迷路に出口はないと、認めるまで ー「悲しみに、こんにちは」
大切な人を失った時、まるで心にぽっかりと穴が空いて、自分の一部がどこかに行ってしまったかのような感覚になります。
悲しみの受け入れ方は誰も教えてくれないし、身体中の水分がなくなるくらい泣いても、悲しみは去ってくれません。
反抗したり、無気力になったりを繰り返して、しばらく時間が経ったあと、やっとの事で受け入れられるものだと思います。
映画「悲しみに、こんにちは」では、母親を病気で失った少女・フリダの物語で、彼女が静かに、ひたむきに、「喪失」と向き合う姿が描かれています。
生活の場が移っても、心をどこかに置いてきてしまったかのようなフリダ。深い傷を負っているはずなのに、序盤から全く涙を見せません。しかし、ふとした時に見せる悲しげな瞳が、全てを物語っているように思いました。
悲しみの受け入れ方も、どうやって前を向けばいいのかもわからず、彼女はただ孤独の中でもがきます。
決してドラマチックな展開があるわけではありませんが、「出口のない迷路を彷徨う日々」が淡々と描かれているのが、この映画の魅力だと思います。
そんなフリダを受け止め、向き合っていくのが、叔母のマルガリータ。優しくするわけでもなく、哀れんで接するわけでもなく、ただ実の子と同じように扱っているのがとても印象的でした。
真摯に向き合う彼女の姿勢が、次第にフリダの固まっていた心を溶かし、母親が死んでしまったこと、そして母親を失った自身を認めていくのです。
悲しみを受け入れるまでの日々を描いた作品といえば、他にも忘れがたい作品があります。
「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」(2012)
9.11のテロで父親を失ったオリバーが、遺された鍵と新聞の切り抜きをヒントに、鍵穴の持ち主を探す物語です。
「もういいよ、やめていいんだよ」と言いたくなるくらい、オリバーは亡き父親に向き合い続けます。悲しみを忘れかけたら、またえぐり返して自分を追い込みます。そして、何かに取り憑かれたかのように、鍵穴の持ち主を探し続けます。
「天才スピヴェット」(2013)
また、「逃避」という道を選んだ少年もいます。双子の弟を亡くした、兄スピヴェットの旅路が描かれる本作。自分よりも愛されていた弟がなぜ死んだのか?なぜ自分じゃなかったのか?そう思い悩んだ彼は、悲しみにくれる家族に別れを告げ、ワシントンDCへと旅立ちます。
冒険と出会いを通して、彼は弟や家族のことを客観的に見つめ直すことができるようになります。
ひとり静かに耐えて、もがき悩む。
失った物の代わりの「何か」を探す。
現実から逃げ出し、さまよう。
悲しみとの向き合い方はそれぞれですが、この3つの作品を通して気づいたことは、悲しみは人とのふれあいを通して癒し、小さくしていくしかないという事です。
そして、時間が経つにつれ少しずつ記憶が風化していき、心に空いた穴が塞がっていきます。
大人でさえ向き合うことが辛いのにもかかわらず、悲しみに立ち向かう子どもたちの姿には、胸を打たれます。
「悲しみに、こんにちは」のラストシーンで、フリダがいきなり堰を切ったように泣き出すのですが、あれは彼女が現実を受け入れることのできた瞬間だったのだと思います。
悲しみにこんにちはが言えたなら、さよならできる日もきっと近いはず。
子どもたちの小さくもピンと張った背中が、前を向く力をくれました。
こちらの記事は、映画メディア「OLIVE」にも掲載しています。
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