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食べる、生きる、循環する

家の冷蔵庫が好きだ。

決して大きな冷蔵庫ではない、自分と同じぐらいの背丈の冷蔵庫だ。

先日など、仕事中、無意識のうちにキーボードで reizouko と無意味に入力・変換してしまっていて、あわててバックスペースを連打したほどだ。


あの四角のフォルムのなかに置かれた、食べものたち。ひんやりした、けれども間違いなく自分をつくる、あたたかい食べものたち。食べものたちは、冷蔵庫のなかで呼吸し、生きている。

そして、冷蔵庫のなかで大人しく待ってくれている。

ああ、考えるだけで愛しい。


食べものたちを頭に思い浮かべながら、今日は何を食べようか、と考える時間は、とても楽しい。

 ☆

最初からこんなふうに冷蔵庫に愛があったわけではない。

冷蔵庫が好きになったのは、夏に大掃除をしたあとからだ。

上から1段ずつ、冷蔵庫の中の食べものを全部取り出して、ガラスの仕切り板を丁寧に拭いていく。

そしてとりだした食べものたちの賞味期限を確認し、すぐに使うもの、使わなくてもいいものに、わけていった。こんなのいつ買ったんだろう、というものも、まあまあ出てきて、おどろいた。

供養しなければ。

「大体火を通せば食べられる」という家庭で育ったので、もう明らかに臭いとか、見た目の変色とか、味とかがおかしいなと思ったもの以外は、全部お焚き上げすることにした。


しわができたミニトマト、玉ねぎ、いつ買ったかわからない冷凍ブロッコリーは、もう賞味期限が切れて湿気てしまったマジックソルトをふりかけて、焦げ目がいい感じと思えるまで、炒めた。


しなびたキャベツは、適当に千切り、塩もみをしたあと、これまた賞味期限切れのお好み焼きのソースをたっぷり塗った食パンの上にのせ、さらにマヨネーズ、ピザ用チーズをのっけて焼いた。気分がよかったので、目玉焼きもつくって、のせた。

他人には食べさせられないな、と心の中でちょっと笑いながら、食べた。

ある意味、特別な食卓だと思った。


他にも、誰にも食べさせられない、且つ名前のない料理をたくさんつくって、消費した。消費目的なので、全くおなじものは、もう作れない。もう二度と出会えないので、味わって食べた。決して映えない料理だけど、とても美味しかった。


もしかして、「美味しい」のハードルって自分が思っているよりも、低いんじゃないだろうか。

そう思うようになった。

 ☆

それから、冷蔵庫にルールを決めた。
少ない食材で、美味しく食べるルールだ。


・今の「食べたい」気持ちを大切にすること。
・明日のことを考えないこと。
・買うときはなるべく使う分だけ、買うこと。


どの段も左側には冷蔵庫用のトレーを置いて、使いかけの細々したものや、中途半端にあまった野菜を入れていくことにした。


右側は特に決めずに、自由な空間にして、余裕を持たせる。置くのはなんでもいい。


今は、1段目にはカスタードリン(3つ100円)と、うめぼし。2段目には作り置きおかずのじゃこピーマン。野菜室にはにんじん3本。


こんなふうに、買ったばかりのものとか、作り置きおかずとか、ちょっとしたおやつとか、解凍中のお肉とか、本当にさまざまだ。


冷凍庫も同じようにした。

上段のトレーには使いかけのものをいれて、下段にはお肉とか、冷凍餃子とか、冷凍ご飯など、傘の高いものをいれていった。


…結構あるもので、なんでもつくれるな。


冷蔵庫をきれいにし、整理すると、そう思うようになった。

例えば、左側のあまり野菜のアボカド、サラダ豆をマヨネーズとほんの少しのわさびチューブ、醤油で和えたら、ちょっとしたサラダになる。


あまり野菜のピーマンと玉ねぎと豚肉をしょうがで炒めて、醤油と酒、味醂で味付けして、ご飯にのっけたら、りっぱな豚丼。


そうやって、最近は、左側の使いかけの食材が消費されたら、右側の食材が新しく左側に移動して、それがまた消費される、を繰り返している。

それがちょっとずつうまくなっているような気がしている。

ああ、なんかいい感じだ。こういうのをなんていうのかな、そう、循環。

今すごく、冷蔵のなかが循環している…!

それは体に血液が循環しているのと同じようだった。

冷蔵庫のなかの食べものたちが、そこから出たら体に入り、めぐり、また出ていって、新しいものが入る。

自分の体はそうやって作られていくんだ。

そう思うと、冷蔵庫と自分が、つながっているように思えた。


よく考えれば、疲れているときや、心に余裕のないとき、冷蔵庫のなかはいつもパンパンだった。循環が滞っていた。

満たさなきゃ、と思うほど満たされない。
またそれにイライラした。

満たされていないのは、多分お腹ではなくて、心だったのだ。

まずは自分の心を満たす必要があったのだ。


今日も部屋の隅で、冷蔵庫は佇んでいる。
帰ってきたら、迎えてくれる冷蔵庫。

つめたいようで、あたたかく、しずかに、おおきくそこにいる。

さあ、今日は何を食べようか。


昨日コンビニで買って結局食べなかった回鍋肉が残っていたはずだ。

あれご飯に合うし、美味しいんだよなあ、と思いながら、今日も扉をあける。

明日もやってくるから、食べるんだ。


唯一映える写真。逼迫食材ドライカレー。アボカドはあとでのっけた。

ありがとうございます。文章書きつづけます。