KoIke(ゆるに)

会社経営をしている頭ゆるふわな元ひきこもりニートです。

KoIke(ゆるに)

会社経営をしている頭ゆるふわな元ひきこもりニートです。

最近の記事

色々考えた結果「どうでもいい」が正解って事は多々ある

世の中には、僕程度では 言語化できない抽象的な事象が沢山あるのだと思う。 人間関係や人生などにおいて 何か問題が起きた時や疑問が生じた時に そもそも明確な答えが出ることは少なくて… そんな時は 「どうでもいい」あるいは 「なるようになる」 「しゃあない」「人間だもの」のような 曖昧な答えが最も正解に近いような気がする。 例として、人間関係のトラブルで言えば ・カップルの痴話喧嘩 ・親子関係の軋轢 ・上司部下の相性の悪さ のような問題が発生すると思うが 多くの事は、「どうで

    • 『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』は人の心を抉る。

      最近読んだ本のを感想を書く。 Twitterでバズっていた 麻布競馬場と言う人の短編小説をまとめた本の事だ。 この本の登場人物はみんな不幸だ。 不幸と言っても、何か悲劇的な事件が起きるわけではない。 暴力や貧困に直面するわけでもない。 普通に東京や、その近郊都市で暮らしている人達だ。 では何故不幸かと言うと 原因はおそらく承認欲求だろう。 親、世間、社会に認めてほしいと… 肥大した自己愛と承認欲求に押しつぶされて 何者にもなれない自分の未来を憂う不幸だ。 完全なフィク

      • 世間の人はニートに興味がない、悪い意味で

        僕はニート問題について、 割と真剣に考えている。 ニート問題と一口に言っても ひきこもり、雇用問題、就職氷河期、貧困など 様々な問題が絡んでくるのだが それに関するニュースはよく調べることが多い。 関連しそうな書籍は読んだりするし 大学等で行われている 学術的な集まりに参加してみたこともある。 それは僕が元々当事者として 悩んでいた時期があった故の行動だろう。 一方、 世間の多くの人はニート問題に関心が無い。 まあ、それは仕方がないし、当然のことだ。 しかし悪いのは

        • 運を良くするための方法?について

          僕は運が良いと思う。 と言ってもクジ運に関しては良くないし ソシャゲのガチャを回せば 大損することが多いタイプだ。 街中で怖い人に絡まれたりするし 変なタイミングでトラブルが起きたりはする。 そういう意味での運は あまり良いとは言えないと思う。 とは言え、曲がりなりにも 無職ひきこもりニートから一応社会復帰し 現在それなりの生活をしている。 ここに至るまで ラッキーパンチをいくつか決めてきたことは 客観的に運が良いとしか言いようがないだろう。 そこで何故、僕の運が良いの

        色々考えた結果「どうでもいい」が正解って事は多々ある

          美容院で髪を切られすぎただけで人生について考えるくらい落ち込んだ…。

          先日美容院へ行った。 そこは地域がらみの付き合いのあるお店で 美容師さんとは店員と客というより、 ちょっとした友達のような関係性だ。 地域に根付いた美容院で、 特にオシャレというわけではなく、 美容師さんも年配で 若者(?)が積極的に来るような 雰囲気でもないのだが 別に技術が低いわけでもなく 店主と仲も悪くないので行っていた。 僕の髪の毛は男にしてはかなり長かった。 ミディアムロングというのだろうか、 肩くらいの長さの、 ワンレンボブみたいな髪型にしていた。 今回は

          美容院で髪を切られすぎただけで人生について考えるくらい落ち込んだ…。

          ひきこもりを数年やってみた結果、得られたモノもあるという話

          たまには元ひきこもりっぽいコトを 書こうと思う。 僕は一応、元ひきこもりガチ勢である。 ガチ勢…が、どの程度のものなのかは 各々ラインが違うのかもしれないが 少なくとも僕は 数年ほぼ部屋から出ていなかった。 とは言え、コンビニに行くことはあったし 年に数回、友達と遊ぶ機会はあったけども…。 それは勿論、決して楽しいものではなく 苦行のような日々だったと記憶している。 さて、そんな時代を振り返って 自分なりに学び取ったモノについて 考えてみようと思う。 当然、ただの持

          ひきこもりを数年やってみた結果、得られたモノもあるという話

          「あいさつをしよう」というルールは組織に必要なのか?

          先日某ソシャゲをやっていて、 所謂、 ギルド的なモノに勧誘されたので入ってみた。 そこは緩い感じで特に細かいルールはない、 という触れ込みだったのだけど ひとつだけルールがあるらしかった。 それは 誰かがログインしたら挨拶しよう! というやつだ。 正直、 めんどくせーと思った。 入ったばかりだけど、ちょっと抜けようかなと思うくらいには……。 もちろん、いくら社会不適合者寄りな自分でも 挨拶くらいはするし、 挨拶そのものは嫌いじゃない。 むしろ好きだ。 そして挨拶は円

          「あいさつをしよう」というルールは組織に必要なのか?

          不労所得ニートへの道はとても険しく、高い壁を越える必要があるよって話

          SNSを徘徊していると、自称ニートによく出会う。 特によく目にするのは 「ニートだけど、不労所得があるんで問題ないです。」 みたいな人である。 亜種として、「20代でFIREしました。」とか「ニート(投資家)です。」 みたいな奴らがいる。 勿論、 僕もそんな感じのキャラを演出してる怪しい輩の一人だけども・・・。 さて、「こんなにたくさん不労所得で生活しているニート達がいるのだから 自分でもなれるかも…?」と、そう思う人もいるだろう。 しかし現実は非情である。 彼らのほとんど

          不労所得ニートへの道はとても険しく、高い壁を越える必要があるよって話

          オワコンな日本(?)を生き抜くための心構え

          昨今、令和時代はヤバいとか、日本はオワコンだとか 日本に未来はないよね、とか巷でよく言われている。 まぁ、それは正しいのかもしれない。 だが一方で、オワコンだからといっても 日本が消えてなくなるわけではないはず。 我々は、そして我々の子孫は 例え日本がオワコンだろうが、生きていくんだろう。 なんらかの生業を見つけて、営みは続けていくだろう。 生きやすいか、生きにくいかは別として。 今日はそんなオワコンな時代でも 「生きやすい」生き方について考えてみたいのだが、 キーになる

          オワコンな日本(?)を生き抜くための心構え

          世間では自己肯定感という言葉が一人歩きしている件

          SNSを徘徊していると気になる事がある。 自己肯定感という言葉が一人歩きし 色々な人が間違った意味で使っていることだ。 自己肯定感を正しいニュアンスで使っている人は 非常に少ない。 自己肯定感とは、 ありのままの自分を受け入れられる感覚 「自分は生きてるだけでまぁいいや」と思える そんな感覚のことである。 決して「俺は出来る」とか 「私は他人より可愛い」とか そういう類の感覚ではないのだ。 他者より自分が優れていると思う感覚は 自己有能感といわれるもので、 自己肯定感

          世間では自己肯定感という言葉が一人歩きしている件

          共同体への参加が難しく、孤独になってしまう人について…

          昨今、いわゆる「無敵の人」を減らすために どうすればいいか、という話が話題になる。 そしてその解決策として 孤独な人を減らそう…ということがよく言われ そのために 例えば地域の人と損得感情無しで支え合うような 共生社会を目指そう みたいな結論が一般的にある。 既に世間には、 アプローチの幅は十分とは言えないが 障害者グループホームやデイケア、シェアハウスなど 共生社会を一部担う役割を持つ 取り組みが存在している。 また、個人レベルでも 孤独な人同士でネットを介した繋が

          共同体への参加が難しく、孤独になってしまう人について…

          ひきこもりは自己責任なのか…?

          まず、人がひきこもる原因を簡単に考えてみよう。 人がひきこもる理由としては、内的原因と外的原因があると思う。 そして、それらは複合的に絡み合っているのではないだろうか。 内的原因とは、自信の無さや、精神の抑うつ状態、疾患・障害や社会的能力(コミュニケーション能力や仕事のスキル)の不足、 外的原因とは、不景気や、社会に蔓延る差別偏見、慣習、負の経験 (学校でのいじめ、職場でのパワハラなど)を言うものとしよう。 そして、例えば前職で受けたパワハラが原因で、 再び就職して働く自

          ひきこもりは自己責任なのか…?

          多様性社会というディストピアについて

          「みんな違って、みんないい」 「ナンバーワンよりオンリーワン」 このような言葉を日本では日常、よく耳にするし メディア等に乗せられて「多様性って大切」と思っている人も多いだろう。 しかし、心から、そう思えている人はどのくらいいるのだろうか? 集団にそれほど上手く馴染めた経験のない僕は甚だ疑問に思う。 日本には、幼少期から異物を排除する文化・慣習があると感じている。 子どもの間で発生するいじめ問題もその一端だと思うし 教師も「社会性の教育」の名の下に みんなと同じことをしな

          多様性社会というディストピアについて

          人生何とかなってしまいそうな元ひきこもりニート…これまでを振り返る。

          はじめに 始めに簡潔に述べますと、僕は愛知県生まれで、 現在は東京近郊のとある衛星都市で暮らしています。 まがりなりにも大学は卒業しましたが、その後 数年間ひきこもりニートの様な生活を経験し 紆余曲折あり、 現在は一応、会社の経営のようなことをさせて頂いてます。 こう言うとすごい人だと思ってくれる人がいるのですが、 決してそうではありません。 メディアにはひきこもりから成功者になり、 活躍してキラキラしている経営者や作家、芸能人など 案外多く出られているように思いますが、

          ¥100

          人生何とかなってしまいそうな元ひきこもりニート…これまでを振り返る。

          ¥100