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「わからない」の先に、私たちは立体的な景色を見る。~鷲田清一著 「濃霧の中の方向感覚」より~

はっきりとした意見を言えなくなってしまった。

そして、はっきり明確に話す人のことを直視できなくなってしまった私は、弱くなってしまったのか。

数年前の私は、意見をはっきりと言うことが美徳だと思っていた。
その根底にはみんなに「お~。」と言ってもらいたい自己顕示欲と、それくらい自分の言うことに自身を持っていたからだと思う。

そんな私は2年前にひょんなことからデンマークのフォルケホイスコーレに出会う。
フォルケでは「対話」を重視する学校だったため、留学中はとにかくいろんな人と話し続けた。
対話を続けていくうち、不思議なことに私は自分の意見を話すことよりも、聞くことの方が好きになった。

帰国後も日本でフォルケをモデルにした学び舎を作る活動を続けていく中で、私はいろんな人と対話し続けた。

そして、いつの間にか私は自分の意見を言えなくなった。

意見を言えなくなったというのは、自分の意見を持っていないわけではない。でも、その意見はあくまで私が見えている範囲でしか合理的ではないもので。
人の話を聞けば聞くほど、その人にはその人の合理性があり、正義があり、そして世界があることを知った。

私が見えていた世界は私にしか見えていない。それなら、どうしたら他者と同じ目線を向けるのだろう。私の意見は誰かを傷つけてしまう世界なのではないか。そう思えば思うほど、私の視界はぼやけ、自分の意見があいまいになっていく。その変化がすごく怖かった。

意見を明確に言えない人は「弱い人」なのではないか。自分の軸を明確に決めて、突き進んでいる人がすごく輝いて見え、その人の視界はとても明るいのだろうなと思う。でも、今の私の視界には「霧」がかかっていた。

そんな時、「霧」のかかった本に出会った。


「霧」という言葉にひかれて

最近、通い始めた最寄り駅にある図書館。お散歩がてら訪れるようになってから、いつもチェックする棚は「エッセイ」のコーナー。小説でもなく、学術書でもない。人の話が一番近くで聞けるようなエッセイというジャンルが私は好きだ。

いつも通り、散歩するように目的地も定めず目線を棚にぶらつかせる。その中にあったのが、鷲田清和先生の「濃霧の中の方向感覚」という本だった。

実はこの本とは初対面ではない。去年の夏に北海道でインターンをしていた時に一緒に参加していた友人が持って生きていた本だった。友人曰く、パートナーからおすすめされた本だったそうだが、私はその表紙が非常に印象的で一瞬しか見ていないのに覚えていた。

柔らかいモノクロの装丁。表紙にはグレーがかった荒野が広がっている。その表紙がこれから私が歩く不安定な道を暗喩しているようだった。そしてタイトルにある「方向感覚」という言葉にもひかれた。

目的地でも、案内でもなく、「方向感覚」。答えのなさそうなその言葉。
私がまさに今ほしかったのは、その方向感覚だった。


「価値の遠近法」という視界

この本は臨床哲学者である鷲田清一先生が様々な媒体で執筆したエッセイを集め、「政治」や「文化」という広いトピックで編集されている本である。

その中でも、私がこの本をちゃんと通読しようと直感した言葉がある。本の最初にあった言葉だ。

わたしたちもまた暮らしのフォーマットの再点検から再開するよりないのかもしれない。ぜったいに無くしてはならないもの、手放してはいけないものと、あればいいけど無くてもいいものと、端的に無くてもいいものと、ぜったいにあってはならないこと。これらを大ざっぱにでも区分けできる、そんな<<価値の遠近法>>をまずは固めなければと、それぞれにいまじぶんが立っている場所で思い定めつつあるのかもしれない。

鷲田清一著 「濃霧の中の方向感覚」 p.7

<<価値の遠近法>>この言葉がとても胸に響いた。

私は意見がぼやけて生きたのは、いろんな人の話を聞くうちに、その人の価値観や正義が私の世界にいろんな色をつけ始めたからだった。そりゃ自分の世界はどんどん鮮やかになり、鮮やかを通り越して、どこに目を当てたらいいのかわからなくなるのは当たり前だった。

鷲田先生は本の中で、「自分の中でたくさんの補助線を引いていくことも大切」と書かれていて、私が今まで出会ってきた人や話は、確かに自分の中での「補助線」となってくれていることも実感した。

私の視界がぼやけてしまうのは、今たくさんの補助線や色が私の目の間に広がっており、カオスになっているから。あとは、自分の景色がよりクリアに見えるように、いろんな線や色を調整していく必要がある。

「ああ、自分の視界は、自分の意見は、単色じゃなくでもいいのか」と当たり前のことなのに、とても胸が軽くなった。

わからないことへの耐性

でも、結局は自分の明確な意見を言えないといけないのではないか。そんな不安は私の中にまだ残っていた。「わからない」ことを「わかる」ことの美徳や楽しさを知っているからこそ、未だにいろんなことがわからないままになっている自分のことを、もどかしく思っていた。

でも鷲田先生はさっきの文章に続けて、このように語っている。

そのために必要なのは、わたしたち一人ひとりが、できるだけ長く、答えが出ない、出せない状態のなかにいつづけられる肺活量をもつこと、いってみれば、問えば問うほど問題が増えてくるかに見えるなかで、その複雑性の増大に耐えうる知的体力をもつこと。いま一つは、迷ってもいつもそこに根を下ろしなおすことのできるたしかな言葉、そこから別のさまざまな言葉を紡いでいけるあきらかな言葉に出会うこと。

鷲田清一著 「濃霧の中の方向感覚」 p.7

今必要なのは明確な答えをあてに行く直線状の考えではなく、わからないなかでも模索し続けられる忍耐力であり、遠回りを許容できる寛容さ。そして、自分の位置をちゃんと認識することができる「言葉」という方位磁石のような存在。

今まで試験を人並みにこなして生きた私は、ついつい求められてもいないのに「答え」を当てるような考え方をしてきた。それは、街灯がいくつもある夜の道のように、明るく明快なのだが、他の道が見えないちょっと不安定な道でもあったと思う。

でも、これから私は学生でもなくなり、自分の人生においていろんな問いに直面することになる。そこで私が必要としたいのは最短で答えを導き出せる力ではなく、わからない問いに向き合い、行動し続ける力だと思う。その力をつけるために必要なことが、この文章には詰まっていると思う。

さらに、鷲田先生は「わからないことにわからないまま正確に…」というエッセイの中で以下のように語っている。

そのわからないものへの感覚こそが、わかった気になっているじぶんを破いて、もっと見晴らしのよい場所へとじぶんを引っぱっていきます。
(中略)
一所から世界を見透かすにはわたしたちは背が低すぎます。見えないさまざまなものでわたしたちの歴史的な生は編まれています。だから見晴らしのよい場所に立つには努力が必要が要るのです。意見の異なる人たちとあえて執拗なまでに意見をつきあわせ、交換する必要があるのもそのためです。寛容という精神は呻きとともにあり、それを乗り越えようとする苦行なかからしか生まれてきません。

鷲田清一著 「濃霧の中の方向感覚」p.239~240

わからない中でも、様々な人と意見を重ねていく中で、少しずつ見晴らしを高くよくしていく。そんなメッセージは、わからないことに対する強い不安を持っていた私に、わからないことは寛容や発見の種であることを教えてくれた。


霧の中を進んでみる勇気を


私は今、目の前がぼやけている。決して視力が悪くなったというわけではなく、自分が信じてきたことや言葉をもう一度吟味する段階にきているのだと思う。

私の視界がぼやけたのは、単に考えることを放棄したからではなく、自分の感性を磨きながら、他の人とどうつながれるのか?というチューニングを続けているからだと、私はこの本から気づくことができた。

でもそれって、すごくしんどい。
もう考えたくないなんて何回も思うし、ふわ~っと生きていたい。というか正直、私には温かい部屋と、本と、ちょっと話ができる人さえいればいいのだ。それで、人生十分楽しいし。

でも、それでも考えてしまうのは、私が「わからない」の先にある景色を見てみたいからだと思う。そんな面倒な自分をちょっと面白がりながら、私の視界を遠近法をつけたリアリティのあるものにしていきたい。

年末に、お世話になっている大切な人から、お手紙が届いた。そのポストカードは雪景色の川辺に霧がかかっている写真が映っていた。そして、手紙には文面の余白にこう走り書きされていた。

「霧もまた、演出のひとつ」

私の今かかっている霧も、なにかの演出なのだろうか。
もしそうなら、その霧の向こうには何が見えるのだろう。
ちょっと不安だけれど、この本で出会った言葉と、好奇心さえ持っておけば、霧の先へ抜けることができるかもしれない。

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(近所をお散歩していた時に撮影。黒い輪郭ではなく、白い輪郭を描きたい今日この頃。)

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