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東京の近代レトロ建築巡り

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東京の街並みに溶け込んでいる明治、大正、昭和の近代レトロ建築に焦点を当てます。重厚なレンガ建築や洋館はもちろん、看板建築、町屋までを探訪する街歩き情報を発信します。記事の読者の方…
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神田神保町界隈のレトロ建築(近代レトロ建築-10)

神田神保町といえば古本屋の町。 千代田区のホームページなどを紐解くと、神保町は江戸城の北側に位置し武家屋敷街だったが、町名は越中の戦国大名の流れをくむ旗本・神保家の屋敷があったことが由来とあります。戦前の東京市時代は「神田区」に属し、戦後に千代田区となった際に「神田神保町」となりました。明治から昭和初期にかけて、駿河台から神保町、一ツ橋にかけての地域には大学が集結し、古本屋や出版社が並ぶようになり、現在の姿を形作りました。 東京大空襲などで被害に見舞われた都心部にあって、神

大学の街、御茶ノ水駅と駿河台のレトロ建築(近代レトロ建築-09)

御茶ノ水駅周辺は舌状に延びた本郷台地の端にあたります。聖橋から見下ろすと、台地を真っ二つに分断して神田川を通す仙台濠の掘削大工事の跡が見て取れ、お茶の水を代表する特徴的な地形が確認できます。 御茶ノ水駅の上で神田川をまたぐ聖橋は、湯島聖堂とニコライ堂を結ぶ橋であることから名がつけられました。 神田川と鉄道が交差するおなじみの景色です。神田山を真っ二つに分断して掘削するという大工事。仙台伊達藩による大規模な土木工事で生み出された、人工の渓谷なのです。昌平橋は1691年(元禄

住宅街にこんな建築があった。目白駅周辺のレトロ建築(近代レトロ建築-08)

目白駅というと、山手線の中では地味な存在ながら隣の池袋とは違って、すぐ頭に浮かぶのは学習院大学や日本女子大学などちょっとアカデミックで、少し上品なイメージがありませんか。 学習院大学などは後日、詳細に見てレポートしていく予定ですが、今回はそんな目白でも山手線の少し外側に広がる住宅地の中でひっそり、目立たずに残るレトロ建築をピックアップして訪れました。池袋側にある自由学園明日館は「超」が付くくらい有名ですが、そのほかの建築も見逃せません。そんなに広くないエリアに点在しているの

銀座に残る町屋、看板建築(近代レトロ建築-07)

銀座に町屋や看板建築が残っている?…という疑問も当然ですが、残っているんです。銀座と言っても昭和通りから築地寄りの新富町あたりですが、まだまだ町屋や看板建築が見受けられます。しかし東京の中でも地価の高いエリアなので再開発も進み、震災や空襲をくぐり抜けた看板建築や町屋も確実に減ってきています。消滅してしまう前に、銀座界隈の今に残る町屋、看板建築を歩いて探索します。 マップが見えない方(iPhoneのsafariでは警告が出る)はこちらのリンクから。 酒蔵 秩父錦 築年が1

銀座から新橋のレトロ建築(近代レトロ建築-06)

多くの人がショッピングで行き交う華やかな銀座。新しいビルが並ぶ街並みの中で、ひときわ渋く存在感を示しているのが点在する近代レトロ建築です。銀座を代表する和光時計台は別格としても、実はあまり知られていないレトロ建築が数多く存在しているのですが、気がつく人は多くはありません。 今回はそんな銀座の近代レトロ建築に焦点を絞って銀ブラします。 マップが見えない方(iPhoneのsafariでは警告が出る)はこちらのリンクから。 前回の記事では京橋から歩いてきているので、その続きで

築地のレトロ建築(近代レトロ建築-05)

この記事は「場外市場だけではない。近代が始まった築地を歩く」の続編として、近代のレトロ建築に焦点を絞り築地の街歩きをしたものです。 築地、特に明石町エリアは、明治期に築地外国人居留地が設置されたという経緯もあり、日本の近代創成期の遺構やレトロ建築が見逃せません。 また、都内にある町屋や看板建築は東京大空襲で多くが焼失しましたが、築地6丁目、7丁目あたりは焼失を免れた町屋や看板建築がまだ多く残っています。これらは老朽化による建替えや再開発、持ち主の高齢化もあり、どんどん取り

日本橋のレトロ建築 その2(近代レトロ建築-04)

その1では日本橋、常磐橋から兜町まで歩きました。そして川を渡り日本橋人形町の方へ歩きます。この一帯は空襲での焼失を免れたエリアが多く、看板建築や町屋の街並みがまだ残っています。 マップが見えない方(iPhoneのsafariでは警告が出る)はこちらのリンクから。 うなぎ喜代川 築年は1927年(昭和2年)の町屋で、営業しています。 高柳豆腐店 築年は昭和初期とあります。銅板貼り看板建築は珍しく、現存している貴重なものです。現役の豆腐屋です。 この辺りには、路地を歩

日本橋のレトロ建築 その1(近代レトロ建築-03)

日本橋は町人文化の中心地、下町を代表する地域でした。また五街道の起点として江戸における交通・物流の要所でもありました。そして近代以降も金融・商業の中心であり続け、日本橋には百貨店や老舗がある反面、現代では若干取り残された感がありました。近年は再開発でコレドなどができ、活気を取り戻しつつあります。 そんな日本橋には近代の建築や遺構も残り、日本銀行をはじめとした重要文化財の大規模なレトロ建築が多く残っています。同時に空襲による焼失も免れた小規模なレトロ建築も多くありも逃せません

日比谷公園から霞ヶ関のレトロ建築(近代レトロ建築-02)

丸の内に続いて、今回はレトロ建築を探して日比谷公園と霞ヶ関を歩きました。 マップが見えない方(iPhoneのsafariでは警告が出ます)はこちらのリンクから。 日比谷公園の有楽門から日比谷公園に入る前に、日比谷交差点の角にある交番が目に入ります。何か、普通の交番とは少し違う雰囲気を感じませんか。厳密にはレトロ建築ではないのですが、昭和レトロ感も少し感じる「デザイン交番」という交番です。 丸の内警察署 日比谷公園前交番 設計: 横河健 、1986年(昭和61年)の竣工

今更ですが…東京駅と丸の内のレトロ建築(近代レトロ建築-01)

note第1弾の記事は東京の真ん中、江戸城(皇居)を取り上げました。今回は近代における東京の真ん中、丸の内のレトロ建築です。これも外すことはできないので、真っ先に取り上げます。東京駅を起点に周囲を見渡せば一望できる範囲に、これまた皆さんが十分ご存知のレトロ建築があります。改めて見直してみましょう。丸の内はどんなところかと言うと…。 マップが見えない方(iPhoneのsafariでは警告が出る)はこちらのリンクから。 ただ、東京の中心だけにオフィス街でオリジナルのレトロ建築