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いい子じゃなくてもいいんだ

今日嫌なことがあった。
誰かに愚痴を言いたい。
共感してほしい。

相談した。
幼い頃の相談相手は親しかいなかった。

「そんなんあんたが悪いねんやろ」というのが、いつも返ってくる答えだった。

あぁ、そうか、集団でうまくできないわたしが悪いのか、と思った。

勉強も運動も飛び抜けたものがなく、最後から数えたほうが早いわたしが悪いのか、と。

なぜか、女子のコミュニケーションのなかのいざこざでやっていけなくて、めそめそ泣いてしまうわたしが悪いのか、と。
(大人になってもそうだけど、小中の女子のコミュニケーションは本当に独特だと思う。今考えても、よくやってこられたよな、あの中で…と思っている)


そのうち誰にも相談することができなくなり、愚痴も言えなくなった。

どうせ自分が悪い。
悪態をつけるような、そんな立場ではない。
人のことを悪く言うなんて、そんなことを思う自分が悪い。

…と頭ではわかっているのだけど、心から思うことができない。

納得できない悔しい気持ちやら腹が立つ気持ちやら…どこでどう表現していいのかわからず、「ぐぬぬ」と唸ってしまうことのほうが多かった。


今思えば、親はそういう意味で言ったんじゃなくて、多分「つべこべいわずに、そういうひとたちを見返してやりなさい」ぐらいの気持ちで言ったのだと思う。


ただ、自分の求めていたものが違っていた。

一緒に「それは向こうが悪いやん」って共感してもらって、いっぱい話聞いてもらいたくて、味方になってほしかったのだと思う。


そう、味方がほしかった。


そのうち何も言わないから「大人しい子」ということになり、なぜか「大人しい子は周りに逆らわない、いい子だろう」ということになり、小学生ながらにこれはなんだか勝手にできあがったイメージを押し付けられているのではないか、と怯えたが、なんとなくこのまま蓋をしといたほうがいいのだろうな、と思い、黙っていた。

 ★


すみれさんは、孫係。わたしは、爺係。
それぞれ、係をきちんとつとめあげませんか。
ちくま文庫『おまじない』p79


『おまじない』の「孫係」を読んで、すみれがおじいちゃまとのそんな「秘密の協定」を結んだとき、心からホッとした。


すみれは間違いなくいい子だ。


わたしみたいに自分本位な考えで拗らせて周りに悪態をつかないのではなく、「周りを悲しませないように」という理由で、悪態をつかない。けれど、つい心の中で悪態をついてしまう自分に、嫌気がさしてしまう。

それでも「どんな場面でも性格のいいわたし」であり続けるのは、絶対しんどい。いつか壊れてしまう。そんな時に「お互い係に疲れたら、悪態をつき合おう」と、おじいちゃまが手を差し伸べるのだ。


おじいちゃまがこの「秘密の協定」を結んだのは、これが初めてではない。
かつて「秘密の協定」を結んでいたのは、亡くなったおばあちゃまだった。
すみれから見たおばあちゃまはお上品で、華やかで、格好良くて、優しくて、会う人みんなに好かれていた。すみれも大好きだった。


けれど、おばあちゃまは、おじいちゃまとふたりのときは、仲良しの友人の悪口を言う、たいそうな毒舌家だった。ただ、それは絶対におじいちゃまとふたりきりの時だけ。普段は「誰も傷つけないみんなを思いやる素敵な人係」を見事にこなしていた。

こんなおばあちゃまとおじいちゃまのような関係ってすごくいいなあ、と思った。人数は少なくても、周りにそうやって理解し合える人がいれば、もうそれで十分だな、と思った。

得をしようと思って、係につくのはいけません。あくまで思いやりの範囲でやるんです。
ちくま文庫『おまじない』p83
みんな根はいい子なんだ。それをどれだけ態度に表せられるか、ですよ。
ちくま文庫『おまじない』p84


おじいちゃまの係をこなす上でのアドバイスは、生きることを少し楽にしてくれそうだ。


 ☆


「え、それタケ子全然悪くないやん。おかしいやろ、その人が」

今も会う高校時代からの友人は、昔わたしにそう言ってくれたことがある。
食事をしたときに、思い切って悩んでいることを相談したのだ。

わかってくれた。わかってくれる人がいた。
それだけでじぃーんとして、荷が降りたような気がした。


ついこの前会ったときは、彼女から真剣な相談を受けた。
彼女は何も悪くなかったので、「え、おかしいやろ、向こうが」
とわたしは言ったし、一緒にその人の悪口を言い合った。

「誰にも言えないことで、タケ子に初めて相談した。そう言ってくれてちょっと楽になった。ありがとう」と言ってくれたときは、本当に嬉しかった。
彼女も言うのに勇気がいったのだろうなと思う。ずっと彼女の味方でいたいと思った。

『おまじない』の最後、長濱ねるさんとの対談で、西さんは「そんなにずっと正しくおられへんねん」「素敵な老夫婦、だけど醜い時間も共有している、というのが祖父母のキャラクターになっている」とこの「孫係」について語っているが、この子とはこれからもいい時間だけじゃなくて、醜い時間も共有したいなあ、と思った。

いい子じゃなくてもいい、悪態をついてもいい、ただし、思いやりのある範囲で限られた人にだけ。

今はインターネットもあるし、疲れたらこっそり見えないように悪態ついて、また次の日から「〇〇係」をこなしていけばいいのだと思う。

年齢がいけばいくほどわけのわからない「大人だから係」が増えるけど、無理しない程度にちゃんとやっていこう、と背筋が伸びた。

頑張ろう。

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