よく使うけど、実は要らないもの
ぼくは、「モノは使わないと意味がない」と思っているほうだ。服は着ないと意味がないし、靴は履かないと意味がないし、本は読まないと意味がないと思っている。
ちがう考えの人もいるだろう。集めて、並べておくだけでうれしいという人も当然いるだろうし、押し付ける気はない。
ただし、ぼく自身は使わないと意味がないと感じるタイプで、そして、時間は24時間しかないので、モノがたくさんあると1つ1つのモノに割く時間が減ってしまう。
たとえば、ぼくは本をたくさん買っているが、正直うっとうしくて、困っている。世の中には、服や靴を買いすぎて困っている人もいるだろうが、気持ちはわかる。
電子機器を買いすぎている人は多い
それで、最近は、電子機器を買いすぎて困っている人がけっこう多いのではないだろうか。
パソコン、タブレット、スマートフォン、スマートウォッチ、ワイヤレスイヤホン、地デジテレビ、レコーダーなどなど。
その中でも、ぼくが買ったはいいけど使いこなせなくて困っているモノの代表がVR(仮想現実)マシンである。買った当初はめずらしかったけど、すぐに飽きてきて、もう3か月くらい触っておらず、ほこりをかぶっている。
ただし、いずれVRは必需品になるだろう。そうなるとぼくも毎日使うようになるだろうが、たとえそうなったとしても、「VRマシンが要るモノか要らないモノか」と問われれば、ぼくにとってはまちがいなく要らないものである。
世の中には「よく使うけど要らないもの」というのがあるのだ。
よく使うけど、じつは要らないもの
僕はパソコンもスマホもよく使っており、パソコンがなくなったら大変に困るだろうが、しかしスマホがなくなってもすぐになれるだろう。
これはモノに限らず、サービスでも同じで
と
があるのだ。たとえば、ぼくは、Twitterもnoteも毎日使っている。そして、notのようなブログサービスがなくなったらとても困るけど、Twitterがなくなっても困らない。
Twitterは惰性で使っているだけで、要るか要らないかといわれたら、正直に言えば要らないのだが、これは人によって変わると思う。
人生に何を求めているか
ここで、ちょっと深い話になるけど、ないと困るものは、その人が「人生に何を求めているか」によって変わるはずだ。
人と触れ合うことを求めている人にとっては、Twitterはなくてはならないかもしれない。あるいは、承認欲求を満たしたい人には、Instagramがなくてなはらないかもしれない。
ぼくが人生にのぞんでいるのは、たぶん
ということだとおもう。
そして、本音で生きたければ、自分のこころの中の本音とウソを区別しなくてはならないので、文章で考えをまとめることがどうしても必要になる。
だから、ブログサービスがなくなったら、とても困るのだ。日記帳でもいいと思われるかもしれないが、だれかに読んでもらわないと気合が入らないので、その意味では、
ということでもある。
VRがなくても困らない
さて、そういう人間にとっては、VRもChatGPTも、本質的にはなくてもいい。ただし、この先AIが普及し、VRが普及していけばもちろん使うようになるだろうが、無くなっても困らない。
この考え方自体、前々から抱いていたものではなくて、今日こうしてnoteを書きつつ気づいたことなので、やはりこうやって書くことで、自分の本音に出会っていると言える。だからブログサービスがなくなったら、本音がわからなくなって困る。
かつては「真実」を知りたかった
ところで、ぼくはつい最近まで
と望んで生きてきた。しかし、どうも最近考えが変わってきた。というか、自分の本音はちがうんじゃないかと思えてきたのだが、これもnoteを書いたおかげだ。
「真実」などと言うと、まるで秘密組織の内部とか、宇宙の果てまで行かなければ手に入らないもののように思ってしまうが、ぼくが望んでいる真実は、そんな大それたたものではなくて、いつも自分の目の前にある当たり前のものだ。
本当に知りたいのは自分のこころであり、人として、生き物としての「素(す)」の部分なので、UFOともディープステートとも関係がない。その簡単で当たり前のことが見えなくなっているのが「人」なのだと思うようになった。
本音は、宇宙旅行に出かけて見つかるものでもないし、仮想現実で見つかるものでもないし、AIにみつけてもらうものでもない。だから VRも宇宙ロケットもAIもあれば使うけどなくても困らないのである。
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