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自己紹介

先に、記事を3つ程書いた後で、今更なのですが…私の自己紹介をしたいと思います。

まず、yurufuuという名前について。
これは「ゆるふわ」の響き(?)を真似ています。
理由は、私自身が「ゆるふわ」で生きたいから。
けれど、現実は、なかなかそうはいきません。
いつもキツキツで、子供が生まれてからは、自分なりのこだわりに拍車がかかり…。
こだわりは、私が幸せと感じるものではなく、私を追い詰めています。自分で自分を手放して、「ゆるふわ」で生きたいな…という願いからこの名前にしました。

私の人生の最初のターニングポイントは、まさに大学院を修了したことです。
母親に違和感を感じ、母に対する接し方、母の私に対する接し方に、少しづつ変化が現れてきたのもこの辺りだと思います。

現在看護師として働いていますが、修士論文は、ものすごくざっくり言うと「緩和ケア」の事をテーマ
にしました。
がんと診断されたとき、治療のとき、そしていずれくる最期のとき、その時々の価値観の変化や苦しみ、救われた瞬間、これらのことを研究テーマにしていました。

ここで気付いたことは、「自分の苦しみ(体験)は、自分にしか分からない。」
という事です。だから、その苦しみ(体験)にどのような意味をもち、どのように付き合っていくかは、結局、その人自身が決めることなのです。

けれど、その苦しみ(体験)への意味付けの作業を行うには、環境だったり、身体の安楽だったり、同じ境遇にいる人の体験談だったり、誰かに側にいてもらったり…が手助けになる事があります。

しかし、これは、緩和ケアに関わらず、人生の全般に言えることだなぁと思っています。

子育ても、きっと同じことが言えるのではないかな…と。とにかく今は、安心できる環境(抱っこだったり、甘えさせてあげること)を作ってあげることが大切なのかな…と。
(まだ2年間しかママをしていないので、なんとも言えないです…。)

そして、これらの事が分かってからは、少しだけ、本当に少しだけ、母の事を分析できるようになりました。分析することで、俯瞰して見れている気がします。
まだまだ、感情でごちゃごちゃになってしまうけれども…俯瞰すると、母の苦しさを理解することにつながり、少し救われるというか…「しょうがない」というか…冷静になれます。何度もいいますが、本当に少しだけ。むしろ、自分を落ち着かせるために、俯瞰して見ようとしているだけかも…しれません。
頭の中で、母と距離をもちます。

今もまだ、もがいていて、ここから抜け出す事は、なかなか難しいです。
簡単ではないと、思っています。

けれど、
「毒親に育てたかもしれないけど、幸せになりたい。」と思っている人へ。
「お母さんのようにはなりたくない。」と思って、子育てをしている人へ。

「ここにもこんな風にして、生きている人がいるよ。」
「もがきながらも、子育てしてる人がいるよ。」
という気持ちでnoteを書いていきたいと思います。

そして、母を分析すること、私の心の持ち方が、同じように悩んでいる人の助けになれればと思っています。




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