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就活をやめて放浪した大学最後の夏 後編

大学生最後の夏。私は地元大阪を離れ、北海道東川町でCompathのミドルコースに参加していた。


この夏に私が思ったことを、ただただ記すこのnote。今回は後編です。


転機:自分の周りにやっと気づく

私の転機は、自分の誕生日に訪れる。展開が若干ベタ。

幸運なことに、私はミドルコース中に誕生日を迎えた。
といっても、正直期待はしていなかった(笑)。だって、出会って2週間ぐらいだし、誕生日という超個人的な出来事をお祝いしてもらうなんて申し訳ない。まして、私ハウスマスターとして何もしてないし…。だからいつも通りにすごそうと思っていた。

でも、みんなはお祝いをしてくれた。
誕生日の前日は運営メンバーみなさんからすごくおいしいチーズケーキをもらった。みんなでご飯を食べて「おめでとう」と言ってもらっただけで、最高にうれしかった。嬉しすぎて眠れなかった。

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当日は、自分で木のスプーンをつくるワークショップがあった。

スープ用に作ったスプーンが、なぜか最終的にはティースプーンサイズになったが、自分の愛着の持てる形になった。
誕生日に自分の物を作るという行為は、自分で自分が生まれてきたことをお祝いできたような気がして、むずがゆいような、でも心の奥はほっこりするような気持ちがした。

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(左から3つ目が私が作ったもの。)

夜はミドルコースのみんががサプライズでお祝いしてくれた。
クラッカーがぱーん!となって、みんなにバースデーソングをわーっと歌ってもらって、目の前にはおいしいチーズフォンデュとお手製ケーキ。そして、なぜが大量の駄菓子(笑)。
インスタでよく見る光景が私に目の前に繰り広げられ、私は呆然。
リアクションが下手な私はすごく塩な反応をしてしまったかもしれないけど、すごく嬉しかった。

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たった2週間かもしれないけど、私はちゃんとこのコミュニティの中にいれたんだなと今更ながら実感して、はじめてみんなに対して安心感をもった瞬間だった。
私は社交的に見られるけど、本質的には人見知りで人と打ち解けるには時間がかかるタイプ。でも、たった2週間の間にみんなはいつも私のことを気遣ってくれていた。


「ゆり、無理せんでね。」
「もっとゆりの思っていることも聞きたいよ」
「ゆり面白いね!」
手酌でお酒を飲みながら、みんなからもらった一つ一つの言葉を反芻する。そして、みんなが私を「ハウスマスター」としてではなく、「ゆり」としてコミュニティに入れてくれていたことに気づいた。

私もみんなにちゃんと「個人」として向き合いたいなと思いながら、その夜はぐっすり眠ることに成功した。


ミドルコース後半:「答えなんてありませんから」

自分のいるコミュニティに安心感が生まれ、やっと地に足をつけてプログラムに向き合い始めた頃。私の中に眠っていた「焦り」がまた声を上げ始めた。

こんなことしているけど、将来どうするんだ。
就職するなら今からエントリーシート書いた方がいいんじゃないか。
帰ったら親になんて説明しよう。
っていうか、わたしこのままだとニートになるよ?

そんな不安や自分に厳しい声が自分の中で反響していた。
本当は卒業後もCompathメインで関わりたいと思っていたけど、運営も慣れていくなかで「どうやらここは違うらしい」という結論にたどり着いていた。
就職活動を放棄して、自分のやりたいことや自分のことを見つけ続け1年半。結局答えは見つからず、私には焦りだけが残っていた。

どうしよう。もう来週には帰るのに。そんな耐えがたい焦燥感から逃げるように、私は東川の町を出来るだけゆっくりと散歩した。

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そんな時、宿泊先の近くにある小さなお店を見つけた。中はほんのり明るくて様子ははっきり見えない。普段なら1人で初めてのところには入らないのに、その時はなぜか入ってみる気になった。

中はまさに私の大好きな空間が広がっていた。
シンプルで着やすそうなお洋服が一つ一つ丁寧におかれ、お店の奥には本やお皿も置かれている。セレクトしているものも、置き方もすごくシンプルだけど、一つ一つの商品にお店の人の哲学をひしひしと感じる空間だった。


お店の居心地が良すぎて、ぐるぐるとお店を回っていると、店主さんが声をかけてくれた。普段はお店の人と話すなんて絶対しないのに、お店の空間にテンションが上がった私は、しどろもどろに店主さんに質問し続けた。

「なんでこのお店を始めようと思ったんですか?」
「東川の魅力は何だと思いますか?」
「ものはどうセレクトしているのですか?」

初対面の人にこんな質問攻めされて、普通ならびっくりしてしまうかもしれないけど、店主さんは1つ1つ丁寧に真っ直ぐ答えてくれた。時には質問返しもされて、私は心がひりひりしながら懸命に言葉を紡いだ。気がする。


気が付いたら、初対面15分で私は人生相談を始めていた。

「就職活動に違和感があって、一旦やめてここに来ました。でも明確な答えが見つからなくて。何となく持っている興味や関心はあるんですけど、どう行動に移したらいいのかわからないんです。」

堰を切ったようにでた私の言葉に、店主さんは軽く笑いながらスパッと答えた。

「答えなんてありませんよ。若い人はすぐ答えを見つけようとするけど、そんなものみつかりません。ただ、目の前にあることをやればいいんです。今日思ったことが明日違ってもそれでいい。自分がいいと思ったことを積み重ねていれば、気が付いたら何か見えていますよ。」

私はいつから「答え」を求めていたんだろう。

去年の秋に「就職活動って意味が分からない」と東北に逃避した日から、東北から帰ってきて「シューカツや大学院進学以外にも道はあるはず!」と言っていた時も、それが見つからなくて焦っていた時も、私は常に「答え」を求めていた。
だって、社会的には「就職して大人になること」「大学院進学して勉強すること」が未だに「正解」とされているような気がする。その「正解」にもし乗らないなら、自分なりにその正解に相当するような「答え」を見つけないといけないと思っていた。
そして、その気持ちが自分を苦しめていた。


そうか、答えなんてないんだ。
そうはっきりといわれ、将来に対する明確な答えをもらえたわけではないのに、店を後にした私は笑いながら、泣いていた。
答えなんてないけど、少なくとも私は自分なりの選択をして、ここに来ることが出来た。そして、いろんな人に出会い、今こんな素敵な言葉に出会えた。それだけで、充分じゃないか。そう思った。

心が一気に軽くなった気がした。
救われたと思うのはこういう気持ちなのかと思った。

今目の前にあることを丁寧にする。そんな中で見えてくるものがある。
この力強い答えは、今までの自分の過去を否定しかけていた私に、すべてのことに意味があると優しく伝え、ここまで来た私を優しく受け入れてくれた。

この言葉に出会えただけでも、ここに来た価値があったな。
授業でも、運営ミーティングの時でもない、なんでもない日常の一瞬だけど、私はその瞬間にとても感謝した。

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後日談:手放しても、失っても、残ったものがある

ミドルコースを無事に終え、北海道から帰った後、私は大学生活に戻った。


私にとってミドルコースは「手放す」期間だったと思う。日本でフォルケの先生になること。将来の選択肢を見つけること。みんなに納得してもらう答えを探すこと。見栄っ張りな私…。


これは「失った」選択肢ではなく、「手放した」選択肢だ。今は行動に移さないけど、一旦自分の手から放し保留する。もし時が来たら、また手にするかもしれない。不確かなワクワク感を持ちながら、私はその選択肢を手放した。

失ったものもある。私は今まで就活せずに過ごしているから、大企業といった企業に新卒として入る手段は大分少なくなっている。

私はいろんなものを手放し、心が軽くなった一方で、振出しに戻ったような喪失感も引きずっていた。そんな時、東北でお世話になっていた人に近況を話す機会があった。彼は私にCompathを引き合わせてくれた人でもあったので、今までの経緯を丁寧に話した。
そしたら、この言葉をもらった。

「たくさんのことを手放しても、残ったものがあるはずだよ。それも考えてみたら?」

はっとした。私はいろんなものを手放したことに満足し、残ったもの、得たものになぜか目を背けていた。
そして、「残ったもの」といわれても、ピンとこなかった。


少し時間がたち、もう一度この問いを考えてみる。
私に残ったものは何だろう。

正直、しっくりくるものはまだわからない。私が得たものはなんだったのか。明確な形を持ったものはわからない。
でも、その答えを育む「土」と「種」と「水」は貰った気がする。

「土」は東川町とCompathという帰ってくる場所が出来たこと。もし私が躓いても、立ち止まっても、またここに戻ってくればいい。そうすれば、Compathの2人がいて、水とご飯のおいしい東川町でゆっくりすればいい。
何もせず、一緒に深い話が出来る人や場所と出会えたことは、私に深い安心感を与えてくれた。同時に、その安心感が前に1歩踏み出す強さを与えてくれたと思う。

「種」は自分の中にある孤独感や寂しさをもう少し抱えて生きてもいいんじゃないかという姿勢。
過去の経験からくる孤独感と10年くらい向き合ってきた私は、早くその孤独を無くしたいと思っていた。
でも、孤独感があるから私が人の痛みに寄り添いたいと思うし、孤独感があるから人と深く関わり続けたいと思える。臆病になることもあるけれど、この孤独感が今の私を作ってきた。面倒だけど、今はもう少しその孤独感と付き合ってもいいかなと思っている。
この孤独感がこれからどうつながるのか。10年後も私はまだ「寂しい」と言っているのか。その経過を眺めるのも面白いなと思っている。

「水」は東川で一緒に過ごしてくれたみんな。
年齢も、性別も、性格も、歩んできた人生も全く異なる私たち。そんな私たちが移動が制限されている、この時期に出会えたことは本当に奇跡だと思う。Compathは「人生の交差点」なんて言うけれど、ミドルコースは渋谷のスクランブル交差点で運命の人に一目ぼれするくらい奇跡に近いと思う。まあ、大阪に住んでいるから知らんけど。

いつも一緒にいるわけじゃないし、たまには痛いことも言われるかもしれないけど、これから自分の人生を一緒に歩くことになる気がしている。そして、節々で私に何かしらの刺激を与え、私の持っている種に水を与えてくれるのだと思う。
みんなが持っている種を面白がって一緒に育てていける。そんな人たちに出逢えただけでも、私は寮母さんになって良かったと思う。


たくさん手放した先に、私は何を見つけるのか。
私はこの経験からどんな花を咲かせるのか。もしかしたら木かもしれない。
そんな形のないワクワク感が唯一私の手元に残った。

そんなわけのわからない夏休みの過ごし方だったけど、「ここにこれて本当によかったな」と本当に思えるのは、実は10年後くらいだったりする気がする。
でも、その伏線回収が出来ると思うと、生きていることも少しは楽しくなりそう。だって伏線回収が多いドラマほど、最終話が楽しみになるように、伏線回収が多い人生の方が楽しみは先に残っているということだから。

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