生きづらさについて

久々に思う存分,忌憚なく書きます。

SNSで「生きづらさ」というのをよく見かけます。
正直,私自身は「生きづらさ」を感じたことがない超絶マイペースな自由人ですが,なんか少しわかります。

ある人が言っていました。

「自分にも他人にも厳しい日本」

まさに,その言葉がぴったり。
ことあるごとに,あげ足を取り,批判しまくり,自分ルールのハラスメントが横行し,会ったことがない人を自殺にまで追い込む。

「自分に甘く,他人に厳しい」人も大勢いますね。

自分はできないのに人に要求したり,人を糾弾しておいて自分が糾弾されるとハラスメントだと大騒ぎしたり。

気になることはもう一つ。
ニュースでも増えてきましたが,なにかと「発達障害」と関係づけたいらしい。
ちょっと普通と違う,基,自分と違うと「発達障害」という。
そんなの個性の範疇じゃない?
能力とかコミュニケーション力とか,確かに職場ではほかの人に迷惑をかけてしまうかもしれないけれど,うまく活かせないマネジメントに問題があるのでは?
前時代的な発想で,馬車馬のように働こうとするから,どうしても仕事ができない人を責めてしまう。

日本は貧しい国になってしまった,ということにも一因はありそうですが。
正直,雇用体制がおかしすぎますよね。
もっと給料上げてもいいと思うし。

そもそも「普通」って何なんでしょうね。
共通した価値観があるとしたら,そのほうがおかしいと思います。

違う価値観の中で生きていて思うのは,日本は画一的で,そうでない人は生きられないんだな,ということ。

その画一的な価値観から少し違うと,排除されてしまうので,生きづらさを感じるのではないでしょうか。

もっと言ってしまうと,声の大きい人が,自分と同じでない人に出会うと,「おかしい」と大騒ぎして,その人を消していく。

これじゃ,ほんとに才能や能力がある人が声が大きいだけの無能な民にやっつけられてしまいますね。

私のいる国は,良くも悪くも「自分にも他人にも優しい」です。
他人にも寛容だから,自分の価値観だけで,批判したり,攻撃したりしないし,変なマウンティングもないです。
ま,その代わり,気遣いは半端ないですが。

「生きづらさ」を感じている人がおかしいみたいになっていますが,むしろ,「生きづらさ」を感じさせてしまっているほうがおかしいのでは?と思う今日この頃です。

あくまで個人の見解です。

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