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自慢できる人生とは ―『精神』(2008)―

最近、ネットを見ていて、若い人の言動にある種の傾向を感じることがある。それは

他人に自慢できるような人生を歩んでいるかどうか

にかなりこだわっているように感じられることだ。逆に言えば、

人に自慢できるような人生を送っていないので恥ずかしい・・

みたいな感覚の人が多いということでもある。ばくぜんとした印象にすぎないけど、そういう風潮があるように感じる。ただし

若い人たちだけの傾向にすぎないのか?
昔からこうだったのではないか?

など、考え始めるとよくわからないし、まちがっているかもしれないけど、まあ、そんな風に思えるというだけのことです。

イケてる人生

そのうえで、これまた推測にすぎないんだけど、こういう空気が醸成されたのはネットが発達したことと無関係ではないと思える。

自分がいかにイケてる生活を送っているかを競い合うようにアップする人も多いし、自分の人生を商品にして稼ぐ人も大勢いるし、小学生ですら

こんなにイケてる人生を送ってるぜ!

というアピールで稼いでいる時代だ。もちろん、生き方を商品にするのは個人の勝手である。

しかし、生き方を誇る人が増えたからと言って、だれもかれもが人に誇れる生き方をしなければならないわけではない。また、立派な生き方やかしこい生き方をしている人だけに生きる価値があるわけでもない。「つまらない人生を送っているから恥ずかしい」ということもないはずだ。

そんな中で『精神』(2009)を見た

そんなことを感じている折に、アマゾンプライムで『精神』(2009)というドキュメンタリー映画を見て、とてもよかったので紹介します。これを見ていると、

生きているだけで十分だ

と強烈に思わされる。プライムビデオの紹介文を貼っておくとこんな感じ。

精神科診療所「こらーる岡山」に集う様々な患者たち。病気に苦しみ自殺未遂を繰り返す人もいれば、病気とつきあいながら、哲学や信仰、芸術を深めていく人もいる。涙あり、笑いあり、母がいて、子がいて、孤独と出会いがある。そこに社会の縮図が見える。代表の山本昌知医師のモットーは、「病気ではなく人を看る」、「本人の話に耳を傾ける」、「人薬(ひとぐすり)」。患者たちが地域で暮らしていける方法を模索し続けている。

「ドキュメンタリー」と書いたけど、想田和弘監督は「観察映画」と名付けているのだそうで、ナレーションも一切入らず、撮影クルーもどうやら監督一人でやっているらしい。

いまネットを検索したところと想田監督の「観察映画の十戒」というサイトがヒットしたのでちょっと長いけど紹介しておこう。

観察映画の十戒
想田和弘 
(1)被写体や題材に関するリサーチは行わない。
​(2)被写体との撮影内容に関する打ち合わせは、(待ち合わせの時間と場所など以外は)原則行わない。
(3)台本は書かない。作品のテーマや落とし所も、撮影前やその最中に設定しない。行き当たりばったりでカメラを回し、予定調和を求めない。
(4)機動性を高め臨機応変に状況に即応するため、カメラは原則僕が回し、録音も自分で行う。
(5)必要ないかも?と思っても、カメラはなるべく長時間、あらゆる場面で回す。
(6)撮影は、「広く浅く」ではなく、「狭く深く」を心がける。「多角的な取材をしている」という幻想を演出するだけのアリバイ的な取材は慎む。
(7)編集作業でも、予めテーマを設定しない。
​(8)ナレーション、説明テロップ、音楽を原則として使わない。それらの装置は、観客による能動的な観察の邪魔をしかねない。また、映像に対する解釈の幅を狭め、一義的で平坦にしてしまう嫌いがある。
(9)観客が十分に映像や音を観察できるよう、カットは長めに編集し、余白を残す。その場に居合わせたかのような臨場感や、時間の流れを大切にする。
(10)制作費は基本的に自社で出す。カネを出したら口も出したくなるのが人情だから、ヒモ付きの投資は一切受けない。作品の内容に干渉を受けない助成金を受けるのはアリ。

映画作家・想田和弘

とまあ、こういうたいへんな掟を貫いて撮られた作品らしいのだが、そうやって、患者さん一人ひとりの話を聞いていくのである。

いろんな人がいる

中に「赤ん坊を虐待で殺してしまった」という女性が出てくるが、もちろん役者さんが演じているのではなくて、殺した本人が、そのときの様子を淡々と語るのである。

想田監督は彼女にそういう話を語るよう依頼したわけではなく、カメラを回しているうちに、おのずからそういう話になっていったのだろう。淡々としたリアル感がすごくて、見ているほうがつらく、ぼくは途中で2回一時停止し、「007ダイ・アナザー・デイ」を見て気分を和ませた。

2回なごんだ

ただし、悲惨な話ばかりではない。下の予告編を見てもらえばわかるけど、陽気な人も出てくるし、電話で揉めている人もいるし、ホントにいろいろだ。

生きるというのは大したこと

いずれにせよ、この映画を見ていると、生きるというのはそれだけでたいしたことだと感じないではいられない。「他人に自慢できるかどうか」などほんとにどうでもいい。映画を見るだけでそういう風に感じられるというのは、とてもいい作品なのではないだろうか。

ぼくはタルコフスキー作品も「2889 原子怪人の復讐」も人に見ろと勧めたことはないし、これからも勧める気はないけど、この映画はPrimeに加入している人なら1回は見て損はない。

なお、作品の完成後に監督と山本医師が対談した記事があるんだけど、撮影された医師本人が、映画の感想を聞かれて

全体としては感激するというか、そういう感じが強かったですね。

山本昌知医師×想田和弘監督 対談抜粋

と語っている。被写体を感激させるドキュメンタリーってそんなにないと思うのである。


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