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HAZUKI結ぶ恋『33の手紙』①~⑧

<プロローグ:自立した恋愛を楽しみたいすべての女子へ>

<女心を知りたい男子へ>

恋愛依存症って一体何なのでしょうか?”症”なんてつくから、あまりよくないことなのでしょう。しかし、病名として治療方法が確立されているわけですし、これといって明確な定義があるわけでもありません。

そして、現代人に完璧主義が増えていると言われるように、自覚しないままに”恋愛依存症”傾向にある人が実は多いと聞きます。

主人公のはずきちゃんは、恋愛依存症です。大人の恋愛へと成長していくはずきちゃんを見守ってあげてくださ~い。

また、より実りをもたらす恋愛について考える機会になれば幸いです。

<あらすじ>主人公のはずきちゃんは、恋愛依存体質ですが、本人は自覚がありません。ある日、大好きな彼に婚約指輪の代わりに3冊の本を渡され、彼はというとドイツへと留学に行ってしまいました。取り残されたはずきは、自らの恋愛を振り返りつつ、大人の恋愛へと変容しようと強く心に誓いました。

「お互いが最高境地を超えるぐらいのパートナーシップを」

著者のぼやき(あ、純文学タッチなので、あかなんかな^^;ネットは、純文学あかんやて。noteで、その壁超えるかな。)

*****************************************

1⃣『せつないプレゼント』

「君は、恋愛依存傾向が高い。僕は、それでも好きだよ。言い換えたら、繊細さがあること、それから僕のことを好きでいてくれてるってことだと思う。
ただ、そのままでは自滅してしまうんじゃないかって思うんだ。僕は君と大人の恋愛に発展させたい。
これ、プレゼント、この本を読んでみて。」

わたしたちは、いつもとは違う少しランク上のレストランで待ち合わせをした。彼の好みは、オードリーヘップバーンのような清純正統派なコーディネート、もしくは、モードを意識したスタイリッシュかつハイソで洗練されたスタイル。『清純』もしくは、『気品・上品さ』。

どっちにしようと1週間前から悩んだ。なにせ、優柔不断と言われるわたしである。そこで、こういうときは折衷案を出す。つまり今回の場合は、両方を組み合わせたようなスタイル。

腕を見せるけれど、デコルテは首元まで隠す。でも後ろはV字になっていて、セクシーさを出す。

結婚を前提としてお付き合いしていた彼に、
わたしは、優美な曲線を描くワイングラスの横から、3冊の本を渡された。指輪ではなく、それははだかのままの本だった。

1冊目『心理療法ACT入門 ラス・ハリス』
2冊目『セルフコンパッション』

3冊目『影響力の武器』

「この本を読むだけじゃなくて、実践してみてね、はずき。強いメンタルを身に着けて。こればかりは、僕にはどうしようもない。はずき、君が自分でしかできないことだから。僕は、君に食事に連れて行ってあげれるし、ほしがっていたあの本をあげることができる。究極の和菓子屋さん探しにも付き合える。僕が知ってることを伝えることもできる。
だけどね、僕は君の呼吸をコントロールできないんだ。

僕は明後日からドイツに行く、暫く連絡はしないつもりでいるんだ。」

わたしの心臓はドクンと大きくひとつなり、途端息苦しくなった。
銃にでもうたれたような様子を見たからか、彼は声を少し和らげて話をつづけたようだ。ようだ、というのは、見えなくなったからだ。目の前が、真っ白になった。辺りはただ淡い雪化粧の景色となった。

「なぜかって、それは・・・。」

あぁ、何か言っている。ドップラー効果か何かか、声が湾曲して、わたしの耳の横をすり抜けてただ流れたのか、ただわぁわぁとしか入らなかった。
 靄がかっていた視覚情報が、今度は次第に暗色となり灰色から闇に変わってあらゆる感覚が遠のいた。

気絶だった。

何日経ったのかもわからない。
目が覚めると、わたしは病院の一室にいた。真新しい病院ということが、経年劣化が見られないカーテン越しに見える向かいの別棟からわかった。こちらが旧棟ということも考えられたが、床に目を移したときにその考えは消えた。床は、ワックスがかけられたやわらかい色調の木目フローリングだった。ドラマや近所の病院で見るようなグレー系の無機質な床ではない。

「やわらかい色。なんだか和らいだ気持ちになる。木の力ってすごい。」

はずきは、素直にそう思った。 

脇にあるテーブルの上に、花が活けてある。ピンク色のカーネーションとカスミ草、これらはわたしが好きな花。カーネーションが好きなんて、古典的でしょう?それでも一番好きな花に挙げる人はもしかしたら少ないかもしれない。彼が、おいてくれたのだろうか。

ズキンズキン

あたまとそれから心臓が痛んだ。

それにしてもまるで、長い間夢を見ていたようだ。
人生は夢、だからまたわたしは夢に戻ってきたのだろう。

現実という夢に。

何があったのか、思い出すのに時間はかからなかった。心臓の痛みがわたしを現実へと連れ戻したのだろう。

「そうだ、3冊の本だ。わたしあ、3冊の本を渡された。」

痛い、心臓が痛い、それに呼吸が、呼吸が辛い・・・。息ができない。

ブ、ブザー。

わたしは、コードレスブザーを手にとった。
医師と看護婦がやってきたのは、おそらく数分のことなのだろうが、10分は裕に経っていたように感じられた。
「三浦さん、苦しいですね。大丈夫ですよ。すぐにおさまりますから。すぐ楽になりますよ。」

医師は、

「ゆっくりとゆっくりと呼吸してください。ゆっくりと。」

などと言いながら、看護師と協力しながら酸素ボンベのような装置を取りつけた。

呼吸、呼吸、ゆっくりと、ゆっくりと、するんだよね、


呼吸、
あぁ、そうだ。呼吸は、わたししかコントロールできない・・・。
あぁ、そうだ。わたしは、指輪の代わりに本を貰ったんだ。

3冊の本。

***

2⃣<不安症なはずき>

本は、好き。好きだよ。
きれいな図鑑が好き。
分子や原子、それから鉱物に宇宙、ミクロにマクロの図鑑、それから美しい地上の絶景。
言葉ひとつひとつが宇宙をみているみたいに浮かび上がる詩が好き。

今わたしの手にある本は、彼からのプレゼントだけど、図鑑ではない。

『幸福になろうとするならば幸福になろうとしてはいけない マインドフルネスから生まれた心理療法ACT入門』
それから、
2冊目『セルフコンパッション』

つまり、自己をありのまま受け入れ、メンタルを強化してってこと。

「君のことは好きだけど、このままじゃ僕といると自滅するんじゃないかって思うんだ。」

彼の声が響いた。ここは、彼といったハイソなレストランでもなければ、音響効果のあるコンサートホールでもないのだが、耳の鼓膜の奥で彼の声がウォンウォンと響く。

あぁ、不安で消え入りそうになる。不安で、消えたいともいえる。

不安のようなパニックが始まると、心臓の鼓動が痛くなる。まるで、心臓が、倍の大きさにでもなったようにかさばりはじめる。よくこの肺の中に納まっているな、それとももうすぐ破裂するんじゃないだろうか、と思う。
以前宇宙図鑑でみた爆発寸前の赤色巨星とわたしの心臓を重ねたりもする。広大な宇宙の中のある種の恒星は、歳を重ねると赤く膨張するのだ。
 老年期に赤くなるなんて、星は人間とは、逆なのね。人は、生まれたときは赤赤として赤ちゃんと呼ばれるのに、宇宙は晩年に赤くなる。宇宙にとっては、晩年が始まり?そんなことはいい。ただ、こうして思考を少しずらすと心臓の痛みが和らぐように思うのだけれど、ふいに鋭い痛みが来ると、また元の不安に戻される。

 不安というものも、人に平等に配られていない。才やお金といっしょだ。才やお金はあったほうがいいものだろうけれど、不安が感じやすいからといって喜ぶ人は、そうそういないはず。だけど、この不安というものには、ぐるぐるとわたしを渦へと引きずり込む。永遠に収束点にたどり着くことなく弧を描き続けながら下降する渦。

 抜け出すのは、至難の芸当。

お金も才も努力次第で手にできるそうだが、不安を減らして心的安定を得ることは努力でなんとかなるのだろうか。

不安が小さく授けられた人は、
いとも簡単に、そこからすり抜ける。もしくはそもそも赤ちゃんの手のひらよりも小さな渦を巻いているに過ぎない。

テトリスをすれば、気持ちが切り替わる、なんて言われているらしいが、とんでもない、その一言だ。テトリス程度では、不安から気がそれない。
わたしときたら、
大蛇も吸い込まれるような猛烈な勢いで渦巻く不安の水流にのまれて、ただ、ただ下降するのだ。沈殿を目指すけれど、決してたどり着かない下降。

はぁ、わたしって恋愛依存症の前に、不安症対策じゃないの?こういうのって、きっと併発的なんだろうな。それに、根本に共通項があるのかもしれない。

目が覚めてから、10日経った。不安症は一日何度も訪れ、威力を増している。心臓の痛み、それから度々の呼吸困難。

喘息の薬を吸引しながら、苦しくて、このまま息ができなかったらどうなるのかって考えながら、深呼吸をくり返すとやがて呼吸ができるようになる。

呼吸がスムーズにできることの恩恵をこのときほど感じることはないけれど、きっと健康に戻ったらそんなありがたさなど意図でもしない限り、思い出すこともないのかもしれない。

呼吸。
「呼吸は、君にしかコントロールできない。」

呼吸。わたし、呼吸でさえも薬の力をかりなくちゃできないんだ。

3⃣<はずきと彼はこうして出会った>

それにしても、最後のこの本は、なんだろう。
『影響力の武器』
これを読め・・と?

はじめの2冊は、なるほど、心をしなやかにするためだろう。
そして、最後は・・・?

わたしは、疑問を残したまま、一冊目を手に取り、目を通した。どうやら、感情や、思考についての扱い方の書籍のようだ。

あ、ごめんなさい。自己紹介がまだだった。わたしは、三浦はずき。年齢は・・・、アラサーとだけ言っておく。自己開示が必要?28歳。1993年10月1日生まれ。あなたは、28歳のとき、なにしてた?28歳になったら、どんな風にありたい?

わたしは、目下、実家で休養中。実家は、筑摩神社。つまり、神主の家系で、わたしはただ一人の娘。

「婿養子に来てもらうか、はずきが跡をついで、なんてことは言わないぞ、はずき。」

と、両親は言うのだけれど、これってどう聞いたって、
「はずき、お前に是非ついでほしい。」
と、聞こえた。
違う世界を見てみたい、
わたしは、大学を卒業してから、実家を避けるように東京に就職した。東京の印象はこうだ。上昇のエネルギーと下降のエネルギーが同じぐらい凄まじい年。また江戸の街を塗り替えるように建てられた無機質な四角い建物やコンクリート、アスファルトにわたしは冷たさを覚え、ときに壁面に緑が植えてある建物や緑や花、それから水がある庭園のような有機的な空間に未来都市を思った。

(就職先は追記予定です)

それで、東京で彼に出会ったのだが、それが偶然の賜物の連続。

わたしは、アート好きでよく美術館にでかける。その日わたしは、とある新鋭アート展にでかけた。コロナ禍だからだろうか、それともランチどきの真昼間にきたからだろうか、チケット売り場には先客が一人いただけだった。のちの彼である。

彼は、ラフな恰好をしていた。(詳細のちほど追記予定。)
少し、観察しすぎ?それも無理はなかったの。何せ、アート展に来ていたのは、その時間帯わたしと彼だけだったから。
美術館に行く目的のひとつに、美術館に訪れる人を観察することをあげる人もいる。わたしは、そうじゃない。絵だ。目的は絵を鑑賞すること。絵と1対1で対面し、そして何を感じ何を考えるのか、自然な発生を楽しむ。

そうは言っても人が気になっているのは否めない。
人はどの程度、同じ空間の人に注力を注いでいるのかは、今のところ測りようもないわけだけれど、少なくともわたしの注力の10%はただ一人の来客者、彼に向けられていたと思う。

 それで、なんとか双方の鑑賞にさわりがないように、適切な距離を保とうと、絵を見ていた。

ある一枚の大きな連作の前に来た時、文字通り、不覚にも我を忘れて、絵の世界に没頭してしまった。おそらく、注力のほぼほぼ100%絵に向けられていたと思う。

その絵は、女性の横顔の連作で、
悲愴、絶望、嫉妬、増悪、復讐、激怒、失望、退屈、満足、楽観、希望、歓喜、大いなる気づき、
人間の重く沈鬱な感情から、明るく軽やかな感情までを表現していた。中央には、

連作はまるで、密教の曼荼羅のように配置されていた。その中心にはエロチックなまでの女性性器の抽象画があった。(ちょっと三島すぎ?やね~w文学系たっち控えめに参ります・・・あかんわ。文学系しちゃうわ。まぁ草稿の骨格やから、自由に書いて、ええよね。控えながら。

強烈すぎるなら、それを宇宙のビッグバンのような絵を中心に描き、
絵の名まえを”性エネルギーの発露”とか”宇宙の鼓動”とかね、変えてみる。

『子宮という宇宙』

従来、美術品は、もっぱら、感性の喜びを感じるからこそ好んできたのだけれど、この絵に興味をひかれた理由は違った。

わたしは、喜びという快の感情よりも胸が何かえぐれるような気持ちがしながらも、人間の一連の感情を一度に体感するような感覚に驚いていた。


あまりにも集中して見ていたからか、
わたしはすぐ近くに彼がきていることにまったく気が付いていなかった。まったく、だ。

ふと顔を横に向けたら、そこに彼が迫っていて、数秒前のわたしのごとく、曼荼羅のような絵に見入っていた。迫っているなんて、書いたが実際は、2mは離れていたんだと思う。ただ、迫っているような主観があった。

わたしは高鳴る心臓の音と血潮が上昇するのを感じながら、彼の横顔に見入った。

瞬間を幾ばくか重ねたあと、
その視線は彼のしれるところとなり、

わたしたちは、目があった。

1秒,
2秒,
3秒。

3秒。体感で3秒である。ほんとは、これも1秒にも満たない刹那だったのかもしれない。時間とは、相対的なものだから。
が、わたしは赤裸々な何かを見られたような気はずさが内側に生じたし、一方で赤裸々な何かを隣の彼に見た気がして、面食らい、一瞬の躊躇のあと、
さっとその場を離れて、それから残りの絵を見ることもなく外に出た。

一体全体、こっぱずかしいことこの上なし。

人間の感情という感情が目の前で絵画として露になっていて、その中心には性のシンボルのような描写がある。わたしが彼の横顔に見入ってしまった時の目は、もしかしたら、赤裸々な人間としての彼、そして性のシンボルとしての彼を見る目だったのではないか。エロスとしての彼。

これが、彼との遭遇、第一日目である。


第二日目、まさかということは本当に起こる。

4⃣<まさかということは起こる>

第二日目、まさかということは本当に起こる。次の日、早起きをしたわたしは、コロナ禍で勉強をはじめた神社検定(仮)のテキストを眺めようと、会社の近くの珈琲店に行った。すると、目の前で並んでいた人が彼だった。嘘でしょう、ということはこうして起こった。もしかしたら、同じ時間帯にこの店にいたこともあったかもしれないし、すぐお向かいに座っていたり、こうして目の前にいたこともあったのかもしれず、そのときはただ病院の待合室の人のように、電車で居合わせた人のように、環境の中にとけこむ人としての認識をしていただけかもしれない。しかし、今回ははっきりとわたしは彼を識別した。彼は後ろに並んだわたしに気が付くはずもないだろうが、わたしはその特徴のある髪型ですぐに気が付いたのだ。
 会計をすませ、珈琲を片手にもった彼が振り向いた。わたしは、少し伏目にしたと思う。わざとらしくなかったかな。
どうか、何を言わず通り過ぎますように、と願ったか願わなかったか、
「奇遇ですね。アート展でお会いしましたね。」
と彼が声をかけてきたので、心臓はそれこそ超新星爆発寸前だし、それからおなかのなかには数千のバタフライでも飛んでいるかと思った。わたしは、すぐに血色が顔に出る。血の気が逆立つような感覚があったから、きっと煮詰めたローズヒップさながら真っ赤なのだろう。いや、ゆで蛸だ。
彼もさすがに驚いた様子に見えた。
そうだ、奇遇ですね、と声をかけられている。
「あ、はい。どうも。」
わたしは、照れ笑いなんてした。なんで、照れ笑いをするんだ、わたし。確かに照れているが何だか子供っぽくて嫌だ。彼は、驚いた顔をわずかに残したまま軽く会釈をしてから背後に消えた。それからは、数分間、まだ珈琲のカフェインを体内に入れていないというのに、心臓は高鳴り続けた。カフェオレの温かさをマグカップ伝いに掌で包んでから、わたしは周囲をみないようにして空席を目指した。

私は暖かいカップから白い湯けむりが立つのを見てほっとした気持ちになった。カフェオレが好き。割合はミルク4に珈琲3、フォームドミルクを始めにすする瞬間がとても好き。
緊張が解けたようにほっとした時、しばらくして再び声がした。
「僕たち以外、誰もいませんでしたよね。今日はけっこう混んでますね。」
顔を上げると、彼が目の前にいた。心理の壁を作らせない笑顔だ。心臓が再び爆発を起こしていたことは説明しなくてもわかってもらえるだろうか、併せて、隙なく距離を縮める物言いにわたしは少し戸惑っていたと思う。
「あ、はい。」
「ここ、いいですか?」
「あ、はい。」
わたし、あ、はいばっかり。
「あの絵、インパクト、ありましたね。何を考えていたんですか?」
「・・・・。」
来た。あの絵、確かに強烈だった。
誰もがきっと、何枚か忘れられない絵があるんだって思う。それは、顔がキューブのようにわれたピカソの絵かもしれないし、火の中に蝶々が舞っている幽幻の絵かもしれない。異国の女性のエロティックな絵画かもしれないし、おかっぱの女の子の肖像画かもしれない。
私の場合は、幼いころ滋賀県の有名なお寺でみた仏教の説話絵。人が死んで、膨らんでそれから醜くなる姿が描写されていた。
しかし、どうだろう、昨日からこの記憶をあの一枚の絵が凌駕してわたしの脳裏をずっとうろついてる。
わたしは少し間をおいて答えた。
「あの絵、どうして、作者は曼荼羅のように描いたんだろうって考えていました。」
「確かに、密教の影響を受けたのかもしれませんね。」
赤面するような絵についての会話なはずだが、彼はどこらエロティックな様子も見せずに、淡々と語っているように思えたし、わたしも妙に落ち着いていた。むろん、あのときの気はずさが消えたわけではなく、脳の片隅の格納庫の奥の奥にしまったような気持だった。
彼はわたしとメール交換をし、それからデートを重ねるようになった。お台場のゲームセンターも入ったしチームラボも行った。トランポリンで飛翔もしたし、それから映画も見た。東京の夜景も外せない、といいたいところだが、本当は夜景に魅力を感じない。夜空の星の方がどれだけ神秘的で壮大でそして宇宙的だろう、そう思うからだ。この時も私は夜景ではなく、そこここでうごめき、ささやき、笑い、どこかでは泣いている、明かりの数よりも多いかもしれない人の気配に思いを馳せていた。何より隣の彼の息遣いと、その温度と芳香こそ最も私を惹きつけた。デートの話はまたちょくちょくお伝えしようと思うからよければ聞いてやってね。女子目線だけど参考になればこれ幸い。

しかし私達のデートはもっぱらアートデートが中心。笑いこそゲームセンターやらアミューズメントパークが多かった。しかし最も会話が多かったのはアートデートで、わたしたちは視点の相違を楽しみ、共通する部分もまた楽しんだ。
 彼がどういう人かを語るのに、ライン交換ではなく、メール交換をしたというところから入るのはいいかもしれない。PCに精通しているし、精通しているからこそ、ラインは使いたくないらしい。これはのちに聞いたことだが、ラインは時間泥棒とのことだ。ラインのやりとりにかかる時間だけではない、コメントの相手によっては返信までの時間を気にする人もいるから、気遣いという時間とメンタルエネルギーの浪費になる、さらには、
絵文字やらスタンプやらに表情や個性を読む文化を取り入れるための手間。それらのデメリットと(あくまでも彼にとってのデメリットではあるが)、ラインによる快適さを比較すると、ラインを使わない方にゆうに軍配があがったというわけだ。
「僕は、ラインを使わないので。」
それだけでことすんできたそうだ。だから、連絡はメールがメイン。メールを見る時間も決めているらしく、午前に一度と、午後に一度だけ。他に緊急のメールアドレスがあり、それは、午前に2回、午後に2回チェックするそうだ。嬉しいことに、その特別アドレスをわたしに教えてくれた。
 
”特別”そう、人は”特別”に弱い。人は、自分は特別だ、と思うバイアスがあるらしい。だから、”特別”、この言葉に弱いそうだ。バイアスは、いい面とよくない面があり、両義的なところは長所と短所が時と場合で入れ替わるのと同じのようだ。
よくない面はきっとこんな調子ではないかなと思う。
特別、特別、それが膨張すると、どこが境か、いつしか傲慢となる。ぼくは、わたしは特別だから、人を蹂躙しても搾取してもいいし、そもそも蹂躙とも搾取とも思っていない、そんな風になってしまうのかもしれない。
”特別”の気持ちよさをコントロールに使ってものだって売られる。

「お客さん特別安くしときますよ。」の特別だ。
だから、特別には警戒するけれど、
恋人間の特別だけは、あっていいように思う。
人に多かれ少なかれあると言われているこの”特別と思うバイアス”、実のところその感覚がよくわからない。みんなはどうなのだろう。あなたは?バイアスには個人差があるというから、わたしは小さいだけなのだろうか。自分が特別なら、あの人も隣の家の人も会社の人も同じように特別。だから結局、みんな特別。そうすると、それはすでに特別ではなくなっている、という具合。
わたしは人として変なのだろうか。だから、逆説的に”特別”に一層弱いのかもしれず、メールの特別は素直に嬉しかった。そのときなぜなのか理由はつきつめていなかったけれど、この人と長くいたい、そう思った。しかし、もしかしたらこの運命的といえる再会にときめいているだけという可能性も否めなかった。


5⃣<女子的決意書>

 冒頭に、話を戻そう。わたしは、指輪の代わりに3冊の本をもらったのだった。『幸せになりたいのなら幸せになろうとしてはいけない。』

『マインドフルネスストレス低減法』((仮)『23の糸』・セルフコンパッション)

『影響力の武器』

そして、1冊目に目をとおしたのだ。1冊目は、心理療法のACTの入門書として知られていて、パニック障害や鬱、PTSDなど様々な心の病気に効果をあげているメソッドらしく、思考と感情の扱い方を学べるらしい。が、よくわからなかった。わたしをメンタル疾患者扱いだろうか、と一瞬不快感情が起こったが、どうやらメンタル疾患に限らず、人生をより自分らしく豊に創造していくメソッドでもあるらしい。それに、鬱など、心理療法が必要な症状にかかるリスクは、・・・


翻訳書だからか、欧米の文化背景と日本が異なるからか、両方からか。それから、ACTの基盤となっているマインドフルネスのことをよく理解していないからか。わたしは、2冊目を目を通した。『』マインドフルネスストレス低減法」。ジョン・カパットジンさんの書籍だ。彼は、マインドフルネスストレス低減法のプログラムの開発者で、

これは、1冊目よりより心の深部に語り掛けるような書籍だった。個人の実感ではあるけれど、訳もすばらしかった。マインドフルネスは、聞いたことはあったし、気にならないわけでもなかったが、その実態、その感覚がつかめないでいた。しかしこの書籍で、よりクリアにマインドフルネスがどのような状態かを理解したように思う。それに、マインドフルネスストレス低減法も心身の疾患に適用されていて、慢性陣痛や不安、鬱の改善、また免疫向上などの効果があることが実証されているそうだ。

 この2冊の内容について、どのように血とし、肉としていったか、以降に書いていきたいと思うので、よければいっしょに体験してくださいね。ついでに、わたしと彼の恋の行方も聞いてくれたらうれしいかな。応援してくれたら、もっと嬉しい。

と、と、そもそも、この書籍を渡される背景は、なんだったか。そうだ。

「はずきは、恋愛依存症的傾向が強いと思うんだ。」

「大人の恋愛をしよう。」

「しばらく、ドイツに留学にいく。」

・・・。そうだ。わたしは、自覚のない、恋愛依存症。彼は、ドイツに行ったきり音信不通で、今では大きな不安症も抱えるに至っている。

あぁ、不安だ。もしかしたら、体よくバイバイされてるかもしれないでしょう?恋愛依存症だなんて思われてるってことはこちらが気をつかいすぎてて、ヘヴィーだって思われていたかもしれないし、3年目のなんたらって言われるように恋の魔法がどこかに飛んで行ったのかもしれない。聞いたところによると、恋愛の盲目的かつ至福的なホルモン分泌はこのころで期限切れになるそうだ。恋愛初期から2~3年までは通称恋愛ホルモンである、フェニルエチルアミンが分泌され、高揚感や快を与えてくれるドーパミンやノルアドレナリンの分泌を促してくれるらしい。恋愛ホルモンが消える旅に新しい恋愛に切り替えるっていうのでは、確かにとくに生物学的な男性目線でいうと、子孫を残すという生存戦略には有利ではあるんだろう。

彼は音信不通。

はっきりとわかることは、わたしたちは現在境目にいる。

恋愛ホルモンの時期を超えて、愛情ホルモンなるオキシトシン分泌型の関係性を深めていけるかどうか。深く高くかつ広大な温かい絆を築いていく道を進めるのか、否か。

彼はどうしたいのだろうか。直に額面どおりにとって大人の恋愛人たる境地へとわたしがたったのなら、手を取り合ってオキシトシン分泌の道へと行く気持ちがあるのだろうか。だとしたら、どうしてこのタイミングで留学なんだろうか。音信不通なのに、未来に希望をもとうとしているわたしって、たんなる脳内お花畑なのだろうか。彼は今どんな気持ちなのだろうか。彼はどうしたいんだろうか。

・・不安だ。

「僕の気持ちを大切にしてくれてるのは嬉しいよ。いつも気にしてくれてる。でもね、はずきの気持ちをもっと感じて、それで出していってもいいんだよ。犠牲的であってほしくないんだ。はずきはどうしたいの?」

彼の言葉を思い出した。そっか、この今、また、彼の気持ちばかり考えてる。

「はずきはどうしたいの?」

わたしは、どうしたいの?わたしは、どうしたいか。

・・・。

彼といたい。だって、好きだから。彼と手をつないで、これから先の未来を見てみたい。見てみたい。

これが、わたしの気持ち。だから、決意表明してみよう。

「お互いが最高境地を超えるパートナーシップを築ける大人の恋愛人になる。」


変わろう。変えてみよう。どこをどうやって、変えるかもよくわかっていないけど、ゴールはこれ、大人の恋愛人。

6⃣<大人の恋愛人って?依存的恋愛って?>

「お互いが最高境地を超えるパートナーシップを築ける大人の恋愛人になる。」

と、宣言したのはいいけれど、

そもそも大人の恋愛人って、どんなんだっけ?経済的にも精神的にも自立していて、ワインが似合って冷静な大人の会話を楽しむ。お互いの私的な時間も大切にする・・・。それって、00百合子さんと、竹〇内豊さんが恋愛しているみたいなイメージ像だよね。恰好だけではいりすぎてる?ドラマとしてきりとられていない、背景の部分は?

精神的な自立っていうのは、当たりだと思う。精神的な自立、それって具体的にどういうことだろう。

わたしは、精神的自立だって思うあり方を書き出してみた。頭の中を整理する方法として、書き出すことはメリットが大きい。

・なんでも人に意見をきかずに、自分で決める。

・これからどうしたいのか、どうありたいのかっていうのが明確。

・自分のことをよくわかっているから、選択のときに判断が早い。

・人のとの付き合いでは、不快をさけ、快をますためにどうしたらいいのかっていう問題解決能力が高い。

・コントロールできるものとできないものを明確に認識していて、コントロール外のことで、気持ちを左右されない。

・極力人にたよらずに、気持ちの立て直し方を知ってる。

・人生の目的意識みたいなのがはっきりしている。

・仕事でも私生活でも優先順位が明確

こんなところかな。

 それぞれが自立した形でぶれない人生の目的意識みたいなのをもっていて、円滑剤やスパイスとして恋愛をする、っていうのも精神的自立をした人の恋愛かもしれない。つまり、それぞれが独自の目的意識が先行していて、その目的を支える形で恋愛が成立する。

たとえるなら冒険して、魔王を倒すために一人よりも仲間がいる方が倒しやすいから仲間を作るように、パートナーをもつ。

それは確かに大人の恋愛風ではあるし、そういう恋愛もあるのかもしれない。それが、クールすぎるっていうわけでもない。ときには、だからこそ熱く、絆がとてつもなく強くなることだって考えられるのだから。どんな障害でも決してぶれないしきれることのない絆。

 魔王を倒すという共通目的で集まったパーティーの中で、お互いが無二の恋愛関係になることはよくストーリーとして見る。映画なんかでよくあるし、ファイファンでもあったよね?

結局のところ、大人の恋愛のための、精神的自立とは何か。そこに正解はない。水は、H20です、みたいに共通認識はないのだから。

7⃣恋愛依存症なるものの前に、恋愛そのものが異常説?


わたしは、どこがどう恋愛依存症?
そもそも恋愛依存症とは?
彼を大切に思っていることと、何が違うの?
依存症、と名まえがつくように、それは治癒の対象となって完治をめざすべき症状ということなんだろう。
異常があるから、正常になりましょう、って。

そもそも、恋愛は、すべて
人にとって異常事態じゃない?
人を好きになると地球きってのIQを誇る生命体であるはずの人類もチンパンジーと変わらない判断能力となるという。これは、積極的なメイテイィングに繋がり、種が保存されるには一役かったのだろうが、単なる異常事態とも言える。最近では性的にニュートラルな人たちの存在が、知られるようになった。インターネットの文明が人類に出現したように、今までいなかったタイプの人が文明によって出現したのだろうか?ちょっとそうは考えにくい。カミングアウトできるような基盤ができたということと、また他者に対しての自己の相違に、以前よりも精度高く気が付くようになったからかもしれない。「あれ?わたしには、恋愛感情なるものがどうやら非常に小さいぞ?」「そもそもないぞ?」と。
この人たちの何人かは、きっとわたしたちが性に踊るのを異常事態として見ているね。

恋愛は、そもそも異常、
世の中には、ドエスとドエムの華麗なるプレーが夜な夜などこぞの街かどで繰り広げられているのだろうし、
身体の結びつきというようりも
純愛の見つめあいから湧き上がる高揚に至福を感じあっているカップルもいるのだろう。

前者が異常性をもつ、と言えば人はたいていうなずくものだけれど、
統計の平均が正常な恋愛だとすれば、
後者のような純粋な恋愛も稀という点において、異常と言えなくもない。
異常のパレードここにあり。

出会い、接近、それから時間の共有のあり方、それらにルールは課せられていない。進捗はカップルの自由な采配に任せられる。
正常なる恋愛、そのようなものは定義できないし、定義されるようなものでもないだろう。。
わたしたちの恋愛は、どうかな。
異常、正常なんていう判断の枠を超えたロマンスであればいいのにな。
それも、今後どうなるか、わからないときた。
「恋愛依存症傾向が高い。」
彼の言葉だ。心臓が痛い。

8⃣<「君を変えられるのは、君だけだ。」の真偽>

聞くには聞いたことがあるけれど、その実態を知らないものって星の数ほどはなくても

おそらく今までついてきた溜息の数ほどあると思う。そのうちのひとつ、一体全体この恋愛依存症とはなになのか。
 依存的恋愛の対局が自立した恋愛だとすれば、

そこに誰が見ても明瞭な違いはあるのだろうか。
 正常か、異常か、そのようなものが恋愛にないのと同様に、依存性の如何もそのときそのときの主観にすぎないのか。
 例えば、なんでも彼氏に意見を聞く子がいたとして、はじめは彼氏は頼られていると喜び楽しんでいたとする。それがいつしか、依存症だと面倒に思うときがでてきたり、ときには思い出したようにやはりかわいいし、たよりにされているのだな、と雄的な内部構造が満たされるときがあるというような具合に。依存症であるか、そうでないかは、カップル同士の主観。たよりたよられる関係性があってもうまくいっていれば依存的でもよし、うまくいかなければ依存症。
 それなら、別れるカップルはどちらかが依存症であったといえる事になる。それもおかしいな。

 恋愛は、陶酔や愛情による幸福感、獲得による満足感、恋人との一体感、肌と肌が触れ合うことの癒しや甘美な至福感、様々な喜びをもたらしてくれるもの。
これは、他者が存在して成立する喜びなのだから、それは他者依存的な幸福のひとつと言える?つまり、そもそも恋愛というものが、依存的性質からきりはなせるものではないとは考えられない?
彼はわたしを観察して、
「これは彼女を自滅させるかもしれない。自滅はしなくてももっと彼女と満足いくパートナーシップを描けるように彼女に変わってほしい。」
そう彼は考えた。
それで、
「人を変えるなんて、しない方がいい。まず変えられるのは、自分だ。」

なんて、常々言っていたからだろう、
こうして、3冊の本を置いたままわたしはぽつねんと布団で一人いることになっている。
「君を変えられるのは、君だけだ。」
そういうことなのだろう。最後の救世主は、内側にいる。わたしたち自身だ。変わる決意をするのは、わたしたち自身だ。

そして、矛盾するようだけど、わたしたち人は環境によって、変わる。受け身として、変えられる。よくもなればわるくもなる。

孟母三遷の教えとか、朱に染まればなんとかという有名どころは、環境やかかわる人によって性格なり習慣なり、わたしたちを構成するなにかが変わることを意味しているのだろう。
 格言やことわざの世界だけではない。同じ空間で過ごしていると、脳の働きが似通ってくると科学的な研究が出てきているそうだ。脳神経も電波なのだから、影響を与え合うのは何も不思議ではない。
「君を変えられるのは、君だけだ。」
わたしたちは環境の影響を否応なく受けてしまう生き物ではあるけれど、

意図すれば能動的に変わりたいように変わることもできるということなのだろうか。

そして、意図しない限り、慣性の法則に従うように、環境や周囲の人の傾向に左右されるがままになる。よどみに浮かぶ泡沫ってわけ。
 ここには、まだもう一歩深いところに何か大切な気づくべき智慧のようなものが潜んでいるように思う。それが、何か今はわからない。


実は彼からメールが一通だけ入っていた。
それはわたしが病院のベッドで目覚めた日に届いたメール。おそらくではあるが、わたしが目覚めたら病院の人に彼へ連絡するようにお願いしていたのだろう。
メール曰く。
『はずき、そんなにショックを受けるとは思わなかった。
すぐに救急車で病院に行った。お医者さんは、命にはまず別情がないとのこと、それと、心拍数も安定しているからすぐ意識が戻るとのはなしだった。目が覚めるまでそばにいたかったけれど、ドイツへの留学にいく。
そばにいれなくて、ごめん。
はずき、だいすきだよ。君が思っている以上に、大切に思っているんだ。
こうして、傷心で気絶するなんて、やっぱり君は感受性が豊なんだね。それと、僕が思っている以上に僕を好いていてくれるのかもしれない。
同時にやっぱり改善が必要なほと依存的傾向があるんじゃないかって思うんだ。
だから、敢えて少し連絡をしないよ。どうか、一度僕フリーの時間を作って、自分を見つめなおしてほしい。僕に染まった君ではなく、君自身を君が見つけて確かなものにしてほしい。』
女子的には『遠くにいても傍にいる。』なんて、ロマンなひとことを期待するが、それは求めすぎというものだろう。女子の”オンリーワン”願望を満たしてくれる少女漫画ぐらいなものだ。
・・・・。
わたしは、本当に好かれているんだろうか。大切に思われているのだろうか。わたしが思っている以上に思っていてくれる?それはどの位だろうか。
数値化できないものを数値化することは、非科学的に思えるが、科学的にメリットが実証されているらしい。例えば、怒りをコントロールするのに、今の怒りは、70などと数値化することで、感情を扱いやすくなるそうだ。わたしを思ってくれてるのは、数値にしたら、どのくらい?彼を思う私の気持ちが、100ならどのくらい?一万ならどのくらい?

 幸か不幸かわたしは怒りをあまり感じない。怒りは、よくない、お釈迦様のいう三毒のひとつに、怒りがあってそれを小さいころに聞いた、そんな無意識レベルにまで落とし込まれた認識の結果なだけなのかもしれないが、ネガティブな感情と言えば怒りを通り越して、不安や悲しみがもっぱらである。今日もそのうちのひとつ、不安がやってきた。
不安は、不安の思考を次々とひっぱってくる。こんな具合に、インナートークが展開していく。
 彼に、もしかしたら、重いって思われてたんだろうか。それで、うまいこと言って、もう日本にかえってくるつもりもないんだろうか。日本に帰ってきたところで、もしかしたら、会えないかもしれない。会ったとき、また別のものを渡されるのだろうか。
もしかして、もしかしてドイツにも行っていないのかもしれないよ。日本にいて、別の女性の方と・・・。
あぁ、なんてこと、そんな疑いなんてする人じゃなかったのに。好きな人を疑うなんて、自分に許すタイプじゃなかったのに。信頼に価値を置いていたはずなのに。いやだ、自分がきらいになる。内側が揺らいでるよ。
心が不安で満ちて、満ちて灰色に全身が染まった。
心臓は、破裂寸前の風船。ズキンズキン、あかずきんくろずきん、胸がいたい。
深呼吸をして考える。するべきことは、何だろう?
わたしは、彼が好き。だから、恋愛依存症たるをつきとめ改善する。彼に染まりすぎている、と評されたわたしは自分を見つめなおし、どう改めていくのか検討するんだ。

 人はね、心が痛いと涙も出なくなるんだよ。涙は癒しをもたらすけれど、それができなくなるの。土地を潤すには、水が必要だけどその水がない。天から雨は、思うようには降らない。竜神様の気まぐれか、配慮か、それともいじわるか。
すぐに涙が出るのが、悩みのひとつだったはずなのに、出ない。からからだ。ただ、ただ、痛い。水は、脳のどこかと、身体のどこかに出口が見えず偏ってぐるぐると、まわってる。


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