地形図で川の歴史を探る!【都道府県シリーズ第2周-6:山形県 三川町編no.2】
都道府県ごとに地形・地質を見ていく「都道府県シリーズ」。
2周目の第6弾は「山形県」。
そして山形県の中からさらに絞り込み、三川町(みかわまち)にスポットを当てています。
前回記事はコチラ👇
低い平野と言えば?
山形県東田川郡三川町は全域が標高の低い平野で山が無く、河川堆積物で覆われています。
低い平野と言えば「住みやすい」「田園地帯」などイメージされますが、一方で「洪水が起きやすい」という負の側面もあります。
町の真ん中を通っているのが赤川(あかがわ)です。
その他に東の町境には藤島川、西の町境には大山川が流れています。
この図を見ると分かりやすいかと思います。
三川町には3つの河川が集まっており、東の藤島川は北へ流れて最上川へ合流。中央の赤川と西の大山川が合流し、西へ流れています。
これでは「水害が多そう」だとイメージできますよね。
国土交通省の資料によれば、赤川沿いでは頻繁に災害が起こっています。
江戸~明治~大正にかけても何度も起こっており、上の図のように昭和~平成にかけてだけでも10件です。
地形を詳しく見ると・・・
やっぱり昔から水害の多い地域でした。
町全域が平地ですと避難するにも困りそうですよね。
周囲も含めて、もう少し詳しく地形図を見てみましょう。
こうやって見ると、西には南北方向に細長い丘陵地があります。
標高は、三川町南部の灰色が約10m、その北の濃い青灰色が6~7m、さらに北の薄い青灰色が4~5m。
一方、細長い丘陵地の黄色が20~30mで、緑色が40~50m。
町外にはなりますが、やはり西へ避難するのが良さそうだな・・
と見ていたら、おかしなことに気が付きました。
何がおかしいか、分かりますか?
三川町とその周辺は、上の図のように北へ向かって徐々に低くなっています。
それに対し、西の丘陵地は壁のように急な高まりになっていますよね。
地形だけで素直に考えると、赤川は最上川へ合流する方が自然だと思いませんか?
西の丘陵地は第四紀完新世(約1万年前~現在)の砂丘堆積物です。
砂丘堆積物とは、河川から流出した土砂が波によって再び陸に掃き寄せられてできる堆積物です。
そのため沿岸部に砂丘をつくり、堆積スピードが河川による侵食より速ければ、川を堰き止めることになります。
しかし赤川は海へ流れているので侵食スピードの方が速いのか?とも思いましたが、北の最上川の河口付近を見てください。
川の両岸にやはり丘陵地がありますが、かたちは不定形ですよね。
一方、赤川はスパッと切ったようなかたちです。
これ、人工的に開削したのではないでしょうか?
赤川の歴史
自然状態の河川は、河口が平野部の場合は流れが分散し、網状で広い範囲で湿地をつくることが多いようです。
しかし現在の日本では、そのような場所はほとんどありません。
何故か?
それは、河口部を人工的に開削して水を一カ所に集めて流しているからです。
おそらく、赤川も洪水防止のために開削された歴史があるのでは?
こういう時は国土交通省のホームページを探してみると、書いていることが多いんです。見てみましょう!
やはりそうでした!
大正時代に開削されたようです。
以上のように、地形図を詳しく見てみると、河川改修の歴史にも気づくことができます。楽しいと思いませんか?
お読みいただき、ありがとうございました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?