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自分の中にCEO/CFO/COOを立てる 〜 世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?〜

人生は決断の連続である。毎日大小様々な選択肢に迫られ、都度判断している。その際に根底にあるのは「論理」と「感覚(美意識)」だろう。
本著ではこの「論理」の飽和と「感覚」の重要性について記載されている。

【注釈】
・「アート(美意識)」と「サイエンス(論理)」のバランスが重要なだけであって、どちらか一方が良/悪とかではない。論理は重要で最低限備えておくべき素養である。
・アート(美意識)=倫理、語彙力、直感、感性、デザインであって、芸術鑑賞を指すものではない。個人的には「倫理」と読み替えた方が良いと思う。

論理の重要性

ビジネスにおいて論理的思考は非常に重要である。パターン化された事象に対して数値を用いて分析し、課題を特定しながら解決していく。確かな根拠をもとに進めていくこと自体は非常に重要であり、ビジネスの根幹を担っている。

一方で「論理」には限界がある、
・差別化
・新しい事象に対しての弱さ

である。

【差別化】
これは論理的思考を突き詰めると同じ結果がもたらせれることによって「正解のコモディティ化」が起きてしまうことを指している。
日本はこの「差別化」において「コスト」「スピード」をもって行っていたがこれもAIの登場によって完全に決着することになる。
日本企業の多くが先行企業の後追いで「コスト」「スピード」で差別化を行った上で成り立っていたのが1970-90年代なのだとするとわかりやすい。
当時の企業は「ビジョン」なんかなくてもなんとかなった。なぜなら同じビジネスモデルを「コスト」「スピード」で差別化すれば良いのだから。それができなくなってきているのが現代だ。
※人材業界における広告媒体や家電業界なんかがイメージしやすい。

【新しい事象に対しての弱さ】
これは論理は、過去データやパターンから「演繹的に」考えることであって、これらのデータが存在しないと考えられなくなる。
ちょうどコロナウイルスの例がわかりやすい。いまだかつてない困難に直面した時に、過去の事例から導き出そうとしてもデータがないと急に判断ができなくなってしまう。これが論理の弱点だ。

ただ、注意したいのは「非論理」が良いわけではない、ということである。

勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし

という言葉がある。野村克也監督が歴史から引用した言葉である。
ここにあるように後述する「直感」によって勝ちをもたらすことがあり、論理で測れないことはあるかもしれないが、負けにおいて論理で説明できないことはない、という示唆深い話である。

上記より、「論理だけで勝つことができた過去→正解のコモディティ化/論理の弱点が露呈した昨今、どうして行けばいいのだろうか」という問いになる。

ここで出てくるのが「アート」である。

アートとは

こちら著作ではアートとは「直感的/感性的な判断」「真・善・美」のことを指している。
これらが求められる理由は以下である。

ルールが存在しない中で倫理的に正しい判断をする必要がある

DeNAのWELQ問題やコンプガチャ問題は「実法主義」的な考え方であり、法律が整っていなかったので問題ないと思った、という考え方である。
この考え方が良いか悪いかはさておき、その後の顛末を考えると「実法主義」は考える必要があると思う。
今後このような事象は多く出てくると思う。今のコロナに関してもそうだ。

重要なのはその判断するタイミングで「真・善・美」の感覚で正しくジャッジをしてあるべき姿に沿わせて判断することが重要だと思う。

会社とはビジョンで生きている。その会社が何をしたいのか、どのような社会を実現したいのかが原動力でありこれは「アート」である。しかし、経営をしていく中で株主主導で物事が決定され、営利目的で動くことによって「ビジョン」が薄れ、「アカウントビリティ(説明責任)のある」「経済的効果が見込める」判断になってしまう。

ここに対しての対応策として以下の分業があげられる。

・CEO:Planの役割(アート思考でビジョンを打ち立てる)
・COO:Doの役割(クラフト思考でオペレーションを作る)
・CFO:Checkの役割(サイエンス思考で経済合理性を確認する)
※クラフト思考:過去経験からの組み立て

企業におけるバランスはこのように取ることで正しく進むだろう。

切り開くための攻めの意味での「アート」、倫理上間違った判断をしないためにも必要な「アート」。「正しいこと」をやっていくと道中で損することはあるかもしれないが、最終的には良い方向に向いていくのが常である。

倫理観とは

システムに沿って物事を行う力は誰しももっている。しかし、この「システム」が正しいかどうかがわからないことが厄介である。

DeNAの問題も悪いことをしようと思ってやったわけではない。ただ会社の空気や考え方に対して「正しい」ことを行っただけである。
ナチスもオウムもそうだ。彼らは彼らのシステムの中の正義を全うしただけであって、彼らに悪意はない(わからないけど)

重要なのは「井の中の蛙」にならないようにするためにもフラットに今の共同体から出た上で俯瞰して物事を捉えることが重要である。

「アート」を養うためには

(1)読書(詩) ※アニメ等も含む
・物語の人生や判断、情緒的な移り変わりを文章で見ることで「アート」を養うことができる
・メタファー(比喩)の引き出しを増やすことで「アート」思考を豊かにする

(2)絵
著作の引用に、「菫を知っているものは菫を見た時に、「菫だ」と認識をし、それ以上の感性を持たないのに対して、菫を知らない人はその花の美しさに心打たれ、より豊かになる」的な話があった。
我々は無意識に物事に対してパターン化して効率的に判断をする癖がついているがこれが心の豊かさを得る機会の損失にもつながる。
そのためにも示唆深い絵を見て、感じ、その上で新しい見え方を人と会話することが「アート」を鍛えることにつながる。

まとめると

自分が最近意識している「正しい人間たれ」に近い感覚な気がした。
企業においても人間においても今まで以上に正しい「ビジョン」を持ちそれに則って物事を判断することが重要であり、その「ビジョン」をより良いものにするために「アート」が必要だと感じた。

自分の中にリトルCEOとリトルCFOとリトルCOOを立てる。この感覚を持ち続けよう。

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