知っておきたい!学校にはびこる2つの文化が問題児をつくり出す現実
あの子は本当大変な子だ!
みんなと同じようにできなくて困る!
すごい目立つんだよねあの子・・・。
このように、学校内で「問題児認定」された子は、目の上のたんこぶのように扱われる。
つまり、先生としては、うまく学級経営していく上で「困る存在」として見てしまうのだ。
何を隠そう、若い頃のボク自身がそうだった・・・。
しかし、教育学を中心に心理学、脳科学、哲学、など人について学んでいく中で、自分の考えは間違っていることに気がついた。
子どもが悪いのではない!
学校教育にはびこる文化が悪いのだ!
という答えにたどり着いたのだ。
つまり、今までの歴史の中で醸成されてきた学校文化が、子どもを問題児に仕立て上げている!ということだ。
その学校の文化がなければ、問題児扱いされずにすんだ子どもたちがたくさんいるのだ。
では、どんな学校文化が、問題児を生み出しているのだろうか?
ボクは、主に以下の二つの文化が原因だと感じている。
一つは、「みんな平等思考」だ。
「みんな平等にしなさい!」
「不公平がないようにしましょう!」
「特別は許しません!」
というのがそれだ。
もう一つは、「全体主義的思考」だ。(個人の利益より全体の利益を優先する思考)
「全体に合わせなさい!」
「自由な行動は慎みなさい!」
「個人的な意見は受け付けません!」
というのがそれだ。
「ん?二つとも大切なことじゃないの?」
「学校で生活する上で当たり前のことじゃないの?」
と思われた方もいるだろう。
確かに、それ自体が全て悪いことではない。
しかし、この2つの思考(文化)が強すぎることで、子どもを不幸にしているという事実があるのも現実だ。
子どもたちは(人は)、基本的に個性豊かだ。特に情報革命が起こり、グローバル化した現代は、価値観も多様化してきている。
また、ADHD、LD、ASDなど発達障害の研究も進んできている。
そこではっきりとしてきたことは
✔︎障害名がつく、つかないに関わらず、人にはそれぞれ、向き不向き、得意不得意があるということ。
✔︎それぞれの特性に応じて環境を整えることが成長には不可欠ということ。(環境調整)
✔︎この環境調整を間違えると、人の成長を著しく阻害するということ。(二次障害)
ということだ。
つまり、何が言いたいかというと、今の学校は、先ほど説明した、「みんな平等思考」「全体主義的思考」によって環境調整がうまくいっていないということだ。
それ故、学校内で問題児が生まれることになる。
例えば
・元気いっぱいで体を動かすことが大好きなAさんは、落ち着きがない子
・好奇心旺盛なBさんは、集中力がない子
・一人で思考するのが好きなCさんは、協調性のない子
というように、学校文化に適応できなかった子たちは、問題児としてのレッテルが貼られてしまうのだ。
このような子たちは、学校から一歩出ると問題児でなくなることが多い。
つまり、学校文化が問題児をつくり出している!ということだ。
また、学習面においても
「視覚優位」…情報を「見て記憶する」のが得意
「言語優位」…情報を「読んで記憶する」のが得意
「聴覚優位」…情報を「聞いて記憶する」のが得意
など個人において感覚の優位性も違う。(認知特性)
学校で行われている、チョーク&トークの授業形式は、基本、聴覚優位な子に適合した学習方法であり、視覚優位、言語優位な子どもにとっては適さない。
だからといって、一人だけ「IC機器で学びたい」というのは不平等だ!といって即却下だろう。
みんなで、同じ内容を、同じやり方で、同じペースで学ぶことが大前提なのだ。特別は許されないのだ。
学校で、学力不振に喘いでいる子も、学び方を変えるだけでかなり学力が向上するというのにそれを許されることはない。
このことを端的に表しているのが以下の絵だろう↓
平等とは何なのか考えさせられる。
学校という歴史を見れば、「少ない人員(先生)で、大量の子どもたちに知識を注入しなければいけない!」というミッションがあったため、このような「みんな平等」「全体主義的」文化が生まれてきたのはわかる。
しかし、いじめ、不登校、校内暴力、学級崩壊という様々な問題が噴出している現代において、もうこの文化は機能しなくなっていることは明らかだ。
また、AI学習、動画教材など、デジタル教材が次々に生まれてきている。もう時代は、個別最適化した学習が可能になっているのだ。
あとは、学校が勇気を出して、もう陳腐化して害悪となりつつある文化をかなぐり捨てるだけだ!
今こそ教育変革の時!
より良い教育の実現に向けて動き出そう!
以上、ガクせんでした。
最後までお読みいただきありがとうございました。
良い一日を!
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