「自由とは何か?」について考えていた。 考えて考えて出した答えは、 「自由とは生きていること」 自分でも驚くほど究極の答え。 これが正解なのか分からないけれど、 この答えにたどり着くまでのことを書いていきたいと思う。 「自由になりたい」 いつもそう思っている。 自由になって、 好きなときに好きなことをし、 行きたいときに行きたい所へ行き、 食べたいと思ったときにそれを食べたい。 このように、やりたいことをやりたいときにできる事、 それが私の思っていた
子どもから教わることはたくさんあります。 毎日のようにいろんな気付きをもらいます。 そして今日もとても大きなものを受け取りました。 そんな内容の話です。 娘が布団に入って寝ようとしていました。 いつもは、1人で寝てくれたらいいなと思い、私はやりたい事を済ませてから様子を見に行くようにしています。 でも、側に行くまでにで何度も「おかあさん来て」と呼ばれる日々。 それなのに、今日は呼ばれない。 おぉ今日は1人で寝られるんだな、と思いながら用を済ませて様子を見に行くと、娘
身近な人の好きなものを知っていますか? 身近な人の好きなものを問われ、それに答えられないというのはなんとも言えない気持ちになる。 知らないことが恥ずかしいような、知らなくて当たり前のような、そんな気持ち。 この人のこと知ってるけど知らない。知っていたいような、知らなくてもいいような。知りたかったような、そうでもないような。そんな気持ち。 それより、なぜ知ろうとしてこなかったか。それが問題のような気もする。 相手はどうかな。きっと同じように私の好きなものは知らない、と私は
痛い痛い 痛いところ突かれて心が痛い 苦しい苦しい なぜかわからないけど苦しい なぜ痛くなるのか なぜ苦しくなるのか うわべの気持ちややっていることと、本当の自分の気持ちとがズレているから 本当の自分気持ちに気付いていないから もしかしたら、本当は気付いているのに気付かないふりをしているのかもしれない だからこうするんです 苦しいときはなんで苦しいのか自分に聞いてみる 痛いときはなんて痛いのか自分に聞いてみる そう思うのはなんで? そっか、そう思うんだね じゃあ
あの時私が発した言葉は、 どのようにあなたに届いたのだろう。 もっとほかの言葉にすればよかった、 今でもそう思う。 そんなことより。 あなたの変化になんとなく気付いていたのに、何もできなかった。 ちがう、何もしようとしなかった自分が、時々ゆるせない。 会うたびにに変わっていく姿。 好きだったライブにも行かなくなってた。 せっかくとれたチケットも、 友だちに譲るんだ、って、私のところへ来たよね。 あの時は、これ以上触れてはいけないのかと思って、 そのまま帰してしまった。
これは、今朝の出来事で。 アートの力ってすごい!そんなふうに感じたよ、ってお話。 私にとって、大好きで大切な人、ゆずちゃん。 ゆずちゃんはイラストを描いたり、アルコールインクアートや、レジンを使用した作品のアーティスト。 最近のゆずちゃんは、Twitter上でお題をつけて作品の紹介をしています。 私はその作品を見るのが楽しみで。 今朝もゆずちゃんのツイートで流れてくる作品を 「素敵だな」 と思いながら眺めていました。 お題は、悲しみ、怒り、愛おしさ… 「ア
記憶というのは不思議なもので。 見えない所に置いてきたはずのそれは、 ふわっ、と気をゆるめた途端、 そのことがあった、その時以上の大きさで、 溢れ出す事がある。 それが、 喜び、怒り、哀しみ、楽しみ、 どんなものであっても、です。 ときどき私を襲う、溢れ出てくるあの感覚。 それは、 体中の感情が一点に集中するような、 体の真ん中あたりをぎゅっと押しつぶしていくような、 そういった類のもので。 さらには、涙が流れ出ることもある。 小さな小さな箱へ丁寧