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不登校でも大丈夫

不登校でも大丈夫 (岩波ジュニア新書) | 末富 晶 |本 | 通販 | Amazon
この本の作者、末富晶ちゃんとはお友達です。知り合いだから、著書を紹介するのではありません。あまりに素晴らしい内容なので、思わずNOTEを立ち上げました。


晶ちゃんは小学3年生の時から「学校」へ行っていません。しかし、彼女の理解力と知性は素晴らしく洗練されています。そして、彼女は生け花の先生でありアーティストであり、生命の表現者です。詩人でもあり、内的世界を見事に表現した詩集も出版しています。だから、小学3年生から不登校になったーーと聞いた時、私は心底仰天しました。



というのも、生来、私は文章を書くことが好きで、小中高とたくさんの本を読み、大学は英米文学科でした。話す英語・実践的な英語よりも文学研究の方が私の興味の対象で、言葉や文学なるものに深い関心を寄せてきました。そして、社会人になってからも、ジャーナリストや小説家の先生から文章の書き方を学びました。



太陽が3ハウスにあるユリシスは、言語表現というものに最大の関心が向き、それなりの学びと体験を経てきた、つもりでした。それなのに、です。圧倒されるほど、晶ちゃんの言語感覚は奥行きに溢れ、そして、シンプルで豊かなのです。私が長らく受けてきた教育とは何か?学校とは何か?学ぶとは何か?そんな根源的衝撃が走りました。



そして、「不登校でも大丈夫」を読んで、その謎が解けました。晶ちゃんは義務教育としての学校へは行かなかったけれど、世界全体が「彼女の学校」であったのです。世界のすべてが学校、毎日が学校、出会う人や出来事のひとつひとつが学校ーー本当はそれが真実ではないでしょうか?



一般社会の基準の中で生きてきた、いわゆるマジョリティであればあるほど、形ばかりに囚われてしまいます。でも、大切なことは生命としてどうあるか?世界でたったひとつの自分という花をどう咲かせるか?それだけです。


学校に行っても行かなくてもいい。自分らしく生きることができるならばーーお金持ちでもそうでなくてもいい。人生を豊かに生きることができるならばーー美人でもそうでなくてもいい。人生を美しく生きることができるならばーー結婚してもしなくてもいい。生を分かち合うことができるならばーー



本当はそうなんです。でも、洗脳と言える教育や常識の中で生きてきたからこそ、私たちは形に意識が向きます。本当のことがわからなくなる世の中で、晶ちゃんが「本当」を捨てなかったことに、捨てない人がいてくれたことに、感動と感謝が湧いてくるのです。



本の中に描かれた晶ちゃんの言霊に触れ、何度も衝撃が走りました。私自身、社会の常識や親の期待なるものに染められ、本当の自分(太陽)を見失って生きてきました。いよいよ高校生くらいから、その乖離が真綿のように私の首を絞め始め、表現しようのない苦しみとなって付き纏いました。



人生の早い段階で「本当はこうじゃない」「私が私でなくなる」・・・その明確な命の感覚を掴み、決して捨てなかった晶ちゃん。とてつもない勇気と極まる純粋さ。ある時、彼女はこう決意します。「客観的正しさを採用することを止め、私だけの真実を頼りの明かりとして進む」--まさに太陽として生きることへの決意表明です。



この著書を読むと、学校へ行かなくなったその時から、人生の全決定権は彼女に委ねられ、太陽としての自分を追求し続けてきたこと、自分のあらゆる面を認めて月を超えてきたこと、そして、木星意識を獲得したこと・・・それが明確に伝わります。



一連の人生プログラムを、人よりも随分早く、10代、20代で完成させてきた、その道のりに驚愕の想いしかありません。彼女は月双子座12ハウスです。月のかけらは微塵も感じられません。私の周囲には月を超えている人がたくさんいます。月はどうしようもないものでは決してないのです。そして、忌まわしいものでもありません。



すべては必要で完璧な設定なのです。そして、こうあらねばならないということも何ひとつありません。ただ、自分という美しい花を咲かせればいいのです。この本を読めば「不登校でも大丈夫!!!」ーーそれが紛れもない真実であるとわかります。



どうあっても大丈夫。自分の太陽を捨てなければ・・・
どう生きても大丈夫。自分であることを諦めなければ・・・




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