沈んで溜まって・・・そして伝説へ!:秋田県南東部平坦地域(横手盆地)【地元再発見の小旅行vol.23】
秋田県南東部の横手盆地は東西方向から圧縮され、少しずつ沈下しながら堆積物がたまっている地域でした。
この地域の地形を詳しく見ていくと、とある伝説に辿り着く?
場所の確認
場所を再確認します。
横手盆地(南東部平坦地域)は上図の⑬です。
仙北市・大仙市・美郷町・横手市・羽後町・湯沢市それぞれの一部地域になります。
地形をみる
では行ってみましょう♪
綺麗に平坦な地形ですが、よ~く見ると川の流れのスジが見えますよね。
そして川の出口は北西(黄色の地域)の一か所だけのようです。
赤丸の箇所が出口です。ただ北の青丸の箇所も西に流れてるように見えなくもないので確認してみましょう。
白っぽく見える場所は標高100m前後ですし、西には流れていなそう。
さらにアップにしました。
真ん中あたりを境にして川の流れが分かれているので、やはり西には流れていません。
ということで、やはり出口はここだけですね。
盆地内の水が1つの河川に集まっているからか、盆地の西になると一段と大きな川になっています。
この河川は雄物川(おものがわ)で、秋田市まで流れ下り、日本海に注いでいます。
水運が盛んだった時代から、ここは交通の要衝だったのでしょう。
鉄道や国道も通っています。
そして広大な水田地帯になっています。
河川の跡だらけ?
雄物川やその支流の河川は、これまでに頻繁に流路を変えたらしく、周囲に河道の跡がたくさん見られるようです。
ここは湯沢市の北部付近。
雄物川は南から北北西へ流れ、東から皆瀬川(みなせがわ)が合流します。
やはり河川が流れた跡が見えますね。
こんな感じ。上と見比べてみましょう。
今は水路になっていたり、段差だったりします。
さっきの場所の少し東。皆瀬川の上流で、東から流れる成瀬川(なるせがわ)との合流点付近です。
ここも沢山あります。南東の段差は明瞭ですね。
明瞭な箇所以外を図示してみました。
細かく見ていけば、もっとあるでしょう。
今度は盆地中央からやや南部、横手市の北西部あたり。
やはり河川跡が見えるような??
南西部を拡大してみましょう。
やはり見えますね。
今は小さな川だったり、道路になっている場所も元をたどれば河川跡と言う場合もありそうです。
なぜ河川跡が多い?
疑問に思いますよね。
秩父盆地のように現状の河川沿いでところどころに蛇行跡があったのとは違い、今の河川から離れた場所に跡が見られます。
その理由は「盆地内がほぼ平坦だから」です。
標高差のほぼない平面を水が流れるので、ちょっとしたことで流路が変わるのです。
確かに、多少の標高差はありますが、平坦です。
断面図をつくって確かめてみましょう。
まずは東西方向。
次に、南北方向。
縦縮尺20倍を差し引いて見ると、ほぼほぼ平坦ですよね。
でもこんな広大な平坦地は河川堆積物だけではつくられなさそうです。
横手盆地内で実施されたボーリング調査によると、盆地内の第四紀の堆積物(新しくて軟弱な土砂)は厚いところで何と220m!!底面は海面よりも170mも低いのだそうです。
薄い場所でも厚さ120m、底面は海面より40m低いとのこと。
そしてそれらの堆積物には泥炭など湖の堆積物の証拠が見つかっています(大沢ほか1979)。
なるほど!もともと湖の堆積物だったのなら、平坦なのは頷けます。
ただしその湖がどのくらいの大きさだったか?など具体的に研究した論文などは残念ながら見つかりませんでした。
鳥の海の伝説
その代り?と言っては何ですが、横手盆地にはある言い伝えがあるそう。
その名も「鳥の海の干拓」です。
横手盆地はかつて大きな湖でしたが、干拓(雄物川の開削?)によって水を流し、広大な耕作地帯をつくったという伝説です(ウィキペディアより)。
以下のサイトから「あらすじ」を引用します。
日本一の盆地である横手盆地は、昔は湖だった?
そして人間の手によって現在の広大な水田地帯に生まれ変わった?
などと考えると、ロマンを感じますよね。
以上、お読みいただき、ありがとうございました。
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参考文献
大沢 穠・大口健志・高安泰助(1979)浅舞地域の地質 . 地域地質研究報告(5 万分の1 図幅),地質調査所,53 p.
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