私の中の小さな革命。あいまいに笑うのやめてみた
こんにちは!すぎちゃんこと平あかりです。先日Xでつぶやいた内容に反響が多かったので、心境をくわしくつづってみようと思います。
空気が読めるってめんどくさい
私は子どもの頃から、かなり場の空気を読むほうでした。読みすぎて言いたいことが言えなくて、言葉を飲み込んでしまう。
心の奥にまるで雨が降る直前の濃いグレーの雲のような、どんよりと重い空ものを溜め込んで、鬱々とした気持ちを持ち帰ってしまうこと数知れず・・・。
学校や職場などの逃げられない場所では、「我慢」という鎖で自分をしばり、かなりのストレスを抱えていた。
その結果、過敏性症候群や円形脱毛症になるなど、ストレスから体調を崩すことも一度や二度ではない。
「空気が読めて気がきく」という、人からみれば美徳に思える面も、私にとっては、ストレスを抱えやすいだけ。「もっと気がつかない人に生まれたかった」なんて思うことも数知れず・・・。
合わない場所から離れる
ストレスからの体調不良で、保育士をやめフリーランスに。「自分に合わない」と、感じる場所や人とは、距離を置くよう自分の感覚を大事にしてきた。するとストレスは激減。メンタルからくる体調不良はほぼなくなったのである。
今まで散々「我慢してきた自分」をそろそろ解放させてあげたくて、合わないものから「とことん離れる」という選択で、自分を我慢させる時間は大幅に減った。
もう我慢はやめよう
合わない場所から離れてきたけれど、徳島に引っ越し彼と地元で飲む機会が増えた。
徳島で気がかりだったのは「田舎独特のコミュニティになじめるか」。実は私は18歳まで岐阜で育ち、短大進学のために大阪へ。田舎独特の空気感がなんとも合わず、高校卒業と同時に都会へきた経緯がある。
田舎のコミュニティは狭く、知り合いの知り合いは皆友だち。大体どこかでつながっている。私にとっては、いつも誰かに見られている気がして、正直息がつまる。
田舎で飲みに行く場所は限られているので、彼と2人で出かけても知り合いに「ばったり」なんてしょちゅうある。
飲んでいるときの話題は「人の噂話」「過去の思い出話」などが多い。お酒が入ると、仕方ないのかも知れない。けれど私にとっては、苦痛な時間。「なんの我慢大会?」と、すら思ってしまう。
家に着くと、「また我慢してしまった・・・」と後悔し、昔のように「雨が降る前のグレーな雲を心に抱えている状態」になっていた。
その話題は嫌です
ある日彼と飲んでいるときに、彼の知り合いがきてまた私の嫌な話題が出た。皆酔って、声も大きくなり心地良さげ。
前も同じような話題が出たとき「もういやだぁ」と。笑いながら言ったことはある。なんの効果もなく、さらに話がふくらんでしまう結果に・・・。
「もう今後その話は聞きたくない!」と思っていたので、今回は笑わずはっきりと言おう!と思った。「まわりからどう思われてもいい。自分に我慢をさせるのはやめよう!」
パンと手を叩き「はい!その話題は終わり。私それは嫌です」と言ってみた。
「シーーン」となる4人テーブルのお酒の席。「えっ?何?」みたいな目で、一瞬見られた。前の私ならここでひるんだだろう。でもひるまない「私の前で、その話題はやめてください」と、もう一度冷静に言ってみた。
酔っ払いのおっちゃんたち相手に、よく言った・・・。
根はいい人たちなので、今までの私とは違う雰囲気を察したのか、ハッとした表情で「そうだよね。ごめんね。気がつかなくて」「ちょっと調子に乗りました・・・」と、謝ってくれたのである。
自分を守るのは自分
今まで嫌な話題が出ても、あいまいにやり過ごしてきた。なんか言って波風立てるのは、めんどくさい。「流しておけば、また違う話題に移るでしょ」と、自分から空気を変えず、誰かが変えてくれるのを待っていた。
今回は自分の中で「小さな革命」といえる出来事。あいまいに
笑うだけの私から「私それは嫌なんです」ということで、「私はこういう人です」と宣言できたようにさえ思う。
狭いコミュニティの中では、すぐに噂は広まるだろう。田舎のコミュニティの中で、その場を楽しむためにゆる〜く長くお付き合いするためにも「私そういうの無理なんで」と、言っておいた方が良くない?と思えるようになった。
「自分の感受性くらい自分で守れ馬鹿者よ」と言った人がいる。守るためには、盾やバリアが必要だ。
「やめてください」この一言がなかなか言えずにきたけれど、自分を守るために「やめてください」と、言える自分でありたい。
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