今更ですが…東京駅と丸の内のレトロ建築(近代レトロ建築-01)
note第1弾の記事は東京の真ん中、江戸城(皇居)を取り上げました。今回は近代における東京の真ん中、丸の内のレトロ建築です。これも外すことはできないので、真っ先に取り上げます。東京駅を起点に周囲を見渡せば一望できる範囲に、これまた皆さんが十分ご存知のレトロ建築があります。改めて見直してみましょう。丸の内はどんなところかと言うと…。
マップが見えない方(iPhoneのsafariでは警告が出る)はこちらのリンクから。
ただ、東京の中心だけにオフィス街でオリジナルのレトロ建築の保存は難しく、再開発や建替え時には低層部に一部を保存したり、当時の建築のファサードを残す手法、通称「腰巻ビル」が多く見られるのが特徴です。それでも、当時の様子や街並みが想像できるようになり、無機的な高層ビルが並ぶよりは、なんとなく落ち着きます。
東京駅 丸の内駅舎
どこから写真を撮っても絵になる建築で、その情報もネットで調べれば溢れています。超概略でまとめると以下のようになります。
これ以上は素人の私が解説しても役にも立たないので、より詳しい「東京駅の概要・歴史」のサイトをご覧ください。
どこから見ても絵になりますが、おすすめはKITTEの6階の展望テラスです。東京駅と広場、丸ビル、新丸ビルが一望できます。特に東京駅舎は日ごろ見ることのない角度から見ることができます。
また、駅前広場の左右(北口と南口)には、駅舎に向かって2つの銅像がペアのように立っています。
井上勝像
東京駅の丸の内北口に立っているのは井上勝像です。新橋~横浜間に初の鉄道開設を導いた大きな功績があり、鉄道庁長官などを歴任し日本の鉄道発展に貢献。「日本の鉄道の父」と称される井上勝の像です。1959年に朝倉文夫の制作とか。
愛の像(アガペの像)
東京駅に井上勝像と対をなすように南口のKITTE側に立つ愛の像(アガペの像)。男性が両手を広げた祈りの像。戦後、戦犯として捕まり、そして巣鴨プリズンにて刑死した人々の遺書をまとめた「世紀の遺書」の収益金で昭和30年に建立されました。多くの出征兵士が、この東京駅を通り出征したということで、この地に建立されたといいます。
井上勝像の後方に、見るからにレトロな外観の建築が日本工業倶楽部ビルです。
日本工業倶楽部ビル
正面屋上には小倉右一郎作の二つの人像が置かれ、男性はハンマー、女性は糸巻きを手にし、当時の二大工業品目だった石炭と紡績を示しています。財界の記念碑的な存在です。
そして東京駅と向い合っているビルが丸ビル、新丸ビルです。当時の面影を残す低層部を持つ近代的な高層ビルに生まれ変わりました。
丸の内ビルディングと新丸の内ビルディング
東京中央郵便局(JPタワー)
三菱一号館美術館
丸ノ内八重洲ビル
明治生命館
旧第一生命(GHQ)
さすがにオリジナルで残っている近代レトロ建築は殆どありませんでしたが、「腰巻きビル」でも当時の姿は垣間見ることができます。たまたま東京駅に来たとか、都心でちょっと時間ができたという時に思い出していただけるとありがたいです。東京駅の周辺のみで、距離的にはあまり街歩きということにはなりませんが、一度はじっくり見る価値はあると思います。
近代レトロ建築を中心に街歩きをしているのですが、ついでと言ってはなんですが、道すがら東京国際フォーラムの太田道灌像も見逃せません。太田道灌の像は日暮里駅前に騎馬像がありますが、この太田道灌像も必見です。東京駅側のフォーラム入口から入り、1階にあります。
太田道灌像
徳川家康の開幕から遡ること約150年前の1456年に江戸城を初めて築いたのが太田道灌(1432~1486年)です。この像は、1957年(昭和32)に開都500年を記念して、都庁の旧丸の内第一本庁舎に設置された朝倉文夫作のものです。都庁の新宿移転に伴いここに設置されました。
この記事は、私の「東京レトロ街歩きガイド&マップ」サイトのエリア別「Ar-01丸の内から銀座を歩く」、更に詳しくはテーマ別「Th-07今に残る近代レトロ建築」を基に街歩きをしています。街歩き検証はまだですが、記事の内容以外にもエリア別、テーマ別のガイド&マップになっています。こちらもぜひ参照ください。
またinstagramでも「近代レトロ建築」を発信していますので、訪問してみてください。
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