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すくーる、かーすと。

「全然、大丈夫!」

いつからか、この言葉が口癖になっていた。

まだ暑さの残る9月。

高校3年生になった私は、高校生活最後の文化祭のお化け屋敷リーダーになった。

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「リーダー!これ、ここ置いといていい?」

「...えっ、あっ、うん!」

_ガタッ

_バシャッ

「ああっ...」

貞子の絵を書いていた私は突然の呼びかけに驚き、筆を持った左腕の肘でバケツをひっくり返してしまった。

絵の具で群青色に染まったバケツの水がスカートを濡らす。フェノールの臭いが鼻をさし、肌にへばりつく衣服がいい塩梅に心地が悪い。

「わ、お前何やってんだよ〜(笑)制服、汚れてんじゃん!大丈夫か?」

聞き覚えのある声に身体がピクっと反応する。

「あ、全然大丈夫!」

(...また、だ。)

「大丈夫には見えねえけど...。近くに水道あるし洗い行こ?な?」

「本当平気だって!(笑)それにほら、もう文化祭まで時間ないし。これ完成させちゃいたい!」

(汚れ、帰って洗ったら落ちるかなあ...)

「でも絵の具って時間経つと落ちにくくなるんじゃねえ...?お前がいいって言うならいいけどさ」

「んー、家帰ったら漂白かけてみる!ほら、久保田くんも自分の仕事もどって!(笑)」

(えっ。落ちなくなるの?それは困るな...)

「...へーい」

(...あーあ。行っちゃった...。ほんっと、可愛くない自分。せっかく好きな男の子と仲良くなれるチャンスだったのに。強がって自分で突き放しちゃった。しかも絵の具落ちなかったらどうしよう。お母さんに怒られるんだろうな。あーあ、こんな性格もうウンザリ。)

「...はあ。」

いつもこうだ。意中の人に話しかけられると声は上ずるし、挙動不審になる。挙句の果てに強がってしまって、甘えるなんて以ての外。

零れた水を雑巾で吸い込み、少しずつバケツに戻すという作業をこなしながら一人反省会をする。

「きゃ〜!久保田くんやめてよー!(笑)」

「お前が最初にイタズラしてきたんだろ!(笑)くらえっ!(笑)」

「きゃーー!!」

背後から久保田くんとクラスメイトの女の子が楽しそうにじゃれ合ってる声が聞こえる。

気になる。

でも、振り返るなんてしない。

それに、注意だってできない。

せっかくの文化祭なんだから皆が楽しい方がいいに決まってる。みんなが楽しんだ分、リーダーの私が頑張ればいいんだもん。

黙々と一人で作業をすすめる自分と、久保田くんの周りに集まるキラキラした人たちの間には気づけば高くて大きな壁ができているように思えた。

......................................................

__ちょうど1か月前。

お昼休みのあとのHRで文化祭の話が持ち上がった。

先生が淡々と黒板にチョークで文字を並べていく。その間、寝ている人もいればお昼休みに盛り上がった話題を授業そっちのけでそのまま続ける人もいた。

こっそりマンガ読んだり、音楽を聴く人も。バカみたいに真剣に黒板の一言一句をノートに書き写してるのは私と、眼鏡をかけた数人の「受験ガチ勢組」くらいだった。

黒板に綺麗に整列された文字。私もこんな綺麗な文字が書けたら少しは自分に自信がつくのかなと思い、いつもより少しだけ丁寧に書いてみた。

先生が手についたチョークの粉を払うように「ぱんっぱんっ」と音を鳴らした。クラスの目が一斉に教室の前方に集まり、さっきまで話で盛り上がってた生徒もピタッと静かになった。

「はい、みんな席戻れー。今からお前らの最後の文化祭の役員を決めるぞ〜」

「うわー。」

「えー、めんどくさーい」

「適当にくじ引きしようぜーー」

教室内がざわつく。

「おまえら、わかってねえなあ。これこそ青春じゃねえか」

ワイシャツの袖のボタンを外し、腕まくりをしながら白い歯を見せて微笑むまだ若い新米教師。私のクラスの担任、「新渡戸先生」。

「にべっちゃんがリーダーやってよ〜(笑)」

「それいい!賛成!」

「もはや【新渡戸先生のイケナイ大人の授業in保健室】とかでよくない?笑」

生徒に友達のように慕われる先生は、なんだかんだでクラスの人気者で学校の人から愛されていると思う。左手の薬指で光る指輪は、思わず目を逸らしたくなるほど輝いて少し羨ましくなった。

「俺がそれやってもいいけど、その代わりそこで儲かった金は全部俺のもんだぞー!嫁との新婚旅行に使っちゃうけどいいのか?」

「「「えーーーー!!!!!!」」」

生徒が一斉にブーイングして笑いがおこる。

「嫌ならお前らでなんかやってみろ!先生も全力で力になるぞ!儲かったらその金でみんなで焼肉行こうな!!」

「焼肉くいてー!」

「先生に独り占めされたくないな。」

「みんなで打ち上げ楽しそう♪」

先生は本当に生徒の心を掴むのが上手だ。気分の乗らなかった生徒の心にいとも容易く火をつける。

「きっと好きな人もそうやって手に入れたんだろうな」と1人教室の一番後ろの隅っこの席で冷静に分析する私。

盛り上がる生徒を愛するわが子のように優しい眼差しで見つめる先生の様子をぼーっと見ていると、ふと目が合ってしまった。

思わず目を伏せ、机の上に置いてあった文化祭のお知らせの紙を読んでるふりをする。

(やばい...ずっと見てたの気づかれてたかな。変な勘違いされたら嫌だな。ってそれはないか、先生だし…既婚だし。)

「んじゃーまずはリーダー決めるところからだな。誰かやりたい人いるかー?」

「「「...。」」」

「って誰もいないのか(笑)さっきまでのやる気はどうしたお前ら〜」

「えー。だって、リーダーはちょっと...」

「ねえ。あたし、たぶん向いてないし...」

「俺がやったら絶対グダグダなる」

「それなw」

「おい、否定しろ!(笑)」

こういう時でも久保田くんはクラスメイトを笑いの渦に巻き込んで場を和ませてしまうからすごい。

「...はあー。どいつもこいつも頼りねえなあ〜。よし、じゃあここは推薦制にしよう!誰かこいつなら任せられるってやつがいたら紹介してくれ!」

先生の言葉に教室の生徒は前後左右の人と話し合い、ざわつく。私はというと、昨日買った山田悠介さんの著書「リアル鬼ごっこ」を机の下でこっそり読んで時が過ぎるのを静かに待っていた。

読めば読むほどその物語の世界観に惹き込まれていく。気がつけば、周りの声など聴こえないほど入り込んでいた。

「コンッ...!」

「痛っ。」

いきなり頭を叩かれ、大して痛くもないのに反射的に「痛い」という言葉を発してしまった。本から目を離し顔をあげると、そこにはさっきまで黒板の前に立っていた「新渡戸先生」の姿が。

慌てて本を隠そうと机に押し込むが、教科書にひっかかり机の下に落ちてしまった。

「あ、これは...すみません。」

言い訳が見つからず、観念して素直に謝ると先生は無言でそれを拾い上げ、ペラペラとページをめくった。自分の頭の中を探られてるようで恥ずかしい。

周りを見渡すといつの間にか私の方に視線が集まっているのに気がつき、恥ずかしさのボルテージが限界を超え顔が沸騰するように熱くなった。

(え...?なに、なんでこんな見られてるの?久保田くんまでこっち見てる...!!!?!)

何が何だか訳も分からず、まるで新渡戸先生に頭の中の脳みそをぐちゃぐちゃにかき混ぜてられてるような感覚に襲われた。

(恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい...逃げたい)

「なあ、渡部。」

真剣な顔で真っ赤になった私を見てくる先生。

「は、はい。」

声が上ずる。

「これ...めちゃくちゃ面白いじゃん!!!佐藤さんだけ襲われるって設定考えた山田天才だな!!!!」

「は、はい...!面白いですよね。伏線もしっかりしてて、何より臨場感が伝わってくる描写が好きです。」

さっきまでの真剣な顔が一変、興奮した様子で話す先生に思わずつられて笑顔になってしまう。いつの間にか恥ずかしさも校舎の外に飛んでグラウンドの土に紛れ消えていった。

「たしかに描写が細かい。この話を元にした【お化け屋敷】なんてあったら面白そうじゃないか?」

「山田悠介「リアル鬼ごっこ」版のお化け屋敷ですか。それは新しくてわくわくしますねっ!」

「だろ?よし、文化祭の内容の候補も決まったし渡部リーダー!あとの進行はよろしく頼むな!」

「...え?」

「もしかしてさっきの話し合い全く聞いてなかったのか?堀田がお前を推薦して多数決とったお前以外のクラスメイト満場一致でリーダーに決まったんだぞ?」

「...えっ?えっ?」

頭の中の小人が忙しなく動く。くるくる歩き回る思考についていくのが精いっぱいだった。

「お前、ずっと下向いてたから恥ずかしくて何も言わなかっただけかと...。まあ、成績良いし、面倒見も良いお前なら大丈夫!よろしくな!」

「...えーーー!!!!ちょっと待ってください!私、やるなんて一言も。それに私なんかよりもっとできる人なんてたくさ...」

「なんでっ!渡部さんにやって欲しい!いつもクラスの人のこと影で優しく見守ってくれてるの知ってるから推薦したんだよ〜」

言葉を断ち切るように、甘ったるいチョコレートフラペチーノみたいな声で話すのは私を推薦した張本人、「堀田さん」。

「堀田さん」とははっきり言ってそこまで親しいわけじゃない。あくまで「さん」付けで呼び合うくらいの、そんな関係。

嫌いというわけではないけど、どちらかというと真逆のタイプ。彼女はイケイケのグループの「長(おさ)」みたいな女の子だった。きっと彼女のことだから、このままHRが長引くのが面倒で「害のない大人しい子」を推薦したのだと容易に理解することが出来た。

「堀田さん、そう言って貰えるのは嬉しいけど私、行事のリーダーとかやったことないし皆を盛り上げられるかどうか...」

言葉が詰まる。小さい頃から言い合いが厭で、大勢の前で発言するのが苦手だった。

「俺も、渡部にやってほしいかも...!堀田の言う通り面倒見いいし、周りのこと客観的に見れそうだし。なんかあったらクラス皆で支えるよ。な、お前ら?」

久保田くんの言葉に周りにいたキラキラグループが「お、おう」と反射的に頷く。

(久保田くんまで、そっち側なのか)

言葉に、心が抉られる。
視線に、胃を握られる。

それを見た堀田さんはとても嬉しそうだった。それもそのはずで、堀田さんも久保田くんのことが好きなのだ。

何度も告白しては振られ続けているらしい。それでも好きという気持ちは消えることはなく、「寧ろ加速する一方だよ。」と昼休みに教室で大声で話していたのを聞いたことがある。メンタルの強さだけは尊敬したい。

「ほらほら〜。久保田くんもそう言ってくれてるんだし渡部さんどうかな?」

ワントーンあがったねこ撫声で問いかけてくる堀田さん。耳が痛い。

「うーん、そこまで言うのなら...」

ここまで来たら後にはひけない。これ以上このやりとりを長引かせたくないし、断る勇気もあいにく持ち合わせていない。

「よし、決定!渡部リーダー、これからよろしくお願いします♪」

ぱちばちぱち...

まばらで腑抜けた拍手をうける。誰も期待なんてしてないような枯れ果てた音だ。

「おー、話まとまったみたいだな!それなら話進めるからリーダー前に出てこい!」

いつの間にか教卓に戻り、前の授業で行われた数学のテストの採点をしていた新渡戸先生。

(自由人極まりない、世渡り上手教師め...。)

先生を貶そうとしたのに、褒め言葉になってしまった。やっぱり先生には敵わない。重い腰をあげ机と机のあいだを小股で歩き、クラスメイトの視線をかき分け先生の隣に立った。

教室の前から見渡す景色は、後ろの隅の席がお気に入りだった私にとってまるで別世界に降りたってしまったように思えた。

「ごほんっ。新リーダーになりました渡部です。よろしくお願いします。そ、それじゃあまずは副リーダーを決めたいと思います。」

声を張り上げたつもりなのに、音量を最小にしたスピーカーのように弱々しい音が漏れた。

next...


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