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ハマスが地獄を解き放つのを見た:その映像は古代の憎しみを物語っていた

UnHerd 10月24日に掲載された英国の戦場記者デビット・パトリカラコス(@dpatrikarakos)報告書の翻訳です。

テルアビブ

軍服を着た20代のハンサムな男性が、電動スクーターで私の前を疾走する。向かいのコーヒーショップでは、タトゥーとピアスをした女性がコルタードを落ち着いて飲んでいる。若い家族が賑やかに通り過ぎる。ここは2023年のイスラエルだ。

私は今、ハマスがイスラエル市民に対して行った10月7日の大虐殺の "生 "映像の上映会に向かっている。この残虐行為は、ソーシャルメディアや国際的なレガシー・メディアの一部で否定され、まだ否定されている。「2023年になっても、私達はホロコーストの否定を扱っているのです。このイベントは、それを正そうとする試みです。」これも2023年のイスラエルである。

デバイスは使用禁止。写真も録画も禁止。あまりにひどいからだそうだ。こうして現地時間11時30分、テルアビブ郊外の軍事基地に約250人の国際ジャーナリストが詰めかけた。何百本もの水が並べられている。スタッフは笑顔で親切だ。

イスラエルの報道関係者がこれほどプロフェッショナルでスマートで、しかもチャーミングなのを見たことがない。口がうまいと思われるかもしれないが、そんなことはない。この国は伝統的にハードパワーを何よりも好んできた国である。今、彼らは自分達が直面していることを世界に示そうと必死なのだ。

会場は大きなステージのある講演会場。「2023年10月7日。ハマスの大虐殺。集められた生の映像 」と奥の壁一面のスクリーンにタイトルが表示されている。デバイスの持ち込みは禁止されている。被害者、特にまだ生きている人、レイプされた人、人質に取られた人の匿名性をめぐる問題がある。

イスラエル国防総省のダニエル・アガリ報道官が登場し、予備的なコメントを述べた。「我々は、自分達が何のために戦っているのかを理解してもらいたい。これは次元の違うことである。イスラエルに何かが起こった。これは怒りや正義のためではなく、人類に対する犯罪なのだ。これは善対悪。死対生。テロリスト達は何でもする。(どんな犯罪でも犯す。) そしてそれはイスラム教とは何の関係もない」と彼は付け加える。これは、このイベントを通して私が耳にしたリフレインである。ハマスと、より広い(意味での)パレスチナ人、そして何よりもイスラム教との間に明確な隔たりを作るために、この言葉が降りてきたのは明らかだ。

はっきりしているのは感情だ。アガリは厳密にはメディアの口利き役だが、レトリックに傾倒している。「なぜ彼らは自分にGoProをつけたのか?なぜ殺した相手の家族に電話するのか?彼らは自分達がしたことを誇りに思っているからだ。」

彼は続ける。「レイプ- どこがイスラム教だ?火あぶり- どこがイスラム教だ?斬首- どこがイスラム教だ?彼らは赤ん坊、老人、病人を殺した......我々が戦っている相手を世界が忘れることは許されない。ハマスが求めているのはガザンの死だ。人間の盾を取らず、病院の下にも潜らない。これはパレスチナ人ではなくハマスだ。」

彼はステージから降りる。映像が始まる:数人のハマスのテロリストがイスラエルに入るトラックの荷台に座っているのが見える。奇声と歓声。彼らは通りに扇状に飛び出す。車を銃撃する。血まみれの死体を車から道路に引きずり出す。女性の遺体が道路に投げ出される。「アッラー・アクバル !アッラー・アクバル!」と彼らは叫ぶ。

テロリスト達は通りやロータリーに群がる。彼らはこの場所を牛耳っている。ここでの治安維持の失敗は計り知れない。数人の男がキブツに入る。イスラエルの民間人の車が停車し、運転手は検問所に座っていると思われる警備員に話しかけようと左に体を傾ける。テロリストが右側から現れ、発砲。車内に血が飛び散る。フロントガラスにも血が飛び散る。

画面はキブツ内に切り替わる。テロリストの体に装着されたGoProからの映像だ。彼の自動小銃は、『コール・オブ・デューティー』(アメリカのシューティングゲーム)の画面と同じように飛び出している。これは意図的なもので、ISISも同じことをしていた。恐怖のゲーム化なのだ。

犬が現れ、彼に向かって必死に走ってくる。彼はライフルを下ろし、その犬を撃つ。犬は地面に崩れ落ちる。不思議なことに、その朝、私達がスクリーンで目にした全ての殺戮の中で、- そして私達は次から次へと殺戮を目にするのだが、- この殺戮が最も大きな憤りの息を呑むのである。

私は残虐行為のモンタージュを見ているのだと気づいた。そして、更に悪くなる。恐怖におののいたパンツ一枚のイスラエル人男性と、同じくパンツ一枚の幼い子供2人が叫びながら走っていく。凶悪犯がトラックからよじ登り降りてきて、彼らが避難していた(家の)シェルターに手榴弾を投げ込む。父親の遺体は血まみれで地面に倒れた。テロリストは父親の血にまみれた2人の子供を部屋に連れ込む。「パパが死んじゃった」と一人が弟に叫ぶ。「遊びじゃないよ。本当に死んじゃったんだ。僕も死にたかったよ!僕も死ねばよかった!」と叫ぶ。私がこれまで目撃してきた恐怖の数々の中でも、これはぞっとするほど不穏なものだった。

新たな場面では、サッカーシャツを着た男が血まみれで地面に横たわっている。彼は痛みに呻いている。テロリストが鍬(くわ)を手に取り、彼の頭を何度も何度も叩き始める。「アッラー・アクバル!」と何度も何度も叫ぶ。

踊る女性がスクリーンに映し出される。彼女はクロップトップに小さなショートパンツ姿で、笑っている。次のシーンでは、テロリストがフィールドを横切っていく中、パーティー参加者は地面にしゃがみ込んでいる。パーティー参加者は悲鳴を上げながら走る。人々は車から引きずり降ろされる。血まみれの死体が土の中に投げ込まれ、ハマスが歓声を上げる。

私が見ているのは、死の崇拝と隣り合わせの生への賛美である。

ハマスのテロリストが父親に電話をかけると、音声が流れ、アラビア語の翻訳がスクリーンに映し出される: 「父さん、僕は10人のユダヤ人を殺したよ!WhatsAppをチェックして!写真を送ったよ!父さん、ユダヤ人を10人殺したよ!素手で10人のユダヤ人を殺したんだ。父さん、僕を誇りに思って!」

私は時間の感覚がなくなってきた。恐怖におののき、手錠をかけられた女性人質が、歓声の中、トラックから引きずり出される。焼かれた赤ん坊の映像が映し出されるが、腕の間に抱きかかえられるほど小さい。あるジャーナリストは、赤ん坊が包まれていた毛布は新生児に与えられるものだと教えてくれた。

テロリスト達は無差別に発砲し、ポータロー(公衆便所)にさえ発砲して撮影し、血まみれの便座を誇らしげに見せる。最後のシーンでは、テロリストたちがオフィスに侵入し、机のそばで床にうずくまっている男を見つける。テロリストらは彼に質問を浴びせる。彼はアッラー・アクバルを叫び始める!しかし明らかに、それだけでは彼らを満足させることはできず、テロリストらは彼を(銃で)吹き飛ばす。

持続的なサディズムはついに止んだ。私は水を飲んで落ち着くために外に出た。ガザ司令部のミッキー・エデルスタイン将軍からブリーフィングに呼び戻された。「彼らは民間人を殺し、燃やしに来た。軍人ではない。民間人だ。私は長年ハマスと戦ってきたが、彼らがここまで暴力的になるとは正直思っていなかった。」

彼は続ける。「我々は市民にガザ北部から避難するように言った。その通りだ。 (我々は中に入る)そして民間人の死傷者が出た。しかし、我々は子供を殺すために探しているのではない。歩くのが遅いからという理由で人質を殺すことはない。子供達を見つけては、隣人に出てくるよう強制し、出てきたら殺すようなことはしない。」

彼はあまり感情的でない話に移った。「イランが関与している証拠がある。あまり詳しくは言えないが、ガザには訓練された組織がある。捕らえられ、殺されたテロリストから文字に書かれた指示書が発見された、と彼は付け加える。これはサディズムと血に飢えた乱痴気騒ぎだったかもしれないが、計画的な軍事演習でもあった。

このような事態を引き起こした警備上の重大な過失について質問があった。エデルシュタインは考え込んだ。「我々は失敗した。」「失敗したんだ。」と静かに言った。

イベントは終了。私はその場を去り、私達が見たものを振り返る。あの映像は、真の意味で悲劇的な、より広い紛争の中の恐ろしい出来事のひとつにすぎない。占領、ガザの市民の苦しみ、果てしなく続く暴力。イスラエルが対応しているのは、ガザの市民の命を守る義務があるからだ。

しかし、それ以外にも明らかなことがある。映像が教えてくれたことだ。10月7日に起きたことは、抵抗とは何の関係もない。占領や一国解決、二国解決とは何の関係もない。ユダヤ人がどこにいようと、誰であろうと、ユダヤ人を殺そうという欲望である。そして、それに対して後退はできない。

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