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時間の先生に教わったこと。

じ‐かん【時間】
(timeの訳語。〈哲学字彙初版〉)
①時の流れの2点間(の長さ)。時の長さ。「―がある」「この仕事は―がかかる」「勤務―」「―割」
②俗に、時刻2と同義。「帰りの―が遅い」
③空間と共に人間の認識の基礎を成すもの。時間1と時刻とを併せたような概念。
(「広辞苑」(第六版)より引用)

私のおじいちゃんが亡くなってから、一週間ほど経ちました。

いま私は、おじいちゃんが住んでいた街で一人暮らしをしていますので、なんだか歩いていると、ぽっかり街に穴が空いているよう。
街の景色も、匂いも、花屋のおばちゃんも、古いラーメン屋も、小さな電気屋も、駅や線路も、変わらずそこにあるのに。ぽっかりと、なくなる。そしてぽこんと、新しいお店が立ったり、人がやって来たりしている。

これが、時間なんだね。
知っていたけど、体感しています。

私はおじいちゃんからたくさんの、時間の大切さについて学びました。
時間の先生であるおじいちゃんから教わった、時間の使い方について、今日は頑張ってお伝えしたいと思います。

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①始点と終点を見つめて、その間を綺麗に順番で並べること。
おじいちゃんとはよく一緒にレストランや喫茶店でお食事をしました。その度におじいちゃんは、おじいちゃんのお父さんとお母さんのこと、きょうだいのことについてお話ししてくれました。
それが、凄いのです。まるで歴史の教科書を読むかのように、綺麗になめらかに始めから終わりまで、お話ししてくれるのです。人の人生をここまで丁寧に記憶して話せるものか、と驚きました。
おじいちゃんのとても大切な人が亡くなった時は、おじいちゃんはその人生を始めから終わりまで、紙に記録して、話してくれました。その順番はとても綺麗に並べられ纏められていてました。
それは人が生きてきたことを敬うこと。一人一人ちがう、長い物語は、忘れたくなくても、忘れちゃうもの。しっかり記録すること。それが誰かと生きるということ!

②いいものを長く大切にでも時が過ぎたらぱっさりと。
いつも同じ感じの服を着ていたおじいちゃん。あの服とあの帽子と時計。
綺麗に馴染むように着こなしていました。
ある日一緒にお出かけをした時に、おじいちゃんの身に付けるものはとても素敵だねと伝えました。すると、「いいものなんだよ。登山用のものでね。とてもしっかりしているんだ。もう何十年も使っているよ。」そして、「すぐ壊れちゃうものより、ちょっとよく選んでいいものを、長ーく使ったほうがいいんだよ。」と言いました。きらりと光る時計は何十年経ってもずれることなく時刻を刻み、服の馴染みも、かけた時間からくるものなのでした。

何事にもじっくり時間をかけるおじいちゃん、と思いきや、ダメな時は見切りをつけてぱっさりとさよならすることも必要だと言います。

登山が好きなおじいちゃんが、山に登るときのルールを教えてくれました。
「朝早く登り始めて、お昼12時が来たら、帰る。」これが安心して登山を楽しむおじいちゃんのルールなんだそうです。
山の天気はお昼過ぎから突然変わりやすいらしく、午後から突然雨など降られて滑ってしまってはいけないから、午前中に登るということです。どんなにあと少しで頂上…!だとしてもお昼12時が来た瞬間、クルッと踵を返して帰ります。そんな帰りに土砂降りになるんだとか。
諦めないことも大切だけど、大事なのは自分自身。だから決めたその時が来たらさっぱり諦めて、また次回。それが好きなことを安心して長く楽しむコツなんだそう。

③その土地の作法を身につけて、人と関わる。
おじいちゃんと紅茶を飲んでいた時、「ほら、紅茶は片手でカップを持って、もう片方の手でソーサーを胸の位置にあげて…」と飲み方を教えてくれました。ガツガツと両手で飲んでいた私はびっくり。紅茶の作法だけでなく、食事や振る舞いもおじいちゃんはよく心得ていました。そして、国によって違う習慣もよく知っていました。
相手に合わせた振る舞いで、いい空間にして、お話する。それが大事なんだそうです。
どちらかというと大雑把で、自分のやりたいようにやるのが好きな私は、作法やら振る舞いやらは、面倒だなあと思ってしまう人間。でもおじいちゃんは、家族や親戚とご飯を食べたりお茶をする時、必ず楽しい話やお勉強になるお話をして、その空間を作ってくれました。そして、とても綺麗に小さく紅茶を飲んで、最後にフルーツを切って振舞ってくれるのでした。

その姿勢は、おじいちゃんの体が少しずつ弱くなって施設や病院で過ごすようになってからも同じでした。ロビーにみんなで集まって、変わらずお茶をしました。その姿は、凛としていて素敵で、どこかほっとするのでした。
人は一人だけで好きに生きるのは、やっぱりちょっと難しいこと。支えてもらうためにも、支えるためにも、相手のために振る舞うのは大切なんですね。
そして学んだ作法やらは、ただ知っているだけじゃなんにもならなくて、ただの偉そうな人になってしまう。ちゃんと素敵な空間を作って、その時を過ごすために作法やルールを使って振舞っていかなきゃいけないんだなということ。それはとっても大事なことなんだと学びました。


そうして、時間はどうしようもなくカチカチと過ぎていきました。

最後に教えてもらったこと。
それは、時間は終わること。

時間が終わる少し前に、おじいちゃんに挨拶をして帰ろうとした時、出口まで来てフッと「あ、大好きっていうの忘れた。」と思い出しました。その時いつもならまあいいかで帰っていたのですが、なんとなく踵を返しておじいちゃんのところに戻りました。

そうして大好きと伝えたら、もう喋れないおじいちゃんはコクンと頷きました。
これが最後の会話でした。

そのときも時間は、カチカチと過ぎていました。時間は、気づいたら終わっているものではなくて、最後まで、早まることも、遅れることもなく過ぎていく。そしてある瞬間に止まる。ということを教えてもらいました。

そして、また1秒後に動き出すんです。

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カチカチ、カチカチ
どうしようもなく過ぎていきます。

今はもういないけど、残ってるものがたくさんある。あの頃と、なにも変わらず動き続けるこの世界で、教えてもらったことは生き続けますね。いいことね。

教えてもらったこと、私は、まだ全然できないけれど、忘れないでおこう。
このお話は、ひとりの、こないだまでいた人間のお話。きっと全部正しいわけじゃない。
でも、私たちまだ生きてるから、ちょっとでも残りの時間のためになったらいいよね。教えてくれたこと、忘れちゃいけないこと、あるよね。

という気持ちで書きました。
読んでくれてありがとうございました。

#エッセイ #家族 #生活 #時間 #言葉 #死

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