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100均の手鏡を覗いたら、今までとちょっと違う世界が見えたはなし 【その2】

その1はこちらから↓


1ヵ月が経った。鏡を見るうちに、外見も内面も、自分にしかわからない変化があった。そして、見えないものが見えた。

肌が水分を吸い込んだら、生気率があがった

基礎の基礎、化粧水、乳液、(気分が良い時は試供品でもらった美容液)保湿クリームを本っっ当に、真面目にちゃんと塗ると、日々見てさわっていくうちに、砂漠肌が湿っていった。そして肌が水分をちゃんと吸い込んでいくようになって、前よりはちょっとマシになった。

肌がカッピカピって感じがしない…!

これは大きな進歩だ。
ちゃんと肌が、化粧水に毛穴をひらいていっている。よくわからないけれど、あまりにも水分不足だと、肌の色も悪くみえるのだろうか?
鏡に映した顔は、前はもっと黄色くて肌色が悪かったけれど、少し白くなって、肌の色も明るくなった。スキンケアって大事だなあ、と思った。

皮がずるむけだった唇は、マスクをしていようがしていまいが、どんなときもリップを毎日塗っていたおかげで、ほぼ荒れなくなった。
唇に色と艶を足すだけで、「生気率(%)」ってこんなに違ってくるんだなあと思った。
自分調べでは以前は生気率11.1%ぐらいだったのが、今は生気率30%ぐらいにあがっている。
さわった感じと見た感じで勝手に自己判断したことだけど、肌が水分を吸い込むのと比例して、生きる気力がわいてきたということだ。

歯医者で褒められる

以前は適当に磨いていたので口の中がざらざらしていたけれど、こちらも鏡を見て、本っ当に真面目に磨くようになってから、そのざらざら感がちょっとずつなくなった。フロスも最後の仕上げにもちろん使う。毎日の汚れを溜めない、ということは大事だなあと思った。溜めるからしんどい。でも他のことでしんどいから、溜めてしまう。わかっているんだけどなあ。

そして最近定期健診に行ったら、美人の歯科衛生士さんに
「前に来たときよりも出血も減っているし、歯茎の状態もよくなっていますね!フロス習慣にできていますか?いい感じです〜!」
と褒められた。
嬉しい。
子どものときから褒められるより怒られることの方が多くて、大人になったらますます褒められなくなってしまったので、これはとても嬉しかった。
褒められるって何歳になっても嬉しいなあ。
そのあと綺麗にクリーニングしてもらったのだけど、自分の手ではできない汚れを機械でとってもらって、気持ちよかった。
その帰り、新しい歯ブラシを買って、また手鏡を見た。この日は口の端っこだけをあげたような笑い方じゃなくて、ちゃんと笑えていた。

マスクの下で、自分だけのお守りを

初めは笑うことで痛かった顔の筋肉が、あまり痛くなくなってきた。

「鏡を見たら、笑ってみる」

それが習慣づいて、マスクの下で笑うことも苦にならなくなってきた。
鏡を見る、笑う、リップをつける。
この一連の行為が、だんだん自分にとって大事なお守りのような、儀式のようになっていった。

しかし、いつもいつも笑うことができない日だってあった。体調や気候の関係で情緒不安定なときがあり、何やってんだろう自分とか、やっぱり欠陥人間なんだとひとりでわんわん泣いたこともあったし、昔の嫌がらせのような出来事を思い出して、一人で腹を立てていることもあった。

そういう時は、やっぱり鏡を見た。それはそれは酷い顔をしていた。泣いている時は目からも鼻からも出るものが全部出て、顔がぐしゃぐしゃで目が真っ赤に腫れていたし、誰かを恨んでいるときの顔は、我ながらすごく怖い顔をしていた。あの心霊番組に出てくるような、お化けの顔。
ある意味、違う自分があらわれていた。ああ、怒ったり、誰かを恨んでいる時って、こんな醜い顔をしているんだなあと思った。

しかし鏡にそんな自分の顔を映すことで、
「ああこんな顔をしていたらあかん。これでは良いことが起きない、良いものが入ってこないぞ」
とハタと泣き止んだ。
怖い顔をしていたら、ほっぺを一人でペチペチと叩いた。そうすることで、すごく落ち込んでも、立ち直りが早くなったような気がした。

あとは仏頂面を辞めるようにしたからか、職場でなぜかよく話しかけられるようになった。
普段の休みは何をしているのかとか、昨日の夜ご飯の話とか、こういうレシピがいいとか、本当にとてもたわいもない話。
わたしはわいわいやるよりも一人が好きだし、自分から話す方ではない。会話のスピードや内容についていけないこともあって、雑談も得意なほうじゃないので、なるべく一人でいるようにしていた。けれどもそういうちょっとした会話を交わすことで、なんとなく心落ち着くときもあったし、有益な情報を得られることもあった。(これって もしかしてちゃんと雑談できているのかな?)
もちろん
「あ、今日ここに居たくない、嫌」
と思ったら、何を言われても即外に出て、一人の休憩時間を満喫する。
でもちょっと話すと、
「ああこの人ってもっとこんな感じだと思っていたけど、こんな面もあったんだ」とか、
「こんなことが好きなのか」とか、
時々今まで見えなかった人の意外な1面が見えるようになった。
そして自分は自分が思っていた以上に、色々な人のことを全部決めつけすぎていたのではないか、と思った。本当は違うかもしれないのに。
それはその人の一部分なだけかもしれないのに。
自分は何様なんだろう、とこれはすごく反省した。
それも大きな発見のひとつだった。


…もうちょっとつづく


ありがとうございます。文章書きつづけます。