「境界が見つからない~~」:ポッコリ山がきっかけで、地質学発展の歴史を知る②:東部山間地域【地質応用編No.4-2】
富山県上市町の大岩日石寺のすぐ背後には、ポッコリとした可愛らしい山があります。
このポッコリ山の成立ちを知りたいと地質図を見ると、以前と今とでは、年代(時代)の解釈が全く違っていることが分かりました。
今回は「ナゼ、そんなことになってしまったのか?」を考えてみたいと思います。
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昔の地質図がなぜ残っているのか?
前回見た古い地質図は昭和35年のものでした。
そもそも地質学に限らず、科学は日々進歩しています。62年も前であれば、現在と大きな違いがあって当然でしょう。
それよりも、なぜ「そのままの地質図が残っているのか?」と感じる人は多いと思います。
この地質図は、私がワザワザ古いものを引っ張り出したわけではなく、産業技術総合研究所の地質図Naviで正式に入手できるものです。
20万分の1やシームレス地質図等はこれより新しく、中身も更新されていますが、5万分の1はこれしかありません。
なぜ更新されないのか?
予算が足りないとか、人手が足りないということもモチロンあるでしょうが、それは置いておき・・一番の理由は「更新する必要性が低い」と言うことだろうと思います。
なぜか?
それは
①どのような性状の地層・岩石か?
②それら地層・岩石がどこに分布しているか?
の情報に関しては、概ね合っているから。ということだと思います。
(産総研から直接聞いたわけではないので、あくまで私の解釈です)
なぜ時代の解釈が変わるのか?
ちょっと変わるくらいならまだしも、第四紀の火山だと考えられていたものが新第三紀に変わるというのは、私としては非常にビックリしました。
と言うのは「第四紀の火山」だとすれば、まだ活動している可能性もあるので、防災の面でも重要になるからです。
私自身、noteで地形・地質の情報発信をするようになり、あらためて日本全国各地の地質図を詳細に見るようになって気づいたのですが、このような場所は、案外あります。
それがナゼかと言うと、地質学における「年代の決定」は必ずしも容易ではないというのが一番の理由です。
ちなみに、どうやって年代を決定するのか?については以下の過去記事を参照してみてください。
①「境界」が見つからない~!
年代を決めるための一番の基本は、地層の「上下関係」をキッチリと確認することです。
その場合「A層とB層の境界を確認する」のが一番間違いありません。
しかし!!
世の中、そうそう甘くはありません。
「境界の部分に限って、露頭が見つからない」という地質アルアルがありまして・・(;^_^A
「ここまではA層」「あそこからはB層」とまで分かっても、その間は侵食されて谷になっていたり、土砂が被っていたり・・。
私も学生時代は「境界探し」で、だいぶ血眼になって歩き回った記憶があります(笑)
②「年代測定」が容易ではない
堆積岩であれば「化石」という手掛かりもありますが、火山岩ではそれができません。
分析して年代を決定する方法(放射年代測定)はありますが、昭和35年当時では容易にはできなかったと想像できます(技術面や資金面で)。
現在では様々な測定法があり、安価になってきていますので、今回の富山県の事例では、近年になって年代測定をしてみたら、あらビックリ!ということだったと思います(笑)
古い地質図は鵜吞みにせず、なるべく新しい情報をチェック!
最近では、例えばジオパークのガイドさんがいたりして、「もともと専門ではなかったけど、地質の楽しさに気づいてガイドになった」といった方も増えてきているようで、私としてはとても嬉しい限りです。
でも、理解を深めるのを難しくしている壁があるのも事実です。
その1つが「更新された情報と古いままの情報が混ざっている」なのだろうなぁ・・と最近、つくづく思います。
これについては、非常に難しい問題ですので、私自身が「これから地質を勉強したい」という方のガイド役になれればいいなぁ~と思う今日この頃でした。
今回は以上となります。
お読みいただき、ありがとうございました。
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