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世間の人はニートに興味がない、悪い意味で

僕はニート問題について、
割と真剣に考えている。

ニート問題と一口に言っても
ひきこもり、雇用問題、就職氷河期、貧困など
様々な問題が絡んでくるのだが
それに関するニュースはよく調べることが多い。

関連しそうな書籍は読んだりするし
大学等で行われている
学術的な集まりに参加してみたこともある。

それは僕が元々当事者として
悩んでいた時期があった故の行動だろう。

一方、
世間の多くの人はニート問題に関心が無い。
まあ、それは仕方がないし、当然のことだ。

しかし悪いのは、
無関心な故に一次的な情報に踊らされ
凝り固まった偏見を持っている人がいることだ。

ニート問題を
さほど興味関心のない人達が
日常会話レベルの場で語る時
嘲笑する空気が流れているように感じる。

僕のような、強い元ニートは別として
現当事者や予備軍の人がその場にいたとしたら
おそらく傷付くのではないだろうか。

このような空気を作っているのは
やはりマスメディアだろう。

マスメディアが作り出すニート像は単純だ。
象徴的なのは
働いたら負けかな思っているニート君だ。
今の若い人は知らなかったりするので
参考画像を貼り付けておく。

さて、別に彼の実態は知らないが

マスメディアが作り出すニート像は
望んで働かず、
身勝手に親や社会に迷惑をかける人達
である事がほとんどだ。

それは最近でもそうであるような気がする。

ニート(或いはひきこもり)と紹介されるのは
精神的な病故に働けず、
叫んだり親に暴力を振るってしまう人
だったりする事が多い。

ある程度まともだなと思ったのは
NHKの『こもりびと』くらいだ。

実態としては
元から望んでひきこもり・ニートをしている人は
かなりの少数派なはずだ。

リストラされて無職になった人は
可哀想だから叩き難いが
ニートは自分から望み選択したのだから
自己責任の正義棒で好きに叩いたり
嘲笑する事ができる
そんな空気が社会には依然存在している。

就職する事ができなかった
氷河期世代がかつて、
自由に生きる道を選んだフリーター
として紹介され
自己責任論を押し付けられた構図に似ている。

“望んで働いていないのだから、
貧困で、孤独で、嘲笑されて当然だ。”

ニートとは
勤勉な日本人にとってのガス抜き要員
叩いてストレス発散する為の道具なのだ。

コレは、要するに差別だと思う。
先の大戦時のドイツにおけるユダヤ
最近のパンデミックにおけるアジア人叩きと
似たようなモノと言えば分かり易いだろうか。

あまりよくないことだ。
僕も現役ニートだった頃は、
世間からの負のイメージに苦しんだ覚えがある。

僕は無関心そのものは悪くないと思う。
自分に関係のないものに興味を持ったり
背負ったりすることは大変だ。

大して知識もないのに
興味本位で首を突っ込んで、
当事者に迷惑をかける人もいるし
それよりはマシな場合も多い。

しかし無関心にも善悪はある。
療育の世界に好意的無関心という言葉があるが
そのくらいがちょうど良い気がする。

これは障害者問題や
一部途上国の貧困問題に対してもそうだろう。

無関心なら無関心でいいと思う。
しかしそれならせめて、
問題解決の足を引っ張らない様にしたいものだ。


最後までお読み下さり、有難うございました。

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