HAZUKI結ぶ恋『33通の手紙』<まさかということが起こる>
3⃣第二日目、まさかということは本当に起こる。次の日、早起きをしたわたしは、コロナ禍で勉強をはじめた神社検定のテキストを眺めようと、会社の近くの珈琲店に行った。すると、目の前で並んでいた人が彼だった。嘘でしょう、ということはこうして起こった。もしかしたら、同じ時間帯にこの店にいたこともあったかもしれないし、すぐお向かいに座っていたり、こうして目の前にいたこともあったのかもしれず、そのときはただ病院の待合室の人のように、電車で居合わせた人のように、環境の中にとけこむ人としての認識をしていただけかもしれない。しかし、今回ははっきりとわたしは彼を識別した。彼は後ろに並んだわたしに気が付くはずもないだろうが、わたしはその特徴のある髪型ですぐに気が付いたのだ。
会計をすませ、珈琲を片手にもった彼が振り向いた。わたしは、少し伏目にしたと思う。わざとらしくなかったかな。
どうか、何を言わず通り過ぎますように、と願ったか願わなかったか、
「奇遇ですね。アート展でお会いしましたね。」
と彼が声をかけてきたので、心臓はそれこそ超新星爆発寸前だし、それからおなかのなかには数千のバタフライでも飛んでいるかと思った。わたしは、すぐに血色が顔に出る。血の気が逆立つような感覚があったから、きっと真っ赤なのだろう。
彼もさすがに驚いた様子に見えた。
そうだ、奇遇ですね、と声をかけられている。
「あ、はい。どうも。」
わたしは、照れ笑いなんてした。なんで、照れ笑いをするんだ、わたし。確かに照れているが何だか子供っぽくて嫌だ。彼は、驚いた顔をわずかに残したまま軽く会釈をしてから背後に消えた。それからは、数分間、まだ珈琲のカフェインを体内に入れていないというのに、わたしの心臓は高鳴り続けた。カフェオレの温かさをマグカップ伝いに掌で包んでから、わたしは周囲をみないようにして空席を目指した。
私は暖かいカップから白い湯けむりが立つのを見てほっとした気持ちになった。カフェオレが好き。割合はミルク4に珈琲3、フォームドミルクを始めにすする瞬間がとても好き。
緊張が解けたようにほっとした時、しばらくして再び声がした。
「僕たち以外、誰もいませんでしたよね。今日はけっこう混んでますね。」
顔を上げると、彼が目の前にいた。心理の壁を作らせない笑顔だ。心臓が再び爆発を起こしていたことは説明しなくてもわかってもらえるだろうか、併せて、隙なく距離を縮める物言いにわたしは少し戸惑っていたと思う。
「あ、はい。」
「ここ、いいですか?」
「あ、はい。」
わたし、あ、はいばっかり。
「あの絵、インパクト、ありましたね。何を考えていたんですか?」
「・・・・。」
来た。あの絵、確かに強烈だった。
誰もがきっと、何枚か忘れられない絵があるんだって思う。それは、顔がキューブのようにわれたピカソの絵かもしれないし、火の中に蝶々が舞っている幽幻の絵かもしれない。異国の女性のエロティックな絵画かもしれないし、おかっぱの女の子の肖像画かもしれない。
私の場合は、幼いころ滋賀県の有名なお寺でみた仏教の説話絵。人が死んで、膨らんでそれから醜くなる姿が描写されていた。
しかし、どうだろう、昨日からこの記憶をあの一枚の絵が凌駕してわたしの脳裏をずっとうろついてる。
わたしは少し間をおいて答えた。
「あの絵、どうして、作者は曼荼羅のように描いたんだろうって考えていました。」
「確かに、密教の影響を受けたのかもしれませんね。」
赤面するような絵についての会話なはずだが、彼はどこらエロティックな様子も見せずに、淡々と語っているように思えたし、わたしも妙に落ち着いていた。むろん、あのときの気はずさが消えたわけではなく、脳の片隅の格納庫の奥の奥にしまったような気持だった。
彼はわたしとメール交換をし、それからデートを重ねるようになった。お台場のゲームセンターも入ったしチームラボも行った。トランポリンで飛翔もしたし、それから映画も見た。東京の夜景も外せない。本当は夜景に魅力を感じない。夜空の星の方がどれだけ神秘的で壮大でそして宇宙的だろう、そう思うからだ。この時も私は夜景ではなく、そこここでうごめき、ささやき、笑い、どこかでは泣いている、明かりの数よりも多いかもしれない人の気配に思いを馳せていた。何より隣の彼の息遣いと、その温度と芳香こそ最も私を惹きつけた。デートの話はまたちょくちょくお伝えしようと思うからよければ聞いてやってね。女子目線だけど参考になればこれ幸い。
しかし私達のデートはもっぱらアートデートが中心。笑いこそゲームセンターやらアミューズメントパークが多かった。しかし最も会話が多かったのはアートデートで、わたしたちは視点の相違を楽しみ、共通する部分もまた楽しんだ。
彼がどういう人かを語るのに、ライン交換ではなく、メール交換をしたというところから入るのはいいかもしれない。PCに精通しているし、精通しているからこそ、ラインは使いたくないらしい。これはのちに聞いたことだが、ラインは時間泥棒とのことだ。ラインのやりとりにかかる時間だけではない、コメントの相手によっては返信までの時間を気にする人もいるから、気遣いという時間とメンタルエネルギーの浪費になる、さらには、
絵文字やらスタンプやらに表情や個性を読む文化を取り入れるための手間。それらのデメリットと(あくまでも彼にとってのデメリットではあるが)、ラインによる快適さを比較すると、ラインを使わない方にゆうに軍配があがったというわけだ。
「僕は、ラインを使わないので。」
それだけでことすんできたそうだ。だから、連絡はメールがメイン。メールを見る時間も決めているらしく、午前に一度と、午後に一度だけ。他に緊急のメールアドレスがあり、それは、午前に2回、午後に2回チェックするそうだ。嬉しいことに、その特別アドレスをわたしに教えてくれた。
”特別”そう、人は”特別”に弱い。人は、自分は特別だ、と思うバイアスがあるらしい。だから、”特別”、この言葉に弱いそうだ。バイアスは、いい面とよくない面があり、両義的なところは長所と短所が時と場合で入れ替わるのと同じのようだ。
よくない面はきっとこんな調子ではないかなと思う。
特別、特別、それが膨張すると、どこが境か、いつしか傲慢となる。ぼくは、わたしは特別だから、人を蹂躙しても搾取してもいいし、そもそも蹂躙とも搾取とも思っていない、そんな風になってしまうのかもしれない。
”特別”の気持ちよさをコントロールに使ってものだって売られる。
「お客さん特別安くしときますよ。」の特別だ。
だから、特別には警戒するけれど、
恋人間の特別だけは、あっていいように思う。
人に多かれ少なかれあると言われているこの”特別と思うバイアス”、実のところその感覚がよくわからない。みんなはどうなのだろう。あなたは?バイアスには個人差があるというから、わたしは小さいだけなのだろうか。自分が特別なら、あの人も隣の家の人も会社の人も同じように特別。だから結局、みんな特別。そうすると、それはすでに特別ではなくなっている、という具合。
わたしは人として変なのだろうか。だから、逆説的に”特別”に一層弱いのかもしれず、メールの特別は素直に嬉しかった。そのときなぜなのか理由はつきつめていなかったけれど、この人と長くいたい、そう思った。しかし、もしかしたらこの運命的といえる再会にときめいているだけという可能性も否めなかった。
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目を通していただき、ありがとうございました。月・水・土曜日更新です。
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https://note.com/yuri0101/n/n87b83dee0274
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