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今いる場所で呼吸、できていますか

 朝起きてすぐ、窓をあける。
それから大きく3秒ぐらいですう―っと息を吸ったあと、10秒ぐらいかけてゆっくりゆっくり息をふう―っと全部出し切る。
数回これを繰り返すと、だんだん周りがスローモーションのように、ゆっくり動いているのを感じる。それは寝そべって雲をじいーっと眺めると、ゆっくりゆっくり動いているのがわかるのと、何か似ている。

自分のなかに空気を送りこむと、新しい1日が始まった、と思う。それには良いも悪いもない。ただ、カレンダーをめくるように、新しい1日が始まる。

今日もわたしは深呼吸をする。

この朝の儀式は、noteを書くのを休むようになってからだ。マインドフルネスや瞑想、というのが流行っているが、そんな大げさなものではない。かかっても1分程度のものだ。でも、なんなんだろう、とてもそれは不思議な気分なれる。

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「時間と競争しなさい」

小さい頃から「早くしなさい」とセットで言われ続けてきたことばだ。人一倍何をやるにも時間がかかり、どんくさくて、グズで失敗ばかりのわたしは、毎日毎日時間と競争してきた。けれども30年以上生きてきて、多分今まで一度も勝ったことがない。何千敗、いや何万敗?とにかく負け続けている。

もちろん、グズで周りにペースを合わせられない自分が嫌で変えたかったし、時間に勝つためにも色々な本を読み漁り、試した。

「できる人はやっている!時間の使い方」
「グズを直す本」
「少しでも効率よく、仕事をする方法」
「片付けをすれば、効率よく動ける!
 時間短縮法」
などなど…

一時期、このような題名の本が、わたしの本棚に堂々と居座った。そしてわたしはその本棚を拝み、あれこれ自分なりにやってみた。

一通り試したけれども、本に書いている方法はわたしにとっては難しかった。むしろ時間がかかってしまい、時間に勝つには逆に程遠くなってしまった。(今だから言えるのだけど、こういう本は「こうすればいかにも簡単にできますよ」と書いてしまうところがちょっとずるい。全然そんなことないんだから)

「できない?そんなのは言い訳で努力不足だ」
「もっと頑張りなさい」
「成長しなさい」

なんでも器用にこなす、いわゆる「できる人」はわたしにそう言った。
でもわたしはできなかった。

できないくせに、なぜかやりたいことはたくさん増えていく。雑誌を見ては、ああこんなていねいな暮らしをしたい、綺麗な部屋に住みたい、よし、片付けなきゃ、と思って片付け始めたはいいけれど、要領が悪いため結局散らかすだけ散らかして、時間だけが過ぎていく。ご飯づくりもそうで、こんな時間からこんな手間がかかるものを作っても、明らかに食べるのが遅くなるだけだろうとわかっていながら、でも「食べたい!」の気持ちが勝ってしまって、結局食べるころには食べる力が残っていないという、本末転倒な事態。生活自体は楽しいけれど、1日1日がどんどん急かされるように過ぎていくし、時間に勝つどころではなくなってしまった。

…もう時間との勝負はいいんじゃないか。

ふと、そう思った。

30年以上生きてきて、時間には勝てなかったのだ。…そうだ、わたしは争い事が好きではないし、勝つことに正直興味がないというか、競争というものが性に合っていないのだ。それに体ひとつしかないのに、あれこれ同時にいろんなことをできるはずがない。それでなくても器用じゃないのに。

逆にどうだろう、時間と仲良くなってみるのは。

時間と仲良くなりたい、と思った。仲良くなったほうがいい。そっちのほうが自分の性にも合っている。

では時間と仲良くなるには。

それは時間の「声」を聞くことだと思った。それには自分のペースでひとつひとつの時間と向き合うことが必要だと思い、「〜したほうが早い」や、「〜したほうが楽、効率的」「〜している間に〜をやろう」と考えることをまずはやめることにした。つまり、ながらや同時並行をやめることにしたのだ。なるべく一つのことを終わらせてから、次に行くことを心がける。それが時間に歩み寄る一番の方法だと思った。

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ご飯はゆっくり、一口ずつお箸を置いて、30回噛んで食べる。もちろんスマホは見ないし、仕事の資料なども見ない。自分の耳の中で咀嚼音を聞きながら、一口一口を味わう。洗濯物も一枚一枚、手触りを感じながらゆっくり干していく。掃除をするときも、掃除機の動かす自分の手に集中して、細かいごみが吸い込まれる様子をじっと見ながら、隅々まで掃除する。

そうすると、不思議なことが起きた。 

いつもならバタバタ終わるお昼休憩の1時間が、とても長いのだ。あんなにゆっくり昼食を食べたのにも関わらず、だ。あれ、お昼休憩まだ終わってないなあ、こんな長いこととっていいんやろうか、と何回も時計を見直したけど、やっぱりまだ時間はある。見間違いじゃない。他にも、いつもなら夕食を食べたあとは必ず何かスナック菓子をつまんでいて、それでもお腹が満たされないときがあるのだけれど、お菓子を食べなくてもお腹がいっぱいになって、動けなくなった。夕食の量は減っていない。つまり、ゆっくり食べることによって、どか食いが減ったのだ。お菓子をつまんだとしても、クッキー1枚あれば十分。そのあとお菓子を食べる時間が減ったのもあって、すぐに洗い物にも取り掛かることができて、そのあとお風呂に入って、好きなことをする時間が増えた。

よくわからないけれど、1日の時間がとても長くなったように感じ、心が満たされる時間も同時に増えたのだ。少しは時間と仲良くなれたのだろうか。時間と仲良くなるってこういうことなのかなあ。それだったらとてもうれしいことだ。

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1分は実は結構長いことを、時々忘れてしまう。巷にあふれる時間短縮法は、本当に効率的なのだろうか。結局時間短縮を頑張ったとしても、わたしの場合時間短縮になっておらず、あまり意味がなかったような気がする。短縮した時間でまた別の用事をたくさんたくさん詰め込んでいたのだから。

わたしにとっての時間短縮って一体何だったのだろう?

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気持ちに余裕ができる時間が増え、わたしは朝以外にも常に深呼吸を意識するようになった。そして、自分が今までちゃんと呼吸ができていなかったことに気づいた。

好きなことをしているときは、
時々興奮しすぎて呼吸を忘れていた。

苦手なことや苦手なひとに会ったときは、
緊張して呼吸を忘れていた。

怒っているときは、
もう何がなんだかわからなくて、
その人のことばかり頭の中で痛い目に合わせて、呼吸を忘れていた。

呼吸ができないことは、いずれにしろ自分にとって、とても苦しいことだったのだ。

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ゆたかさとは。
それはその時間と本当に仲良くできているかどうか、なのかもしれない。そして自分がその場所で呼吸ができているかどうか、だ。

例えばていねいな暮らしをするために身を整えたり、ちゃんとすることは大事だけれど、その生活を維持しなければとそこに固執して、自分が呼吸をするのを忘れていては、それは意味がない。せっかく自分が過ごしやすくしようとしているのに、呼吸ができないなんて、なんだか滑稽なおはなしで。 そしてどんなにお金を稼いでいても、なんのためかわからず、自分の時間すら持てないほどになってしまっては、それも自分を苦しめるだけだ。
もしかしたら感覚が麻痺して自分が呼吸していない、ということにすら、気づいていないのかもしれないけれど。

…といいつつも、忙しくなればまたわたしは時間と喧嘩をするだろうし、競争するかもしれない。けれども自分は自分のやり方で、時間とこれからもいい距離を見つけていきたいと思っているし、それを忘れないようにしたい。

あなたは今、その場所で呼吸、できていますか。

        ※2020.8.2 下記あとがきを書きました


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ありがとうございます。文章書きつづけます。