人を傷つけているとき、同時に自分も傷つけている
先日、仕事で大きなクレームを受けた。
クレームには色々なものがあるけれど、今回のはネチネチ型だった。
「対応が悪い」から始まり、あれが悪いこれが悪いと手当たり次第、目につく全てのものの、悪いところを並べ立て、最終的にあなたそのものが悪い=人格否定になる、というパターンだった。
前の会社でクレーム対応にある程度は慣れていたので、相手のペースに流されてはいけないことぐらいわかっていたけれど、やはり人格否定されるようなことを言われ続けると身に堪える。
最初は自分の何が悪かったのか考えて、相手は一体何を望んでいたのかを想像し、時に相手にできるだけさりげなく尋ね(怒るひともいる、いや、大体怒られる)、それでもわからない。
そのうち何をやっても尽くす手がないことに気づき、感情を失くしていく。
感情を失くすのは自分の身を守るためだ。
けれど、それがそのうちなんのためだったかなんてわからなくなっていき、自分は感情すら感じちゃいけないんじゃないか。
そう思わせられてしまう。
その間も少しずつ少しづつ、心が削られていく。
「誠意がなっていない」「申し訳ございません」というやりとりを2時間以上。
途中からは上司と一緒に謝り続けた。
結局金銭で解決したので、最初からそれが目当てだったのかもしれない。
途中から、胃がキリキリと痛んで、変な話、なんだかホッとした。
「ああ、わたしも機械じゃなかったんだ」と思った。
☆
今回の人もそうだったけれど、明らかに理不尽な要求をしてくる人たちの目は、皆一緒の目をしている。
切羽詰まったような、血走ったような目だ。
瞬きひとつせずに、ギロリと目を見開いてこちらを直視してくる。
なんだかそれがとても辛そうなのだ。
好き勝手に言いたい放題人格否定してくるくせに、言っている本人もとても辛そうなのだ。
前に対応した人は「親の介護に疲れている」ということをあとで知った。
今回の人も、何か嫌なことをネチネチと言われていたのかもしれない。
わたしたちに言ったような人格否定されるようなことを、言われ続けていたのかもしれない。
人を傷つけているとき、同時に自分も傷つけている。
これは本当のことなのだろう、と思った。
⭐︎
「機械みたいな謝り方、しないでよ!!」
辛そうなその人に、大声で言われ、また謝った。
それはこちらの身を守るためです、と心の中で呟いた。
感情をなくすことが上手になってしまったので、時々自分の扱いに困る。
感情を確かめるために、否定しないために、こうやって書いているところもある。
その日、久しぶりにおつまみつくって、お酒を飲んだら、美味しかった。
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