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People In The Box / Ghost Apple

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People In The Boxは非常に説明のしにくい捉え所がないバンドだ。歌詞、バンドサウンド、世界観、全てが難解。
『Family Record』というアルバムでは地名、『Weather Report』では物体や事象に関する曲名で統一されており、コンセプチュアルなアルバムを制作・リリースすることが多い。
本作『Ghost Apple』も例に漏れず、曜日と空間で統一されている。曲のタイトルからしてもう既にインパクト十分のアルバムなのだが、中身は更に濃密。
このように統一感のある名前でラベリングされてはいるが、さながらこれは演劇や映画を見ているような感覚に陥るような作品だ。
特定の人物においての行動と意識を時空間に焦点を当てて、鮮明で退廃的な物語を作り出している。

私がPeople In The Boxを初めて聴いたのは、たしか2012年、高校生の頃だった。
出会ったきっかけは本作にも収録されている楽曲である"月曜日 / 無菌室"
当時の私は歌詞の中身など分からなかったのだが、非常に美しいが地に堕ちて飲み込まれていくような世界観に引き込まれてハマっていった。
その後、私が高校の頃に所属していたテニス部の1個上の女子の先輩がPeople In The Box好きなことを知って会話していたところ、なんと『Frog Queen』から『Citizen Soul』まで全てのアルバムを貸してくれた。
それはそれはもうずっと聴いていて、特に私は『Family Record』と『Bird Hotel』、そして『Ghost Apple』が好きだったのだが、その中でも一番印象的で異質であった本作を取り上げることにした。



本作のトラック順は曜日順になっており、月曜日から終わりの日曜日にかけて進行していく。
歌詞やコンセプトの詳しい説明は恐らく他の人達がどこかでしているはずなので私の方から細かく説明するつもりはないが、少しは触れていきたい。  

1曲目の"月曜日 / 無菌室"から衝撃的なスタートを迎える。

太陽の中で愛されたら 君はもう生きれないかもしれない

どんな感性だったらこんな言葉をアルバムの一番ド頭に持ってこれるんだろう。まずファーストインプレッションで完全に持っていかれる。

ギターボーカルの波多野裕文さんはフロントマンの中でもかなりギターが上手いと思うのだが、それは単に奏法のテクニックの話ではない。
ワーミーやボリュームペダルの使い方など、普通のフロントマンはなかなか使わないであろう音の使い方をしている。それがまたこのバンドの幽玄さを形作っていると思う。

"月曜日 / 無菌室"でもその音選びのセンスは遺憾無く発揮されている。それと、ギターだけでなくリズム隊もめちゃくちゃ上手い。
この曲だけ聴くと、"月曜日 / 無菌室"をラストに持って来ても良いのではないかと思ってしまうほどに完成されているように思ってしまう。あえてこの曲を頭に持ってくる、そういう意味でもこのバンドは異質だ。


"火曜日 / 空室"もまたとてつもない楽曲だ。

ある朝消えた 彼女は消えた

という言葉が使われているが、これは失踪の曲ではないだろうか。
ボーカルが歌い終わったあの瞬間の激しさを増してゆく部分、それが終わりを迎えた時、このアルバムの中の「僕」の目には一体何が映っていたのだろう。  


"水曜日 / 密室"は打って変わって目まぐるしい疾走感のある楽曲だ。
個人的にこの曲は女性と薬物に関するテーマなのかと思っているが、まさにアップダウンの部分や緩急の付け方はそんな風景を彷彿させる。
ふとこの曲を聴いている時に、出てくる言葉から村上龍著『限りなく透明に近いブルー』(講談社、1976年)を思い出した。本人が読んでいるのかどうかは分からないが、私のイメージはこれだ。


話は少し変わるが、People In The Boxの音楽のルーツは果たしてどこにあるのか、それがずっと私の中で疑問に思っている部分だった。
ドラムの山口大吾さんは元々吹奏楽部出身で音楽のキャリアはそこからだそうだが、ベースの福井健太さんはMr.Bigなどをコピーしていたようだ。
"旧市街"などのベースはスリーフィンガーが用いられているが、何となくルーツの一つにBilly Sheehanがあるのが腑に落ちた。

People In The Boxを音楽ジャンルに括るのは無意味かもしれない、という旨の発言をフロントマンの波多野さんがしていたように、このバンドは本当に随所随所で様々な要素を入れ込んでくる。ラテン的なアプローチがある時もあればかなり実験的でプログレッシブな作品も多い。
いわゆるポストロックやマスロックと言った音楽のジャンルで括られることもあり、その意見もある種的を得ていると思う。私の周りにいる洋楽のポストロック好きの友達(例えばExplosions In The SkyやTortoise、Slintが好きな人達)も好きだと公言する人も多い。
それでも、そういう曲が目立つというだけで彼らの音楽性はそれだけには留まらない。ジャンルは結局ラベリングであるので、このバンドをちゃんと区分しようものなら数多の名前が付くことになるだろう。


さて、この次の"木曜日 / 寝室""金曜日 / 集中治療室"は対比関係のような曲だと勝手に解釈している。

"木曜日 /寝室"は何となくタイトルからも想像できるように、本作でも一番ズブズブのサウンドだ。夢遊病患者を彷彿させるような楽曲で、サイケデリック。

"金曜日 / 集中治療室"は、曲調は明るいのにも関わらずどこか不穏で不安な歌詞だ。まるで誰かが死ぬ時のような、そんな曲。
オピウムというワードは中学の歴史で習うアヘンのことで、これも夢の中と信じたいけれど残酷な現実を突きつけられ、感情がグチャグチャになってしまった曲なのではなかろうか。
この作品に関してはただ単にサウンドやアンサンブルばかり聴いてきたが、歌詞を見つめ直すのもこの機会にアリかもしれない。


前後関係で繋がっているとするならば"土曜日 / 待合室"は、死んでしまった誰かに対しての悲しみや虚無感を歌っている曲なのかもしれない。
金曜日に引き続き薬物摂取の描写が出てくるが、先立って逝ってしまった人を追おうとしているのだろうか。いずれにしてもかなり暗い。
今までの中で一番バンドのサウンドが落ち着いている曲だが、それが土曜日という場面にピッタリ合っている。世間一般では土曜日は休みの始まりだが、平日の喧騒の中で生活していた私達が穏やかに生きている、そんな時間の流れを感じさせるようだ。
そんな誰かにとっての平穏な日々は誰かにとってこの上ない苦しみや虚無と向き合わなければならない日で、バンドサウンドと歌詞の役割は別々な様にも思える。


そしてフィナーレの"日曜日 / 浴室"がやってくる。本作の中ではこの曲が一番好きな楽曲だ。
先程"月曜日 / 無菌室"の話でも述べたが、この曲を出されたら"月曜日 / 無菌室"をフィナーレに持ってくるわけにはいかないと思う程に素晴らしい出来だと思う。
本作には「僕」と「彼女」という2人の主要人物が出てくるが、その「彼女」はもういないことを暗に示している。
全てを浄化してくれるような、煌びやかで水色の美しい音が鳴っている。特にアウトロのギターリフを聴くと毎回胸が熱くなる。
美しいメロディが鳴り響く中で、これも出てくる言葉は重たく暗い。



一通り曲の話をしたが、"日曜日 / 浴室"からまた続けて"月曜日 / 無菌室"を聴いてみると面白い。実はここも繋がっている。
結局ずっとループさせられるような、環の中からは逃れられない、ずっとヘドロのようにまとわりついて離れない感覚がある。
私達が生活している中でもそんなことはあるのではないだろうか。1週間ずっと同じ悲しみや苦しみと闘い続けて、忘れたくても結局次の1週間も思い出してしまう。呪縛や中毒のように何度も何度も執拗に頭の中に思い浮かぶことがあるのではないだろうか。

大学に入学した頃までは、難解な内容のこのアルバムの中身を考えてみようとすることを避けてきた。それでも改めて見てみると面白いものだ。
私がこのアルバムを選んだのは、ただただ好きで高校の時にひたすら聴き込んでいたからだ。それでも今になって聴いてみると、また違った視点で聴けるようになった。
いちいちこんなことを考えながら聴くのはかなり大変だと思うのでそんな聴き方はオススメしないが、それでもこのアルバムは凄く価値のある作品だ。熱の入れ方やルーツの広さなど、そのような視点だけで見ても異質で驚かされる。


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