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他人からの無償の愛

「無償の愛」と聞いて思い浮かぶのは、一般的には「親」なのではないでしょうか。

私の親も無償の愛を注いでくれているように思います。幼少期には、将来困らないようにと熱心に教育や習い事に投資してくれ、健康であるようにと食事を作ってくれ、ちょっと過保護なくらい私の身の回りのあらゆる危険に目を光らせてくれます。

そして私はというと、親の期待に応えるように勉強も習い事も頑張り、いわゆる優等生として育ってきました。

だからこそ考えてしまうのが、「もし私が不良娘だったなら、同量の愛情を受けられたのだろうか」ということです。

私という「ただの存在」に価値があるのか、ということをときどき考えてしまいます。何かに秀でていなければ、誰かの役に立つ人間でなければ、という条件付きの愛でないことを証明することができないからです。


だからこそ、「私というただの存在」に愛情を注いでもらったと感じる経験は尊いと思います。


私の場合、中学3年生で行った短期留学先の経験にあります。ホームステイをしたのですが、ホストマザーはたくさんの愛情を注いでくれました。

半分くらいしか伝えたいことも伝えられないし、何か喜ばせられることができるわけでもない、場を盛り上げられるような明るさもない、そんな私にとことん向き合い、ときには心配し、自然体でいる私を認めてくれ、大切に思っているということを言葉にして伝えてくれました。

もちろん、お金を払ってステイさせてもらっていましたが、ビジネスではない愛情というのを感じ、不思議な感覚になったことを覚えています。

早いうちにあの経験ができて本当に良かったなと思います。いわゆる自己肯定感の向上につながるし、大げさではなく生きる支えになっているように感じるからです。



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