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感覚と言葉の不思議、作品制作にあたってのネタ帳からの抜粋短編集

椅子に腰掛けるとギシギシと音がなった。
右から光が入る、外は曇り、青白い光だ。
古い家のすりガラス、木の枠、外に突き出した部分には雨除けが延びていた。
黄緑とターコイズブルーのストライプ、色褪せている。
室内に目線を移す、梁の剥き出しの天井が目に入った。
ここの屋根は本当にかっこいい。
赤茶色の木の所々に、「二等」「三寸」「長六尺」など書かれている、スタンプか?
オレンジの剥き出しの蛍光灯に照らされて優しく光る木。
カフェオレは飲んでも飲んでも、表面の葉っぱの絵はそのまま残っていた。
灰色のカップのフチが、窓の光で青白く光っている。

2023年9月23日、OTONARI COFFEE 東京神保町
夕方から忙しい予定の日の昼下がり、ツケを支払に。


春、長くて短い夜の去り際。
微かな闇と光が混在する。
混ざりながら溶け合い、うねりながら揺れて、
やがて光が闇を食い尽くす。
光が闇を食う力はあまりにも強い、そう思う。

光…鋭く、早く、視神経にそのまま入り込む。
一筋でさえ強く自身を焼き、
淡くでさえ響く、
闇に溶ける光はまどろみ、広がる。

闇…強さよりも深さ。
光など届かないような深淵、
闇は闇自体よりも、自身の深淵に共鳴し、引きずり出され、闇とは自分なのだ。

2024年3月中旬、陽の差す肌寒いベルリン、
制作スタジオへ向かう電車内。(Bornholmer Straße)
数日後に迫る "映像作品上映×即興演奏コンサート at Hošek Contemporary にあたっての映像作品制作のヒント。


Kunst gibt nicht das Sichtbare wieder,
ondern macht sichbar.
芸術は見えるものをそのまま再現するのではなく、見えるようにすることである

Studie aus dem Unterricht von Paul Klee, Autor: Lena Meyer-Bergner, 1927.

2024年4月5日、雨と晴れ、湿度が高く暖い、不快。
ベルリン

Kunst verhält sich zur Schöpfung gleichnisartig - Sie ist jeweils ein Beispiel, ähnlich wie das Irdische ein kosmisches Beispiel ist.
芸術は創造と類似する。地上が宇宙の例と同じであるように。

出典:Klee, Schöpferische Konfession, in: Tribüne der Kunst und der Zeit. A Collection of Writings, Volume XIII, edited by Kasimir Edschmid, Berlin 1920.

2024年4月5日、雨と晴れ、湿度が高く暖い、不快。
ベルリン

フローリングで見た実家の夢、不思議。
3月に入ってから心が軽い。陽が出る日が増えたからだろうか。
朝起きたら青空と陽が目に入る。
走ろうと思いウェアに着替えキッチンでスムージーを飲んだ、
バナナ、オレンジ、ほうれん草、ビートルート、ライム、ミルク、
あまりの美味さにもういっぱい作って飲んだ。
コーヒーも淹れた。

ホコリっぽい家だなあ。
濡らした紙をちぎって投げ、掃き掃除をした。
あー、花粉で喉の上が腫れている、かれこれ数ヶ月。
洗濯、1時間16分。
床はなんとなくスッキリ。
パソコンでVincentとの森でのセッションを見返す。
尺八の音、風だなあ。

ふとボイスメモを整理しようと思いつき、スマホのレコーディングをPCに移した。
2017年に始まったギターの弾き語りから、2022年1月から始めたベルリンの街音レコーディング。
溜まりに溜まっている音たちを聞いては日付とタイトルを整理。
200近いメモ数であった。
一体私は文字も音も、どれだけ記録を取れば気が済むんだろうか。

最近はマイクを買ってフィールドレコーディングをしたいと思っていたが、もうとっくにスマホでやっていたではないか。


飛行機の音、道路の音、地元の音、
音とはとてもリアルで、生々しく、ありありとそこにあり、
そしてもう2度とない瞬間、そんな現象なのだ。

自分の喋り声に嫌悪感を抱くのも、あまりに生々しすぎするからかも。

視覚はカメラ、聴覚は録音、
嗅覚は?味覚は?触覚は?
再現性はない。

昨日参加したアロマオイルの五行のワークショップの影響か、五感への興味がまたうずいている、
感覚という一瞬と、録音によって引き摺り込まれる過去というリアル。

レコーディング整理に疲れた、14時頃。
オートミールと手作りのフムスを食べて血糖値が上がった。

しばらく聴くことができなかった過去生を見てもらった時の録音を聴く。
録ったことも忘れていた。

感想、前向きでも後ろ向きでも時間は過ぎていくんだなあ。
去年の日本帰国時の自分を振り返ることができていなかった。
今ならやっと。

紙に絵を描こうと思ったものの眠くなってきた。

布団にくるまり丸くなって、英語のPodcastを聴きながら、床の上机の下で寝た。

日本帰国時から半年ぶりのリアルな日本の夢を見た。
直前に整理していた日本での録音音声の影響か。

父の実家に行く夢。

とても鮮明で意味不明だった、最後は宇宙になり私は泣きながら父と母を呼んでいた。
苛立ち、恐怖、不信感。

そういえば去年の日本帰国時も、家族や故郷への寂しさと、あまりにも近くて生々しい地元と家族をどこか受け入れられない自分に腹をたて、
愛しさと苛立ちで泣いた。

こうしている今も時間は流れ、人は死に近づく。
気がつけば人生のほぼ半分は故郷を離れている、なんの覚悟もないままに。


夢から目を覚ます、目線の先には実家の壁に貼られたガス会社のカレンダーがあるものだと思い込んで、開けられるまぶた。

よく見ると自分のキャンバス作品がかかっていた、なんで?

伸ばしている足の先には大きな冊子窓があり、レースのカーテンの向こうには畑を手入れするおじさんの姿が見えるはずだ。
私はリビングの掘りごたつの縁でぬくぬくと寝ているはずだ。
混乱した。

改めて醒めてきた頭で部屋を見渡すと、散らかった自分の作業部屋だった。
作りかけの作品が壁から私を見下ろす。

久しぶりに硬い床で寝たからだろうか、変なトリップをした。

2024年3月3日 ベルリン自宅


全くもってこの紙切れ一枚で、
私の頭の中を覗き込めるものか

2024年4月16日
個展を3日後に控えたスタジオからの帰り道、電車を待つホームにて。

この一瞬、今日を逃したくないんだよな。
でも考えること、余裕無くなる、なんていうか
全部ありすぎて自分で考えることができない。
物が多すぎる、それなのにゴミ箱はない、
列をきれいに作る、ハミ出たら受け入れてくれない。
何考えてるか分かんない。疲れた。

2023年9月4日、山手線



ランドセルしょったガキだけで電車!?
2023年9月4日、山手線


朝、リビングの陽を浴びて
よく焼いたトーストにマーガリンを薄く
均等に塗る父の後ろ姿。

朝2階から降りて
リビングのドアを開ける、
その光景が好きだった。
21年前のその光景の中に、あのお化けの少年もいたものだ。

2023年9月某日