが、ここでよかった」初めてオペラ合唱団員になってから

初めてオペラ合唱団員になった時のこと

初めてオペラ合唱団員になったのは、2015年のこと。いきなり、ヴェルディのドン・カルロという大作での合唱経験。
参加団体は、アーリドラーテ歌劇団
ジュゼッペ・ヴェルディの作品だけ上演する、という趣旨の団体だった。
これがオペラ沼の始まりになってしまったわけだ…。

合唱団さえも初体験だったあれから9年。団代表であり、指揮者である山島達夫氏は、ヴェルディ作品を上演することに関しては命かけてる、と近くで見ていると思う。

歌手陣は年末年始のテレビに出演しているような超有名歌手たち。
オーケストラは各パートに少なくともプロの演奏家が数名。某劇場のプロバレエ団で演奏しているような方もいる。
バレエダンサーは毎公演選出される。

バレエシーンカットなしというだけで、日本でのオペラは珍しい。
そのうえでコンテンポラリーダンスを活かした舞台を作り上げている。

一般人のオペラ団体、いろいろ

探してみると、一般人が運営しているオペラ団体はすごく多い。
思っていたよりすごく多かったという感触だけれど。

「○○区民オペラ」みたいな市区町村の団体はそれこそ各区にあると言えるし、そのほかに個人的に運営されている団体も覚えられない程度にはある。
かかわっていると、日本国内でオペラが流行ってるみたいに思ってしまうくらい。

アーリドラーテ歌劇団は一般人の団体ではあるが、『音楽の友』の記事で「市民参加型のオペラ公演として傑出」と評価されている。
(2022年4月号、巻末7頁)「Scramble Shot」(執筆:岸純信氏)

正確には、2022年に公演した《オテロ》の前、つまり《マクベス》のあたりで、音楽の友から取材が来るくらいのインパクトがあったということだと思う。(取材の背景は私は知らないけれど)

鍛えられる合唱団

これは聞いた話だし、全てそうではないとは思うのだが、市民オペラは市民へのサービスみたいなものらしい。

この団体では合唱団員は基本的に注文をつけられ、できが悪ければ普通に怒られる。
発音がイタリア語らしくない、発声がオペラ的(声楽的)ではない、音楽や情景の意味が伝わらない、こういうふうに動くな、それは幼稚だ…etc…

稽古の段階では「ごもっとも」としか思えないことも多いので、悔しくなったりはほとんどないが、いろいろと鍛えられる団体だと思っている。

私自身に関して言えば、オペラにかかわるきっかけ、はじまりがここでよかった、と強く思う。
その後に他の団体での参加を経験したうえで。

意志、そして美意識

この楽団で合唱団員として活動するようになって、トップクラスの音楽家やアーティスト、職人の方達と場と時間を共にして感じることは、意志、そして美意識。

舞台や音楽を最高のものにするという決意、そこに行くまでの努力、試行錯誤の度合いは計り知れない。

クラシック音楽家という人たちは、音楽大学と大学院の専門分野を卒業し、英語、イタリア語、ドイツ語、フランス語などのうち2か国語でコミュニケーションがとれる(=あっちで仕事ができる)などは珍しくない。
ここだけ見ても、どれほど学ばれてきたのか、努力されてきたのかと想像を絶する。
才能や運もあったかもしれないが、それだけではなんともならないだろう。

そんな方方と稽古現場を一緒に過ごすわけだから、舞台での立ち居振る舞いはもちろん、そっちと日常との差に触れられる。
そして彼らの深く強い想いに触れて、育てていただいている、と強く思う。

これほど、アマチュア団員に影響を与えてくれるコミュニティはなかなかないと思う。

はじまりが、ここでよかった

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