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家族の問題

悩みのない人はいるけど問題のない人はいないんじゃないだろうか。

悩みのない人というのはぼくのことである。まえにも書いたけど(「世の中にイヤなことはいっぱいあるけど、悩みというのはないような気がする」)僕は悩むということをしない性分だ。しかし悩みはなくても問題はたくさん抱えている。

正確には悩みはゼロではなく、5分くらいは暗澹たる気持ちになるのでアレが悩んでいる状態なのだろう。なので悩みは5分あるのだが、そこで考えをとめることができずに5分後には「ではどうするか?選択肢はコレとコレしかない。どちらを選ぶか」ということをすぐ考える。だって暗澹たる気持ちが続くとしんどいじゃないですか。

というわけで、今日まず言いたいのは、悩みのない人には問題がないのではなくて、もしかしたらぼくみたいに「問題はあるけど5分しか悩んでいないのではないか」ということだ。

単に問題がないから悩んでいないだけの人もいるのかもしれないが、だとすればその人はパラダイスの住人である。しかしぼくの仮説によると「この世にパラダイスはない。」だから、あらゆる悩んでいない人も問題はたくさん抱えているのではないかなあ。

さて、次に言いたいことは今ぼくが抱えている一番大きな問題は高齢者問題だということ。そうすると、いま日本全体が抱えている問題と相似形ではないかということである。

いま日本は年金をもらってテレビを見る以外に何もしない人が多数派になり、国がほろびようとしている。ウチも同じで、無責任な高齢者が24時間365日テレビを見続けているうちに家屋がほろびようとしている。しかし、繰り返すがこれは問題であって悩みごとではない。解決に動くか、それとも見捨てるか、どちらかしかないのである。

見捨てる場合、ぼくはもう帰省しないようにしなくてはならない。そして、いずれ家から異臭がして近所の人が死体を発見し、連絡が来てから戻ってきて特殊清掃の人に頼んだのちに更地にすることになるだろう。

その選択肢をとらない場合は、さっさと解決に動くしかない。つまり、仕事をしながらこのnoteも書き、さらにゴミ捨ての方法を検索したり漏電をチェックしたり、ペンキを塗りなおしたり、エアコンを入れ替えたり一日中動いているわけである。

そのあいだじゅう、かつて父親ずらしていたこのテレビ生物はずっーとテレビを見ているんだけど、テレビ生物とはそういう生物だから仕方がないのである。人を説得するのはムリだ。かつてやろうとしたがムダだったのでもうその選択肢はない。繰り返すが、孤独死を待つか、それともぼくが動くか、この二択である。

名古屋市長の心を入れ替えようと思ってもムリでしょう。攻撃してもなにもかわらない。おなじく家族の心を入れ替えようと思ってもムリであり、そこに余計な感情を注ぐのはむだだ。

・・今ちょっと思ったんだけど、名古屋市に7000件の抗議が集まったらしいですね。あれは年金もらってゴロゴロしている人が多かったのではないかなあ?だって働いている人たちにそんなヒマなことをやるヒマはないでしょう。だとすると、ほんとうにこの国はもう末期的な状態である。ただし、上に書いたようにいたずらに暗澹たる気持ちになっているヒマはなくて、若い人はさっさと海外に脱出するかこの国で生き延びるための道を模索するか 2つに1つである。

ぼくはこれを書いて、仕事をやったらあとは草を抜いて、そして屋根の具合を調べる。明日はエアコンの工事があるので隣のうちにあいさつにいかねばならないがお菓子はもう買った。仕事もやりますよ。noteも書きますよ。Twitterもやる。やるだけだ。

余談ですが、ぼくに悩みがないのは、もしかするとこのテレビ生物がなんの悩みももたずにテレビを見続けられる性格が遺伝したのかもしれません。

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