創作に向かう毎日の実験
「あなたはどういう文章を書くタイプなのか」を分類して特徴と対策を解説する記事を見かけた。それによると、私は「書いた文章を自分の中に留めておくことが好きで、世の中に発信することに恐怖を覚えるタイプ」らしい。そんなことはずっとわかっていることだけど、他人が言葉にしてくれることで、改めて「そうだよな」と思えたのも事実。
このタイプが文章をスラスラ書くためには、二つの方法があるらしい。
ひとつは「誰かのために書くのではなく、自分のために書くこと」。そして、「振り返らないこと」。精神面の強さに自信がない場合は特に、振り返らないことが重要だそうだ(これはなかなか難しい)。とにかく好きなように書いて、下書きに放り込んで、公開するかどうかは後で決めればいい。「誰かの存在」は意識の隅っこに置いておく。
ああまさに今、私がやっていることだなと思った。
「今日を集める」を始めて1週間が経った。誰かを意識して誰かのために書いていたら、きっと三日坊主で終わっていたと思う。そして、文章はどんどん硬くなり、緊張して思考が濁り、そんな文章を書いてしまったことに自己嫌悪を感じていたに違いない。
ただ、「今日を集める」を始めて1週間が経ち、問題も出てきた。それまで日常の写真を撮ってInstagramのストーリーズに載せたり、動画を撮ってYouTubeにアップしていた。「今日を集める」には、それらには載せないもっと何気ない一瞬、ひとかけらを写真や言葉にして集められそうだと思ったし、すごく自分にとっていいことを始めたと思った。
だけどだんだんと、もっともっと小さなことはたくさんあるし、でも全ては残せない。撮り切れない。書ききれない。同じ風景は二度と見られない。それこそ頭にふっと浮かんだことは全て言葉にできないし、恋人にも伝えきれていないことがたくさんあって、だけど毎日は待ってくれない。どんどん過ぎていく。どうしよう、どうしよう。この謎の焦りに苦しみ始め、このまま、そのうち、いや違う。「そろそろ私は死んでしまうのではないか」という感覚に陥ってしまった。よくなかった。
今のところ、外部の情報を取り入れ過ぎると疲れやすいように、自分の情報に直面し過ぎても疲れるんだろうと思うことにした。
脱線した!仕切り直し。
文章を書くためのもうひとつのおすすめの方法は「何かのキャラクターになりきって書くこと」。そうすることで、他人の目を意識しすぎず、発信への恐怖が和らぎ、スラスラと書けるようになるらしい。なるほどとは思ったけれど、そのキャラクターと自分自身のギャップに苦しんだり、どちらの意見なんだろうと混乱して疲れてしまいそうだなと思った。なので、ひとつめの方法をこれからも続けてみたいと思う。
さっきも書いたけれど、「そろそろ私は死んでしまうのではないか」という感覚に陥って、それに絶望したわけではなく、もっと創作したいと思う気持ちが強くなった。「動画を作る日」「絵を描く日」がそれぞれあってもいいのだけれど、今は毎日、この時間には絵を描いて、この時間には動画を作って、といった具合に、いくつものことをこなせないかと実験している。自分で時間割を作って管理するイメージ。そうしないと、「今日は動画は作れたけれど絵は描けなかったな、時間の使い方が下手だな」という思考回路になりがちだから。毎日「やりたいことにひと通り触れてみる時間」があってもいいんじゃないかと思った。
毎日書いている日記とは違う、だけど毎日を残す、集める。「今日を集める」を始めて1週間、今は続けたいと思えてる。そして、毎日絵を描くこともしたいと思っている。「毎日何かをすることが凄い」とは思わないけれど、「毎日何かをすることで私はバランスが取れる」と思っている。
この数日、毎日どんな絵を描こうか、描いた絵をどうしたいのかを考えていた。今朝の時点ではまだピンと来ていなかったけれど、午後にはアイデアの点と点が繋がったような感覚になって、「こうしちゃいられない!時間は有限!動かねば!」と思った。でも、今日の考える時間は終わり。お昼を食べたら動画を作ろう。
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