人生最期の日
「死」ついて考えたことありますか?
絶対誰しもに訪れることなのに、漠然としていて現実味がなく、なかなか身近に感じられないものです。(体験できないし…体験談を聞くこともできないから…かな〜🤔)
毎日の忙しさに追われ、何気なく過ごしているような気もします。(それでいいのかぁー!)
もし自分が明日「死」という宣告をされたら、自分の人生は何だったのだろうと考えさせられ、多分後悔するような気がします。
今日はあの有名な坂本龍馬の最期から、生き方について考えたいと思います。
坂本龍馬、人生最後の夜🌕
【死亡日時】慶応3年11月15日夜9時過ぎ
【死亡原因】刀傷大小38ヶ所
【死亡年齢】33歳
京都の近江屋の2階の8畳間の一室で風邪気味だった龍馬は、同志の中岡慎太郎と話をしていた。
(こういう時が一番楽しい!☝️)
そこに、龍馬を訪ねてきた者がいた。使いの藤吉は名刺を取り次いで階段にのぼった時突然斬りつけられ倒れ込んだ。
その直後、龍馬たちのいる部屋に7人の刺客が押し入り2人を斬りつけた。
龍馬は脳漿が白く噴き出すほどの深い傷を負っていた。刀を抜く暇も無く刀の鞘で戦った。
(痛いどころじゃないぜよー。)
刺客が立ち去った後、龍馬は正気に戻り、刀を抜いて燈火の前に、にじりより「残念、残念」と言った。
さらに慎太郎に手が利くことを聞き、龍馬は次の6畳間へ行き、手すりのところから「新助、医者を呼べ」と声を出した。
「僕は脳をやられた。もうだめだ。」
とかすかな声でいって倒れ、龍馬は息絶えた…。
これが坂本龍馬の最期の時です。
龍馬の最期から考える自分の人生
まず最初に思ったことは、自分の死を自覚しているのにも関わらず、慎太郎の命を気遣えるという心。(自分にはこんなこと出来るのだろうか。無理無理。)
多分、その瞬間に死の現実を突きつけられたらきっと耐えられないし、人の命まで気遣えないと思います。要するに、龍馬は常に死を意識し、いつ最期の時になっても後悔しない生き方をしていたのではないのでしょうか。
後悔しない生き方とは、
①自分の思っている気持ちに正直に行動すること。
(言い訳はいくらでも出来ちゃうし、出来ない理由を探すのは簡単だよね〜…。)
②「今日死ぬかもしれない」と言うことを、本当の意味で自覚すること。
(現代において、それはちょっとむずいなぁ〜🤨)
この2つを実行した時、人は幸せを噛み締め、最期を迎えられるのではないかと思います。
みなさんは、どんな人生だったら幸せですか?
「後悔なく生きよう。」「変わろう!」と思った今!人は新しい自分を見つけられるのではないでしょうか。一緒に素敵な人生を歩みましょう👣
なにか、変えたいことがある人は、是非こちらも読んでみてください!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?