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映し出されたのは

10月については、たくさん書きたいものがありすぎて、全然まとまりません。
チケットを取った時期はもちろんバラバラでしたが、公演が10月に見事に集中。
今年は本当に散財祭りでした…お財布事情が危なかった…
10月を終えて、ぼやぁとした気分ですが、ひとつずつ、少しずつ、いつものように拙いながら言葉にしていきたいなぁと思います。
ただ、本当に苦手なんですよね…言語化するの。
この場所にうっかりたどり着いてしまった方には失礼な話かもしれませんが、個人的に言葉にする練習のために、こうしてネットの片隅に吐き出してみてるところもあるので。
誰かに何かを伝えるには言葉にしなくちゃだし、日々の生活の中で、「伝える」ってすごく難しい。
難しい…

気を取り直して。
散財祭りの末、迎えた10月の開幕はラグタイムからです。

*以下、ネタバレを避けたい方はそっと画面を閉じてください。



20世紀初めのアメリカを舞台に、史実と創作を織り混ぜつつも、白人の一家を軸に、黒人と、ユダヤ人、それぞれの人種間(性別間も)の軋轢と交錯が描かれるため、さまざまな意味で厚みがあり、この話題をストーリーとして3時間程度によくまとめましたね…と。
冒頭もそうなのですが、いろんな登場人物の説明セリフ的なものが立て続けに湧き出す場面も割とあるので、ぼやーっとしてる私なんかだと頭がついていかない、ときどき聞き取れないというのがありました、なんと惜しいことを…

知識がないもので、ラグタイム、有名なMaple Leaf RagやThe Entertainer、Pine Apple Ragなどがそうだとのことを知りました。
劇中、ラグタイムという音楽は、自由なようで繊細、というか丁寧な音だなぁと。
コールハウスが酒場で弾く姿から、即興演奏っぽい気がしたけど、でも何か違う??と思ってたら、基本としては譜面に忠実に演奏されるものとあって、なるほど、と納得。
井上芳雄さん自身の雰囲気もあってか、サラに会うために幾度も屋敷を訪れてピアノを弾くコールハウスの背中を見ていると、なんだか、のだめに「ちゃんと作曲家の話を聞け(譜面を見ろ)」って言ってた千秋先輩の声が聞こえてくるな。
手紙のように、論文のように、たくさんの思いと探究が詰まってる。
そこに、そろりと誰かの遊び心が加わる、というのは、私はかなり好きなのですけど笑
黒人として、というより、ひとりの人間としての誇りを熱く迸らせる姿が、井上さんの立ち居振舞い、響く歌声にすごくぴったりで。
そういえば、他人種の方々がつくって流行ったものを、白人の世界が上書きするように奪っていく、というのも、どっかでも観たなぁと思ってたんですが、ドリームガールズですね。
同じく黒人のサラ役の遥海さん、屋根裏での独唱がもうほんとに胸をついて泣きそうになりました。
まさに叫び、という感じで。

白人一家のマザー、安蘭けいさんの美しさ。
歌声にも包容力がある。
裕福で、世間的に優位な立場にあっても、人と人の間に渦巻く差別意識をあまり持つことなく、等しくあろうとするのは、世間が女性として母として求めるようなものではなく、彼女自身がほんの少しでもかまわないから役割から離れて夫と対等でありたい、そして男性たちがそうできるように自分の知らない景色を見に行きたいと願ってたからなのかなと思いました。
一方で、夫のファーザー、コールハウスとの最後のシーンのその後の彼を想像すると、清廉なマザーを前にすごく人間くさくて私は好きで、そう思えるのも川口竜也さんの手腕なのだなぁと。
ファーザー、セルフナレ死だったな…(;´д`)
ヤンガーブラザーの東啓介さん、背が高くて3階席から観ていても舞台映えする。
世間知らずでちょっと盲目で、突っ走り気味だけど、こういう若い方の向こう見ずさが時代を動かす動力になるんだろうなぁとか。
グランドファーザーとヘンリー・フォードの2役だった畠中洋さん、グランドファーザー好きです。
気難しくて短気な感じだけど、何だかんだ言って優しい、意外とファーザーよりは受け入れるの早い気はするけど、一線を退いた立場だからできるのかもしれませんね。

石丸幹二さんのターテ、抜群の歌声、ぶ厚い。
ユダヤ人の移民として、幼い娘と幸せになるために渡米したものの、「アメリカに行けば何かしら成功できる」という夢を現実に砕かれても、可愛い娘のため一心にどんな貧しさにも折れず、ついにひょんなアイデアから最終、映画監督にまでなるターテ。
ゆくゆくはマザーと共鳴するように親しくなるわけだけど、子どもを心から愛し、何より大切に守りきってきた2人だからなのですかね。
要所でターテの切り絵が背景になってたりするのですが、ときどき何だか淋しげに見えるの、何でなんだろ…

実在の人物が何人か登場しますが、その方たちが時代の空気感をしっかりこちらに伝えてくれました。
ブッカー・T・ワシントンのNESMITHさん、歌声ももちろんですが、セリフの声も低音でもハリがあって聞き良かった。
同じく実在の人物、エマ・ゴールドマンの土井ケイトさん、あとで実際のエマの写真を見たら、彼女がそっくりそのまま飛び出してきて話して動いてるっていう雰囲気で、びっくりしました。
なお、実在の役として私が好きだなぁと思ったのは、女優イヴリン・ネズビットと脱出王ハリー・フーディーニです。
綺咲愛里さんと舘形比呂一さん。
イヴリンは赤毛のアンのモデルにもなった可憐な美少女でスキャンダルの女王。
アルコールなのかおクスリなのか…??と疑うくらいとにもかくにもはちゃめちゃなはずなんですけど、ほんの一瞬だけでしたがふいに見せる冷静な目とか、綺咲さんの可愛さもあって憎めない愛らしさがありました。
不可能を可能にする脱出王の異名を持つ奇術師フーディーニが、その風貌(心の中でずっとHOT LIMITって呼んでた私)とは違って、何だかとても物事を客観的に眺めているというか、落ち着いていて、舘形さんが姿を現すとそこだけちょっと空気の流れが違う、みたいな不思議な雰囲気をお持ちでした。

あと、最後にその可愛さで全部もっていった感のあるリトルコールハウス(*´-`)
めちゃくちゃ可愛かった…彼がこの物語の最後に顔を出したはちすの花、というような。
マザーの息子リトルボーイも、ターテの娘リトルガールも可愛くて、その存在が物語の中でも小さな道筋にもなってる気がします。
どなたかも呟いておられたのですが、マザーやターテをはじめ、最後まで肩書きを呼ぶだけで名前がない方も多いです。
終わりにマザーが「ターテと幸せに暮しました」と話すのをききながら、この先に続く人生、きっと単純に「めでたしめでたし」では済まないのだろうな、と、先を生きる私たちは知っているわけで。
リトルボーイがエスケープマジックの得意なフーディーニに、サラエボ事件のことをオーストリア皇太子に事前に気をつけてって伝えてっていうのも、事件を引き金に長い戦いの日々と、希望を託した子どもたちの行く末が案じられて、何だか切ない。
ターテの切り絵の背景が、ときどき淋しそうに見えたのは、観てるこちらがそのあたりを無意識に感じてるからだったのかもしれません。
「しあわせに暮しました」というセリフも、どこかよそ事というか、願望というか、うっかりすると皮肉めいてもきこえてしまうくらいに、この物語の根底にあるものは根深い。
だから余計に、三様の子どもたちに、わずかなりとでも希望の余地を希いたくなります。
どこか、子どもに読み聞かせしてるみたいですしね、この世界はつらいこともあるけど、最後はきっとちゃんとハッピーエンドになるはずなんだよと。
多くの犠牲も払いながら、カタツムリ並みの歩みではあれど、マザーやターテ、コールハウスたちが生きた時代よりは自由になったはずだけど、まだまだ続いてる意識や、新たに生まれた悩ましい問題もたくさんあったりして、彼らと同じように、結局、いつの時代も「この先、子どもらが今よりしあわせであれば」と祈ってる姿は変わらずなのかなぁと、帰り道に考えたりしました。


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