落ち込んでいる人へ贈りたい本#本棚


「今、人生のどん底だ」っていうぐらい、落ち込んだり傷ついたりしている人が目の前にいたら、この小説と甘いお菓子をそっと渡してあげたい。

お菓子は何がいいだろう、そうだ、カステラがいい。カステラは消化にいいし、栄養価も高いから、きっと食べたら元気が出ると思う。

けれどその人は今、そんな気分じゃないだろう。もしかしたら、渡しても嫌がられてしまうかもしれない。

小説とか読まないから。
カステラとか要らないから。
あなたにわたしの気持ちなんてわからないくせに。

そう言って、断られるかもしれない。でも仕方ないと思う。その人は今、人生のどん底にいるのだから。


なので、体の水分が全部涙に持っていかれるぐらい、もうわんわん駄々っ子のように泣いて泣いて、泣ききってお腹が空いたら、カステラを食べて、それで気持ちが落ちついたら、少しずつこの小説を読みすすめてみてほしい。


ゆっくりでいいからね。

そんな声かけもできたらして、回復を願うだろう。わたしには多分、そんなことぐらいしかできないと思うから。


そう思わせてくれる小説だった。


この小説と先月はじめに出会ってから、もう連続で3回読み直している。というか、先月はこの小説しか読んでいない。1度全てを読み終えて、時間が経ってから再読する、というのはよくやることだけど、連続で何回も読み直した小説は、はじめてだ。


主人公のほたるみたいに大失恋したわけでもない。「人生どん底だ」って思うことは生きていると何度もあったけれど、それはわたしにとって今じゃない。

なのに、何度も読み直したくなるのはなぜだろうか。自分なりに考えた結果、この小説に流れる「ぬくもり」や「つながり」が、とても居心地がいいものだったからだと思う。


裏を返せば、わたしは今、そういうものに飢えているのかもしれない。だから言葉を超えて伝わってくるつながりに、強烈な憧れがあって、惹かれてしまうのかもしれない。


主人公のほたるを取り巻く人々はあたたかい。おばあちゃんも、るみちゃんも、みつるくんも、ほたるにあまり近づきすぎるのではなく、心配しすぎるのでもなく、ちゃんと自分の生活を営みながら、ほたるのことを見守っている。誰とも比べず、ほたるをほたるとして認めている。

みつるくんとの過去もそうだし、みつるくんのお母さん、お父さんとの出会い(ちょっと特殊だけど)など、小説のなかは誰かと誰かの手と手がつながっていくように、輪が広がっていく。それがとても心地よかったのだ。


都会で暮らしていた頃のほたるは、「カメラマンの彼」しかいなかったかもしれないれど、ここではほたるはひとりじゃない。「あなたもひとりで頑張らなくてもいいよ」って、小説にそう言われているみたいだった。そして、わたしも同じようなことを誰かに言ってあげたいなあ、と思ったのだ。


この小説は、川の隙間に存在するような町が舞台となっているためか、川という表現が多く使われている。二度と戻ってこない川の流れは、時に綺麗なもので、時に恐ろしさを感じるもので、それを受け入れたり抵抗してみたり。

私は、時間をかけて、自分がちゃんと流れ着くようなところへ行こう。
そのためには、もう少し時間をかけなくては、と思った。みつるくんのお母さんのように、時の流れをおそれずに、もう充分だと思えるところまで。


この文章を読んだとき、
「あぁ、どこにいても、何をしても、わたしはわたしでしかないんだな」
と思った。

それは今まで頭ではわかっていたようで、わかっていなかったことだった。なので、やっとわかった、と初めて思えて、わたしにとっては視界がぱあっと開けるようなことだった。

だからもう充分だと思えるまで、この場所で色んなことを見たり聞いたり、感じたりしたらいいのだと思う。

そしたら次に行くときが、必ずくるから。


もう4回目はしばらく読まないと思う。



ありがとうございます。文章書きつづけます。