お金にならなかったことを、お金にする
僕らは何のために生きているのか?
最近うちの裏山に隠れ天満宮があることに気づき、もっとお利口さんになりたい邪な願いから、毎朝参拝することに決めた佐浦です。
それにしても、こういう大木を目の前にすると、こんなに自然豊かな日本という国に身をおきながら、ついついオンラインビジネスの世界に常駐しがちな自分を反省する。
本当は美味しいものを食べ、美しい景色を眺め、大切な家族や友人と対面して美しい音や色を楽しむために生きているのに・・。
いったい俺は何をやっているんだ。
どうしたら、ライスワークでなく、ライフワークを仕事にできるのか?
このことについて少し考えてみると、いろいろ面白いことがわかってくる。
世の中がおかしくなった元凶は〇〇
たとえばこんな風になりたくない仕事の例として、最近AIが押し付けてくる動画広告がわかりやすい。
必要以上の不安を煽り出し、解決策としての商品を提示するお決まりの説得パターン。
「違和感しかない!」
という人も多いはず。
それでも儲かるための方法を売ることほど、儲かるビジネスはないので、さらにそんな個人事業の広告が増えていく・・。
明らかに10年遅れてアメリカから輸入されたダイレクトマーケティングの劣化コピー。
たとえこんな方法で儲かっても、少なくとも僕の幸せの定義には程遠い。
それにこの違和感は、仕事の話だけじゃない。
いま日本中で本人確認やら同意書の提示が求められ、明らかにおかしい憲法をそのままにしていたり、自分の正解を押し付ける論破野郎だったりと、不信に溢れている。
なぜか?
すべての原因は「言葉の魔術」だ。
シュメール文明の楔形文字までさかのぼって、文字や言葉の起源を探れば、
それは人間が思考して記録するための画期的発明であることは間違いない一方で、あらぬことを確定し、人を扇動し、人を追いやることもできる恐ろしい武器。
ビジネスの源泉となる「欠乏」が欠乏した現代では、多くの起業家がこの言葉によって創られる世界に魅了され、一見良さそうで飛びついてみたものの、(僕も含め)多くの日本人はそろそろ気づき始めたと思う。
ろくなことはないと。
どうやったら僕ら日本人は生き残れるのか?
と、神社の神官さんはおっしゃるように、やはり縄文の末裔の僕らには、やはり「言」より「事」だと思うのです。
つまり、そこに「有る」ことが大事で、死人がそのまま蘇る伝説を、心豊かにしてくれる物語として楽しむことはできても、現実的に心底信じることはできない。
そんな論理より直感が得意な我々日本人が、壊れかけた資本主義というOSの上で、これからも食べていくためにどうしたらよいか?
下手なマーケティングで無駄な需要を作るよりも、ほかにもっとやることがあるんじゃないだろうか?
これからの仕事は問題解決だけではないように思う。
極端な話、ただただ先人がやってきたことを、黙って踏襲して世界の注目を集めたほうがよほど価値があると思う。
たとえばこんな風に
なぜならマーケティングとは究極的には、希少を作り出すことだからだ。
こんなことを未だに続けている民族は世界にも稀である。
まさに、正解よりも意味がある。
そこで僕は、宝石から縄文土器まで、説明不要の感動を与える過去のモノ(遺産)にどんなコト(意味)があったのか?そんな永遠に終わらない謎を探求し、人間らしさを取り戻すオンラインコミュニティを本気で作りたいと考えている。
手始めに**「あっそうだったのか!宝石ウェビナー #2」**やります。
もちろん宝石に興味がない人にも世界が違って見えるような内容にしてます。
よかったら参加してね♡
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