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【現代語訳】森鴎外『うたかたの記』(中)

ミステリアスな少女が出て行ってまもなく、皆は解散した。
帰り道、巨勢がエキステルに尋ねると
「美術学校でモデルをしてる子で、ハンスルお嬢様って呼ばれてるよ。
ご覧の通り、とち狂ったこと始めるもんで、気違いって言ってるやつもいるし、他のモデルの子と違って、裸にならないもんだから、片輪なんだろうというやつもいる。
経歴を知ってるやつはいないが、どこか悟った感じで超然としていて、汚いことはしないので、美術学生たちにも好んで友達付き合いする者が多いんだ。
美形であることは見ての通りさ」
と答えた。
巨勢は言った。
「彼女をモデルに描いてみたいもんだ。アトリエの用意が整ったら、来るように伝えてくれないか?」
「おう。だけどもう13歳の花売り娘じゃないぜ。裸はまずいんじゃないか?」
「彼女ヌードはやらないって、君言ったじゃないか」
「言ったさ。だが男にキスするのを見たのは、今日が初めてだ」
エキステルの言葉に、巨勢は赤くなったが、街灯の暗いシラーの銅像のあたりだったので、友人は気付かなかった。
巨勢の宿泊しているホテルの前で、二人は別れた。

一週間ほど後のことだ。
エキステルの紹介で、美術学校のアトリエの一室が、巨勢に貸し出された。
南に廊下があり、北面の壁は大きなガラスの窓が半分を占め、隣の部屋との間には木綿のカーテンが吊るされているだけだった。
月の途中ではあったが、旅行に出掛けている学生が多く、隣には誰もいなくて、仕事の邪魔をされずに済んだのを、巨勢は喜んだ。
彼は絵が架けられたイーゼルの前に立ち、入ってきたばかりの少女に「ローレライ」の絵を指し示し、
「君に聞かれたのはこれさ。面白そうに笑っている時はそうでもないんだが、時々君の表情が、ここに描きかけの人物にぴったりはまる時があるんだ」
少女は高笑いした。
「忘れちゃ嫌よ。あなたの『ローレライ』のもともとのモデルになったスミレ売りの子は私だって、こないだも言ったじゃないの」
こう言うと、急に真面目な顔になった。
「あなた、私を信じてないんでしょ。まあ、無理もないけどね。世間では私を気違い女って呼ぶけど、言われてみればそうだもの」
その声は、ふざけているようには思えなかった。

巨勢は半信半疑だったが、耐え切れず少女に言った。
「あまり苦しめないでくれ。今だって額に熱い君の唇を感じるんだ。束の間の悪戯だと思って、無理矢理忘れようと何度も試みたが、煩悩はついに晴れなかった。
君の本当の身の上話を、頼むから聞かせてくれないか」
窓の下に置かれた小テーブルに、トランクから出したばかりの古い絵入りの新聞、使いかけの油絵の具のチューブ、まだ巻き煙草の端が残っている粗末なキセルなどが乗っている、その片隅に、巨勢は肘をついた。
少女は、その前に置かれた籐椅子に腰掛け、話し始めた。

「何から話したらいいかしら・・・。
この学校に来てモデルの登録証をもらう時も、ハンスルという名前で通したけど、それ私の本当の名前じゃないの。
父はスタインバッハっていう、今の国王に気に入られて、一時期はずいぶん持てはやされたこともある画家よ。
私が12歳の時、王宮のウインターガーデンで夜会があって、両親も招かれたの。
宴もたけなわの頃、国王が姿を消してしまったのよ。
みんな驚いて熱帯植物が生い茂る温室のガラス屋根の下を、あちこち探し回ったわ。

温室の片隅には、タンタルディーニ作のファウストとグレートヒェンの有名な石像があったんだけど、私の父がそのあたりに来た時、胸を裂くような声で『助けて、助けて』と叫ぶ人がいたのよ。
声を頼りに、黄金の丸天井に覆われたあずまやの入口に近寄ってみると、棕櫚の葉の茂る中に、ガス灯の光が五色のステンドグラスを通して差し込み、薄暗いあやしい影を作り出す中で、一人の女が逃げようとしていたの。そばにいるのは王なのよ!
その女の顔を見た時の、父の心はどんなだったでしょう。
それは、私の母でした。
父はあまりの出来事に、しばらく呆然としていたのだけど、『お許し下さい、陛下!』と叫んで、王を押し倒したわ。
その隙に母は走って逃げて行き、不意を打たれて倒れた王は、起き上がって父にむしゃぶりついてきたの。
太っていて力も強い国王に、父はどうして敵うでしょう。
組み敷かれて、傍にあったじょうろでいやというほど殴られたのよ。
このことを知って諌めた、内閣の秘書官チーグレルは、ノイシュヴァシュタインの塔に閉じ込められるところだったけれど、救ってくれる人がいて助かったわ。
私はその夜家にいて、両親の帰りを待ってたんだけど、女中が父母が帰ってきたと教えてくれたの。
喜んで出迎えたら、父は担がれているし、母は私を抱きしめて泣くのよ」

少女はしばらく黙った。
朝から曇っていた空は、とうとう雨になり、時折窓を打つ雨粒がぱらぱらと音を立てた。
巨勢は言った。
「王は狂人になって、シュタルンベルクの湖に近い、ベルク城に移されたということは、昨日新聞で読んだが、そんな頃から兆候があったのか」
少女は話を続けた。

「王が賑やかな土地を嫌って、田舎に住み、昼は寝ていて夜に起きるのは、以前からのことよ。
ドイツとフランスの間で戦争があった時、カトリック派の国会に打ち勝って、プロシア方についた王の中年の頃の勇ましさは、段々と暴政の噂に取って代わられ、大っぴらに言う者は無いけれど、陸軍大臣メルリンゲルや、大蔵大臣リーデルなどを、理由も無く死刑にしようとしたのを、その筋の圧力で隠蔽したのは、誰でも知ってることよ。
王が昼寝をする時は、供回りの者はみんな退出されられるけれど、うわ言でマリイという言葉を何度も言っているのを聞いたって話もあるわ。
私の母の名もマリイなのよ。
叶うはずのない恋は、王の病を悪化させずにはいられなかったでしょう。
母は顔立ちが私と似ていて、その美しさは宮中で並ぶものがなかったのだそうよ。

父は間もなく、病気で死にました。
付き合いも広く、けちけちしたところがなくて、世事にはひどく疎かったので、家には遺産がまったく残らなかったわ。
それで、ダハハウエル街の北の端の、裏通りの2階が空いていたのを借りて住んだんだけど、そこに移ってから、母も病気になったの。
こんな時、人の心って変わりやすいものね。
数限りない苦しみが、私の幼い心に、早くも世の中の人たちを憎むことを覚えさせたわ。
翌年の1月、謝肉祭の頃だったけれど、家財道具も衣類も売りつくして、日々の糧にすら事欠くようになってきたので、貧しい子供たちの仲間になって、私もスミレの花を売ることを覚えたの。
母が亡くなる前の3、4日を安心して過ごせたのは、あなたの贈り物のおかげよ。

母のなきがらを葬るのに、何かと手伝ってくれたのは、1階上に住んでいた裁縫師でした。
可哀想なみなしごを一人で置いてはいけないと言って引き取ってくれたの、私どんなに喜んだことでしょう。
今思い出しても悔しいくらいよ。
裁縫師には娘が二人いて、すごいえり好みが激しくて、鼻高々の様子なんだけど、引き取られてから様子を伺ってると、夜になってからちょくちょくお客様があるの。
お酒なんか飲んでるうちに、しまいには笑ったり罵ったり、歌ったりするのよ。
お客様は外国の人が多くて、あなたのお国の学生さんなんかもいらしたようよ。

ある日主人が、私にも新しい服を着るように言ったんだけど、その時その男が私を見て笑った顔が、何となく恐ろしくて、子供心にも嬉しいとは思えなかった。
昼過ぎに、40歳くらいの知らない人が来て、シュタルンベルクの湖に行こう、と言ってきたわ。主人も一緒になって勧めるの。
父が生きていた頃、一緒に行くのが嬉しかったのをまだ忘れてなかったので、渋々承知したら「それでこそ良い子だ」と皆で褒めるのよ。
連れの男は、旅行中は優しくて、向こうでは『バヴァリア』という座敷舟に乗り、食堂でご馳走してくれました。
お酒も勧められたけど、慣れてないので断って飲まなかったわ。
ゼースハウプトに舟が着いた時、その人はまた小舟を借りて、これに乗って遊ぼう、と言ったの。
もう日が暮れかけていたので、私は心細くなって、早く帰りましょう、と言ったんだけど、男はお構いなしに漕ぎ出して、岸辺に沿って進んで人けのない葦の間に来たところで、舟を停めたの。
私まだ13歳で、初めは何も分からなかったけど、そのうち男の顔色も変わってるし恐ろしくなって、気付いたら水の中に飛び込んでたわ。

しばらくして我に返った時、湖のほとりにある漁師の家で、貧しげな夫婦に介抱されていたの。
帰る家はないって言い張って、一日二日過ごすうちに、漁師夫婦の素朴な人柄にすっかり打ち解けて、不幸な自分の身の上を打ち明けたところ、可哀想に思って娘として養ってくれたのよ。
ハンスルっていうのは、この漁師の名前なの。

そういうわけで漁師の娘になったんだけど、か弱いこの体では舟の舵を取ることもできず、レオニの辺りに住んでいる裕福なイギリス人に雇われて、小間使いになったの。
カトリックの信者である養父母は、イギリス人に雇われるのを嫌がったんだけど、私が読書などを覚えたのは、その家の家庭教師のおかげよ。
彼女は40歳くらいのオールドミスだったけど、その家の高慢な娘よりは私を愛してくれて、三年ほどの間に、そう多くもない彼女の持っている本はみんな読んでしまったわ。
読み間違いもさぞ多かったでしょう。それに、文章の種類もいろいろでした。
クニッゲの交際法もあれば、フンボルトの長生術もありました。
ゲーテやシラーの詩抄を唱えたり、ケーニッヒの文学史をひもといたり、ルーブルやドレスデン美術館の写真集を広げて、テーヌの美術論の翻訳書を漁ったりしたものよ。

去年、イギリス人一家が故国に帰った後、それなりの家に奉公しようと思ったんだけど、身分が身分でしょう。貴族の家では雇ってくれなかったの。
運よくこの学校の教師に拾ってもらえて、モデルをしたのがきっかけで、とうとう登録証が降りたんだけど、私のことを有名なスタインバッハの娘だと知っている人はいないわ。
今は芸術家の連中に囲まれて、面白おかしく毎日暮らしているわ。

でもグスタフ・フライタークは、さすがに嘘は言ってないわね。
芸術家ほど世の中で身持ちの悪い人種はないので、独りで交わるには、少しも油断しちゃだめだ、って。
寄らず、触らず、というようにしなきゃ、と思ってて、はからずもご覧になったような不思議ちゃんの変人になっちゃった。
時々は私自身、狂人なんじゃないかって疑うこともあるのよ。
これにはレオニで読んだものが多少影響してるのかもしれないけど、もしそうなら世間で博士と呼ばれるくらいの人は、そもそもどんな狂人なんだって話よね。
私を狂人って言って罵る芸術家たちは、自分たちが狂人じゃないことを嘆くべきじゃない?
英雄豪傑、名匠大家になるには、多少の狂気無しには叶わないことは、セネカの論や、シェイクスピアの言葉を持ち出すまでもないわ。
見なさいよ、私の学識の広いこと!
狂人であって欲しい人が狂人でないことを見る、その悲しさ。
狂人にならなくてもいい国王は、狂人になったというじゃない。それも悲しいことね。
悲しいことばかり多いから、昼は蝉と一緒に泣いて、夜は蛙と一緒に泣くけれど、哀れだと言ってくれる人もいない。
あなただけはつれなくあざ笑うことはしないだろうと思って、心のままお話してしまったけど、とがめたりしないでね。
ああ、こんなことを言うのも狂気、なのかしら」

原文:森鴎外『うたかたの記』
※画像は本郷「名曲・珈琲 麦

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