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今、モヤモヤしてる状態なのは、自分が指導した事例を所定の書式に整理して提出せよ。テーマは7つ。それぞれについてどういう観点から指導してどういう風に改善したのかみたいなことを書く課題と向き合ってるから。    
 自分の事さえ満足にできていないのに他人様にエラそうに「指導」なんてできないよ~って心境。
 ケアマネは新規の入職でも、最低5年間は社会人としての業務経験を持っていて、しかも医療・福祉・介護系の国家資格保持者であって、その道での実務経験だから職業人としての土台は高くて当然。実際はいろいろな方がいるのだけれど、そういう前提があるから若輩者が迂闊に何か教えることなど無理。
今回の事例は、できる同僚のケースを使わしてもらったのでプランとか担会の記録など整っていてありがたい。支援経過もわかりやすく書いてある。実際、指導したというよりは一緒に悩んで考えたみたいな感じだけれど。そんなありがたい協力をいただいて、マスキングして盛ったり削ったりして提出できるまでにこぎ着けたのだけれど、改めて指導力って何だろうなどと考えてみた。

どのように教えてみても仕事できない人がいて、自分の指導力・力量がないのだろうかってことと、甘い対応しすぎてると自社の評判落とすよって書いたんだけれど、2年弱経ったんだな~って。
 因みにここで書いた同僚はまだ在籍していて老害を振りまいている、と自分は評価する。決定的にキレられたので指導とか改善は諦めた。向上しない人に関わるだけ時間の無駄。上司達、内向きでいれば良いさって傍観の立場になっている。自分は自分の身を守ることだけ考える。その方には「指導」が必要なんだって感じるけれど、届かない。誰もが遠巻きにして野放しにしてるから、一向に変わらない。

その後、今回協力してくれた新人さんが入職してくれて、指導の力量だけでなく、学ぶ姿勢の有無が成長に関わってるんだな~って実感。通所の相談員だった彼女は素直。介護の力量も支援の理解力も高い。質問してくることが、的確で聞かれた方も答えやすい。
本当の新人の頃には「教える」「指導する」感じの関わりもあったけれど、基本的なことを理解した後には、共に考えて導き出すという風になってきた。
指導とか学びもコミュニケーションなんだな~って最近よく思う。指導される側の力や気持ちがあれば、指導力低くても良好に学ぶことができるし身につく。される側の力量で、指導する側にも良い影響がもたらされる。
良い指導者は、誰にでも良い学びを与えられるのかもしれないけれど。

指導することを期待されるような経験年数になっていても、まだまだ未熟な自分。「自分はこうしてきた」とか「こう思う」「こう見立てる」って伝えることしかできない。指導する=型にはめる、ではないと思ってるし。
決定的に間違えてなければ、そのケアマネの見立てや手立てを聴いて、それによって利用者がどうしたのか、どう思うのかってことが把握できていれば肯定していくのが正解なんじゃないかと思う。利用者にとっての最善を利用者自身が見いだせること、これが一番大事なポイント。利用者にとっても担当者にとっても、探してる答えはその人自身が持っている。それを見つけ出すようにするのが、良い指導なんだろう。
 今まで継続的に指導された経験はなく、勝手にお手本にしたり反面教師をみながら経験を積んできて、自己流でしかないから根拠も自信もない。
この夏、指導力を鍛えようみたいな研修に参加するんだけれど、面倒くさいな~って消極的。一方的に教えられる、押しつけられるのは苦手、そんな自分が誰に何を指導するのか、悪夢でしかない。