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100均の手鏡を覗いたら、今までとちょっと違う世界が見えたはなし【その3】

その1とその2はこちらから↓

鏡の前で呪文は唱えなくてもいい


『姫ちゃんのリボン』という少女漫画がある。
すごくざっくりいうと、魔法の国から姫子と瓜二つの顔をもつエリカがやってきて、「このリボンを貸してあげるから、1年間水晶であなたのことを観察させて」と言うのだ。もちろんこのリボンはただのリボンではない。これをつけて鏡を見て呪文を唱えると、別の誰かに変身できるのだ。ただし1時間だけ。1時間経ったらまた呪文を唱えてもとに戻らなければならない。姫子はこのリボンを手にして様々な人に変身し、ハプニングを起こし、恋をし、その人にしかわからない悩みを知り…という成長物語だ。

鏡を見て呪文を唱えるだけで、自分以外の別の人に変身できたら、どんなに幸せだろう。

変身願望の強いわたしはよくそう思ったものだ。
美人なあの子になりたい。
頭の良いあの子になりたい。
好きな男の子に好かれるあの子になりたい。
とにかく自分以外だったら誰でもよかった。
けれど現実世界はもちろん、魔法の国から瓜二つの顔を持った少女が現れるわけではない。
誰かになりたくてもなれない。
一生自分からは逃げられない、ということを身をもって知っていく。

「人は変われる」という。
けれど、わたしは根本的に人は変わらない、変われない、と思っている。
もしも仮に全く別人のように変身できたとしても、きっと一時的なその時だけ。変身し続けた姿でいようとすると、だんだん無理をするようになって辛くなっていき、呪文を唱えなくても変身は次第に解けていくだろう。
だから今までの自分を全否定するような形で無理に変わろう、変えようとしなくてもいいんじゃないかなあ、と思う。大丈夫、大丈夫。


人は変われない。
変身はできない。
けれども、けれども。

その素質や性格を保ちながら、違う自分を、自分で引き出すことはいくらでもできるのではないだろうか。

変わろうと思わず、自分のなかの引き出しを増やす。そして新しいものをそのなかに入れていく。
そうすることによって、「あ、こんなことが意外にできちゃうんだ」とか、「今までやったことなかったけどこういうことをすると結構楽しい」とか、「意外と実はこれ向いてなかったりして」とか、新たな発見をすることができる。そうすることによって、見える景色はまた違ってくるんだな、と今回まだ1ヶ月ほどだけど、わかってきた。
それがもたらす結果は、意外に悪いものではないと思う。

何かあったとき、考え方の幅や視野は広いほうが良い。
今ある壁の向こう側を見てみたい。
なので、他人にとっては小さなことかもしれないけれど、これからもコツコツ色々やってみようと思うし、良い意味で自分や周りを疑っていこうと思う。

100均の鏡を見ても変身はできない。
けれども違う引き出しを持つことによって、世界の幅を広げることはできるし、違う世界を覗くことはできる。
鏡の向こう側はまた違う世界が広がっている。


そんなことを感じた1ヶ月だった。



ありがとうございます。文章書きつづけます。