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今更ですが…東京駅と丸の内のレトロ建築(近代レトロ建築-01)

note第1弾の記事は東京の真ん中、江戸城(皇居)を取り上げました。今回は近代における東京の真ん中、丸の内のレトロ建築です。これも外すことはできないので、真っ先に取り上げます。東京駅を起点に周囲を見渡せば一望できる範囲に、これまた皆さんが十分ご存知のレトロ建築があります。改めて見直してみましょう。丸の内はどんなところかと言うと…。

丸の内一帯は江戸期には大名屋敷が建ち並ぶ地域でした。その後草地になっていた土地を三菱が国から払い下げを受け、丸の内最初のオフィ スビルである三菱一号館を建設しました。これを皮切りに三菱を中心に赤煉瓦街が形成されオフィス街として発展し、日本の金融・経済の中心地となっています。 中心に位置する東京駅は、日露戦争終結後の1908年(明治41年)から建設工事が本格化し、1914年(大正3年)に開業しました。新橋駅と上野駅を結ぶ新線の中央停車場として皇居の正面に設定され、東京駅と命名されました。

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マップが見えない方(iPhoneのsafariでは警告が出る)はこちらのリンクから。

ただ、東京の中心だけにオフィス街でオリジナルのレトロ建築の保存は難しく、再開発や建替え時には低層部に一部を保存したり、当時の建築のファサードを残す手法、通称「腰巻ビル」が多く見られるのが特徴です。それでも、当時の様子や街並みが想像できるようになり、無機的な高層ビルが並ぶよりは、なんとなく落ち着きます。

東京駅 丸の内駅舎

どこから写真を撮っても絵になる建築で、その情報もネットで調べれば溢れています。超概略でまとめると以下のようになります。

竣工は1914年(大正3年)、設計は日本銀行本店も設計した辰野金吾。辰野金吾は工部大学校(現・東京大学工学部)の第一期生として、鹿鳴館やニコライ堂、三菱一号館を設計したイギリスの建築家ジョサイア・コンドルから建築を学んでいました。豪壮華麗な洋式建築で南北にそれぞれドーム状の屋根があり、アムステルダム中央駅がモデルになったという説もあります。東京大空襲で被害に遭いましたが、その後の戦災復興工事が1945~1947年に行われました。その60年後、創建当時の姿に戻すための保存・復原工事が2007~2012年に行われ、現在は創建当時の姿に復原されています。

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これ以上は素人の私が解説しても役にも立たないので、より詳しい「東京駅の概要・歴史」のサイトをご覧ください。

KITTEより望む東京駅
行幸通りからの東京駅
東京駅正面

どこから見ても絵になりますが、おすすめはKITTEの6階の展望テラスです。東京駅と広場、丸ビル、新丸ビルが一望できます。特に東京駅舎は日ごろ見ることのない角度から見ることができます。
また、駅前広場の左右(北口と南口)には、駅舎に向かって2つの銅像がペアのように立っています。

井上勝像

東京駅の丸の内北口に立っているのは井上勝像です。新橋~横浜間に初の鉄道開設を導いた大きな功績があり、鉄道庁長官などを歴任し日本の鉄道発展に貢献。「日本の鉄道の父」と称される井上勝の像です。1959年に朝倉文夫の制作とか。

井上勝像

愛の像(アガペの像)

東京駅に井上勝像と対をなすように南口のKITTE側に立つ愛の像(アガペの像)。男性が両手を広げた祈りの像。戦後、戦犯として捕まり、そして巣鴨プリズンにて刑死した人々の遺書をまとめた「世紀の遺書」の収益金で昭和30年に建立されました。多くの出征兵士が、この東京駅を通り出征したということで、この地に建立されたといいます。

愛の像(アガペの像)

井上勝像の後方に、見るからにレトロな外観の建築が日本工業倶楽部ビルです。

日本工業倶楽部ビル

竣工年は1920年(大正9年)、松井貫太郎の設計。
大正期らしいモダンな要素が盛り込まれています。再開発されましたが、建物の三分の一を残して、以前あった姿そのままに復元されています。日本における数少ないセセッション様式というの建物で、実業家の親睦を目的とした社交クラブの建物です。

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日本工業倶楽部ビル

正面屋上には小倉右一郎作の二つの人像が置かれ、男性はハンマー、女性は糸巻きを手にし、当時の二大工業品目だった石炭と紡績を示しています。財界の記念碑的な存在です。

そして東京駅と向い合っているビルが丸ビル、新丸ビルです。当時の面影を残す低層部を持つ近代的な高層ビルに生まれ変わりました。

丸の内ビルディングと新丸の内ビルディング

丸の内ビルディングの竣工年は1923年(大正12年) 、設計は桜井小太郎。
昭和戦前期で最大の「東洋一のビル」といわれ、「丸ビル」と呼ばれていました。再開発で2002年に高層化し低層部に面影のみを残す高層ビルになりました。
新丸の内ビルディングの竣工は1952年(昭和27年)。規模も外観も丸ビルとそっくりで、行幸通りをはさんで左右対称の景観を作っていました。再開発で2007年に高層化し低層部に面影のみを残して高層ビルになりました。

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1953年(昭和28年)の丸の内ビルディング(左)・新丸の内ビルディング(右)
KITTEから見た丸の内ビルディング(手前)と新丸の内ビルディング(奥)

東京中央郵便局(JPタワー)

竣工は1931年(昭和6年)、設計は吉田鉄郎。
2012年に再開発によりJPタワー(KITTE)になりましたが、旧東京中央郵便局の構造躯体はそのまま残す形で保存されています。 昭和初期のモダニズム建築を代表するビルです。

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東京中央郵便局(JPタワー)
東京中央郵便局(JPタワー)

三菱一号館美術館

竣工年は1894年(明治27年)設計、ジョサイア・コンドルの設計。
丸の内最初の洋風貸事務所ビルとして1894年(明治27年)に 建てられた旧三菱一号館です。これを2010年に美術館として復元、再建したものです。

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昭和35年頃の三菱一号館
三菱一号館美術館
三菱一号館美術館

丸ノ内八重洲ビル

丸ノ内八重洲ビルは1928年(昭和3年)竣工の貴重な近代建築であるため、日本建築家協会が保存要望書を三菱地所に提出していましたが、解体されてしまいました。その一部がファサード保存され丸の内パークビルディングの外壁として保存・活用されて当時の面影を残しています。

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竣工当時の丸ノ内八重洲ビル
丸ノ内八重洲ビルのファサードが保存された丸の内パークビルディング
丸ノ内八重洲ビルのファサードが保存された丸の内パークビルディング

明治生命館

竣工は1934年(昭和9年) 、岡田信一郎の設計。
古典主義様式の最高傑作として高く評価されていました。戦後はGHQに接収されアメリカ極東空軍司令部として使用されました。再開発でも建物の全面保存が実現しています。

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明治生命館

旧第一生命(GHQ)

竣工は1938年(昭和13年) 、設計は渡辺仁。
戦前の日本近代建築の金字塔的作品でした。終戦後は連合国軍総司令部(GHQ)庁舎として接収されました。DNタワー 21として再開発されましたが、外観は保存されて腰巻ビルとなっています。

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旧第一生命
旧第一生命

さすがにオリジナルで残っている近代レトロ建築は殆どありませんでしたが、「腰巻きビル」でも当時の姿は垣間見ることができます。たまたま東京駅に来たとか、都心でちょっと時間ができたという時に思い出していただけるとありがたいです。東京駅の周辺のみで、距離的にはあまり街歩きということにはなりませんが、一度はじっくり見る価値はあると思います。

近代レトロ建築を中心に街歩きをしているのですが、ついでと言ってはなんですが、道すがら東京国際フォーラムの太田道灌像も見逃せません。太田道灌の像は日暮里駅前に騎馬像がありますが、この太田道灌像も必見です。東京駅側のフォーラム入口から入り、1階にあります。

太田道灌像

徳川家康の開幕から遡ること約150年前の1456年に江戸城を初めて築いたのが太田道灌(1432~1486年)です。この像は、1957年(昭和32)に開都500年を記念して、都庁の旧丸の内第一本庁舎に設置された朝倉文夫作のものです。都庁の新宿移転に伴いここに設置されました。

太田道灌像
江戸城天守閣

この記事は、私の「東京レトロ街歩きガイド&マップ」サイトのエリア別「Ar-01丸の内から銀座を歩く」、更に詳しくはテーマ別「Th-07今に残る近代レトロ建築」を基に街歩きをしています。街歩き検証はまだですが、記事の内容以外にもエリア別、テーマ別のガイド&マップになっています。こちらもぜひ参照ください。

またinstagramでも「近代レトロ建築」を発信していますので、訪問してみてください。


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