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大事な情報はオーダーメイドでしかやってこない

衣服には既製品(レディメイド)とオーダーメイド(カスタムメイド)というものがある・・・などと知ったかぶりしているが、ぼくはオーダーメイドのスーツなど作ったことがないのでなんとなくイメージしているだけである。

なので想像で語るけど、オーダーメイドの服というのは、僕の体に合わせて、そして、ぼくの用途や、そのときの状況や、気分や好みに合わせて作ってくれるものだろう。散髪みたいなものであり、仕立て屋さんとお客さんとの合作だといえる。

ところで、情報にも既製品とオーダーメイドがある。ひろく世間へ向けて発信される情報と、その人に対してとくに伝えられる情報だ。ちなみに、このnoteも特定の相手に向かって語っているわけではないという意味では、既製品の情報である。

ぼく自身は、ネットも読むし、本も読むが、そういう媒体からえた既製品の情報に本当に人生を変えられたことが果たしてあったのかどうか。よく考えてみると、なかったような気がするのである。もしかするとあったかもしれないが、いま思い出すことはできない。

オーダーメイドの情報とは、ぼくという人間をあるていど知っている人が、ぼくという人間に合わせて伝えてくる情報だ。

教師が生徒に説教をするのも、上司が部下に説教をするのも、あなたの性格や失敗に合わせて組み立てられているという意味ではオーダーメイドの説教である。よくも悪くも本に書いてある説教とはちがう。

他人は鏡のようなものであり、ぼくに向けて発せられる情報には、ぼくという人間が映る。おおげさにいえば、ぼくのそれまでの生き方が反映している。ほんとうに大事な情報は、いつもそういう形でしか伝わってこなかった。決定的な情報が、既製品で流れてきたことはない。

世間に流通している情報ももちろん大事なんだけど、それはあくまで補助的なものでしかない・・・と思うのである。

あなたに集まってきているオーダーメイドの情報は、あなたが本気で欲しがっている情報である。なぜなら、人は本気にならなければアクションを起こさないし、アクションを起こさなければオーダーメイドの情報がやってくることもないからである。

たとえばぼくはとくにパンには興味がないので、パンについては世間で流布していることしか知らない。しかし、もしぼくがパンに本気で興味を持っていれば、おなじくパンに本気で興味のある人たちと交流しようと、アクションを起こしただろう。

そうした交流の中で、ぼくのパン好き具合を知っている人から、ぼくに伝えてもいいと思えるパン情報が、絶妙なタイミングで伝えられる。それがオーダーメイドのパン情報だ。

もし、あなたが、いま汚染水について本気で興味を持っているならば、すでにそちらへ向けてなにかのアクションを起こしたことがあるはずだ。そうすれば、汚染水について、オーダーメイドの情報が舞い込んできてるはずである。これは、マスコミ関係者だとか、福島に住んでいるとかいうこととは直接関係ない。

世の中は、だれであろうと、どこにいようと、本気でアクションを起こせば、いずれオーダーメイドの情報にぶつかるようになっている。

逆に、いま世間で話題になっている物事について、あなたがメディアに出ている情報以上のことを知らないとすれば、あなたがその話題についてじつは本気で興味を持っていないということだと思う。それは、パンでも、汚染水でも、ウイルスでも、財政でも、地震でも、なんでも同じだ。

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