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花束みたいな恋をした

恋愛であれなんであれ、人と人との関係性の「終わり際」にどうしても惹かれてしまう。

たぶんそこに、その関係性が自分にとって一体なんだったのかという答えがあるように感じるからだ。

坂元裕二さんの「花束みたいな恋をした」は、ある男女の恋愛の始まりからその終わりまでを描いた映画だ。流行に疎い私は最近この映画の存在を知ったのだが、結局映画館に行くタイミングを逃した。なので書籍で読むことにした。

物語の中で主人公の2人は蜜月のような関係から、徐々に徐々にすれ違っていく。目に見えない歪みのようなものがつもっていって、気づいたらもう戻れなくなっていた。そんな感じ。

映画の予告編で「共感度100%」とうたってるだけあって、こういう始まりから終わりへ向けた「相手への気持ちの変遷」というのは、恋愛をしたことがある人なら誰しも経験するものだと思う。

好きだった人が好きな人ではなくなっていく瞬間というのは、もう毎回毎回、なんとも言えない虚無感とやるせなさを感じる。恋の始まりはどれほど「この人以外の人をこれから先好きになれるのだろうか?」と思ったことか。

でもそんな想いは時間と、新しい恋の相手で当たり前のように塗り替えられていく。

そしていつか、その人のことを好きだったことすら忘れてしまう。正確には記憶としてその人のこと好きだったなというのは覚えているのだけど、その人と一緒にいた時の幸せな気持ちとか、好きだと感じた時の、相手を愛おしく思ったあの胸に込み上げるようなあたたかい気持ちが、どうしても思い出せなくなるのだ。

記憶の中のその人と、自分の中のあたたかいあの気持ちの記憶が、紐づかなくなっていくというか。

なんであの人のこと好きだったんだろう?そう考え始めると明確な理由なんてなくて、好きでいた当時はそれこそが愛の証明なのだと思っている。

けれど理由がないというのは、その時の気持ちを留めておく楔も心の中に存在していないということだ。好き、というたった一つの想いで成り立つ関係は、その想いが消えたら何にもなくなる。「もう何にも感情がわかないの」というセリフが、物語の主人公2人の関係性が決定的に終わったのだということを表している。

ただしこの物語は不思議と悲しい話ではない。一つの恋愛が終わることは必ずしも不幸なことではないからだ。

「花束みたいな恋をした」というタイトルがとても秀逸で、これだけでこの2人の物語は決して不幸でも悲しい話でもないんだなということがわかる。

花束はギフト、贈り物。特別な時に贈られるもの。つまりこの恋(=相手)はまるでギフトのような素敵なものだった、という意味だろう。

私は昔好きだった人に対して、不思議と全くそういう気持ちを感じたことがない。過去のことは忘れていってしまうし、これから先の私の人生には必要のない人だと思ってしまうので、いちいち思い出したりもしない。

ただ、いつもいつも新しい恋をするたびに軽く裏切られた気持ちにはなる。他でもない私自身に。あれほど好きだと、あの人しかいらないと、そう思っていた私も結局、こうして他の人を好きになってるじゃん、と。

あの時の気持ちはいったいなんだったの?嘘つき。と。

そんなふうに葛藤したとしても、どうしても、終わった恋愛(関係性)の相手になんからの感情も感慨も抱くことができない。好きの反対は無関心、とはよく言ったものだと思う。

だからこそ、リアルさと共感度100%がウリのこの物語の2人ですら、私にとって十分ファンタジーなのだ。

恋愛という関係性が終わった後も、その人との思い出を大切に心の中にしまっておけるというのは、思い出を振り返ってあたたかい気持ちになれるというのは、紛いもなくその関係性は自分にとって「ギフト」だった、ということなのだから。

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