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ラクイラ地震裁判 地震は予測可能?科学を伝える責任

2009年4月6日に発生したラクイラ地震。死者309人、負傷者は1500人にのぼった。

この地震について、地震情報の分析と情報の伝達が慎重に行われなかったとして、5名の科学者と2名の官僚(副長官、室長)が過失致死罪を問われた裁判がある。

焦点は地震の約1週間前・2009年3月31日に開催されたNational Committee of Major Risks(国家大災害委員会)や、その前後における科学者や官僚の発言であった。これらを分析した論文を読んだので、内容をまとめておく。気象をはじめ科学情報を社会に伝達する役割を担う人には有用な事例であると思う。


この裁判に関するこちらの論文を読んだので、以下にまとめておく。
http://taro.eri.u-tokyo.ac.jp/saigai/published/koketsu_oki2015.pdf
纐纈一起、大木聖子「ラクイラ地震裁判 : 災害科学の不定性と科学者の責任」科学技術社会論研究 (11), 50-67, 2015-03

伊・ラクイラ市は地震の多発地帯として知られているが、2008年10月頃から群発地震が続いていたため、これが将来大きな地震の発生につながるのではないかとの懸念が広がっていた。

ラクイラの住民には群発地震が起こっている期間は建物から出て屋外で寝泊まりするという習慣があったが、2009年3月31日の委員会の検討内容を伝えた報道に接し、多くの住民がその習慣をやめ、大学生は帰省を取り止めてラクイラに留まるなどした。そんな中で地震が発生し、耐震性の低い建物の崩壊などにより死者が増えたとして裁判が起こされたのである。

焦点は、3月31日の委員会でどのようなことが話され、メディアでどう伝えられたか、である。

被告人である副長官は委員会の開催に先立ちテレビ局のインタビューを受けていて、以下のように答えたそうだ。

<大災害委員会 会合前のテレビインタビュー>

副長官「危険はまったくない.スルモナ市長に言ったことだが,科学コミュニティは私にこう認めている,エネルギー放出が続いており,状況は好都合である.やや強い地震が起こるにしても,桁はずれに強いものではなく,小さな被害しか見ていないようなものなので,現状は好都合な状況にある.つまり,長期間の現象だとすると,我々は事態を収拾する用意を整えているので,市民のみなさんにはここにとどまってほしいとお願いしたい.」

記者「その間,私たちはおいしいワインを飲んでいましょう、オフィーナの!」

副長官「まさに,まさに.私にとってはモンテプルチャーノだが.」

※モンテプルチャーノは、副長官自身の出身地のワインの銘柄。

この副長官のインタビューは直後の科学者たちが参加する議論(詳細後述)とは対照的な内容で締めくくられており、ワインを飲もうという記者の発言に対して自分の出身地のワイン銘柄にまで言及している(お国柄を感じる・・・)
またこのインタビューは、他の委員から離れた場所でなされ、科学者と室長は2年以上のちに裁判の中で証拠として提出されて初めて知るに至った。

では、肝心の委員会では、どのようなことが話されたのか。

<大災害委員会会合での科学者委員の発言(4 月 6 日公式議事録)より>

〇1703 年のような大地震が短期間でやってくることはなさそうである,それを完全に否定することはできないが
〇もちろん,ラクイラは地震地帯だから,大地震が起きないと断言はできない
〇予測を行うことは不可能である.
〇地震の準備段階,あるいは地震が起こっている最中に地球化学的な現象があるのは確かだが,非常に複雑な現象であるため前兆現象として用いることはできない.ですので,今のところ予測を行う方法はないし,どんな予測にも科学的な根拠はない

委員会内での科学者の発言は、まったく大地震にならないとは言い切れないが、多くの群発地震が大地震につながらずに終わっているという一般論である。

こういった委員会での科学者の発言を受け、副長官をはじめ、官僚は、やや慎重な立場に転じたとされている。実際の発言の記録を見ても、科学者・官僚・市長、いずれの人も「安全宣言」は述べていない。

しかしながら、 3月31日~4月1日の報道では、記者会見の映像とともに、以下のようなナレーションがついていたそうである。

「大災害委員会が開かれ地震の権威があつまりました.」
「科学者たちは,むしろ群発地震によるエネルギーの放出は好ましく,大きな地震にはつながらないと言います.」
「この『安全宣言』はラクイラ市民には朗報です.」

※2012 年 8 月NHK「訴えられた科学者たち~イタリア 地震予知の波紋~」による


気象予報士として、そして、防災情報の伝達に関わる人間の端くれとして、この報道の仕方は心臓に悪い。

気象のように予測精度が高まっている自然現象でさえも「安心情報」を伝えることには、気象キャスター達は、非常に慎重になっているからだ。

いわんや、予測技術が気象には及ばない地震をや。

もちろん、不安が続いて安心させてあげたいという気持ちもわかるのだが、個人的には、委員会前の副長官の軽はずみな発言と、それを鵜呑みにして楽観視し報道した報道機関、双方に問題があったと感じた。またメディアの報道の仕方を見て科学者は抗議をすることもできたであろうが、それもなかった。

実は、副長官は「安全宣言を出させてほしい、人々を安心させたい」という長官の命を受けていたそうだ。ラクイラでは少し前から群発地震が頻発し独自の地震予測を発表する人が出てくるなど、混乱した状況にあったため、それを鎮めたいという長官の意図があったと裁判では明らかにされているが、長官の責任が重いと私は思う(ちなみに長官は起訴されていない・・)。


近年の日本においては「予測は完全ではない」「災害はいつ起こるか分からない」という認識が市民の皆さんに浸透しているから、イタリア国民よりは災害に対するリテラシーは高いように思えるが、
そんな日本においても、科学に忠実に伝えていきたいと感じる。

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